実際にあった怖い話――第二夜

 あれから何日か過ぎた。

 読み速は見ていたものの、書き込むことはなかった。

 もうあんな思いはしたくなかったから。

 だが――


「あいつ、またいる」


 コメント欄には、たまに見かける名前があった。そう、瓶詰めジジイだ。

 どうやら瓶詰めジジイはしっかりと自分の名前でコメントを書いているようだった。

 私の自爆攻撃にコリたからだろうか?

 もう自演だなんて言わせない。そんな強い意志を感じた。


 でも、そんなことして、もし自分の意見に同調するカキコミがあったら、それこそ自演ぽく映らない?

 私としてはそう思うのだが、瓶詰めジジイは大丈夫だと信じているっぽかった。

 面白いので、指摘しないでおこうと思った。


 このころ、私は晒し記事を読むようになっていた。

 前回書いた批評や感想を求めてユーザーが自作小説の掲載依頼を出すあの記事だ。


 晒し記事は、サイト管理人が依頼者自身の作品かどうかを審査したのち、URLとともに貼りだす。たしか、依頼者のコメントも同時に載せていたと思う。

 そのURLの先の小説を読んで、みなが感想や批評を書き込むのだ。


 基本、依頼にくるのはあまり読まれていない作品だ。

 感想がもらえないからこそ感想に飢えている。

 たとえ、厳しい意見があったとしても、もらえないよりマシ。

 そう思う人が多かったのではないだろうか。

 言い返したいのをグッと我慢し、受け止める。

 本当に欲しいのは「面白かった」の一言だろうに。


 だが、そんな作品に高評価をもらえる可能性は低い。

 読まれないのはなにかしらの理由があるからだ。

 もちろん、読まれていないが面白い作品はある。だが、そういう作品は評価が低くても、なにかしらの感想をもらっていたりする。

 あえて外部サイトで批評を依頼するのは、客観的にどう映っているのか判断しづらい人だろう。新人なんかもそうだ。

 だいたいロクなことにはならない。


 小説を書いた人ならわかるだろうか。自身の作品に悪いコメントをもらったらどれだけ傷つくかを。

 たとえ、覚悟して批評を依頼したとしても、実際にもらうと想像以上にキツいものがある。

 実際にこの読み速に依頼した人の中には、心折れて作品を削除した人もいた。


 とはいえ、読み速には指摘や感想に、同じ書き手同士の遠慮や気づかいみたいなものがあった。

 だから、見ていた部分もあった。

 だが、晒し依頼者や読者が増えるとともに、厳しい意見がより目立つようになっていった。

 作者に対する気づかいも薄れてきたように思う。


 特に寄せられたコメントを真摯に受け止めない作者には、より厳しい意見が飛んだ。

 それは~だからそうした。いや、ここは~の理由でしなかった。など言い返そうものなら、それを上回る否定の意見が飛んだ。


 感想をもらう→言い返す→さらに厳しい意見が来るといった負のスパイラルだ。

 それが、晒し記事をさらに盛り上げていた。



 そんな中、ある作品が晒し記事に掲載された。


 そうだな……作品名を「ワンワン仁王伝」とでもしようか。

 作者は「木原 学」。もちろん、仮名だ。


 この作品、いや、作者は、これまでの依頼者とは毛色が違っていた。

 寄せられたコメントに言い返すだけでなく、その内容がやけに攻撃的だったのだ。


 まずいなと思った。

 私自身、執筆者だ。けなされて攻撃的になる気持ちは分かる。

 だが、この場においては悪手だ。

 相手は匿名。作者は自身の小説アカウントを晒しているのだ。対等ではない。

 争えば必ず損をする。


 案の定、その後のコメントは荒れた。否定的な言葉で埋め尽くされた。

 これには本人も堪えたと思う。

 心臓がドキドキしていると書き込んでいたぐらいだ。


 ただ、全てが否定的なコメントではなかった。

 少ないながらも、普通の感想や、疑問、確認みたいなものもあった。

 その中に、瓶詰めジジイのコメントもあった。


 いちおう説明しておくと、瓶詰めジジイのコメント自体は理にかなっているものが多かった。

 晒し記事でもそうだ。作品を貶めようとする書き込みはなかった。

 今回も否定ではなく、質問、あるいは確認のような文章だった。

 瓶詰めジジイは確かにクレイジーではあるが、同じ執筆者という立場からか、書き手に対する気づいみたいなのはあったのだ。


 彼には自演に対する並々ならぬ怒りや嫌悪みたいなのがあったのだろう。

 そういえば過去記事で、誰かを自演呼ばわりする乱痴気書き込みがいくつかあった。

 おそらく、あれも瓶詰めジジイだ。

 間違った正義感を持ったジジイ。そんな印象を受けた。


 ――少し話がそれたか。元に戻そう。


 そんな普通のコメントも、厳しい意見に押し流された。

 長文で、いかに作品が稚拙か、矛盾があるか、ネチっこく指摘された。

 やがて、作者は返信しなくなった。

 それでいったん落ち着きを見せた。


 その後、これはさすがに叩き過ぎだとの意見が出た。

 だが、作者の態度に問題があるとのコメントが大多数を占めた。


 なんとも後味が悪かった。

 そこで私は一言コメントを残すことにした。


「作者を擁護するつもりはないが、こんなことしてたら誰も晒さなくなるぞ」と。


 それに対しての返信がこれだ。


「問題ない。代わりはいくらでもいる」だった。


 これは私の心に酷く突きささった。


 たしかにこの時、晒し記事は人気だった。

 晒し待ちの作者が十数人もいるような状態だった。


 だが、この言葉。

「代わりはいくらでもいる」


 この言葉が私の心をえぐったのだ。

 なぜなら、私も読まれない作者のひとりだ。このときは特にそうだった。


「お前程度の作品を書くやつはいくらでもいる。辞めたきゃ辞めろ。代わりはいくらでもいる」


 自身がそう言われているような気がした。

 

 ――私は読み速を見るのをやめた。



 それからどのくらい時が経っただろうか。

 一年? 二年? いや、半年かもしれない。

 正直、覚えていない。


 だが、ふと思った。

 そういえば読み速。晒し記事はどうなったんだろうか? と。


 サイトにアクセスした。

 晒し記事は過疎っていた。


 やっぱりな。ざまあみろと思った。


 それから私はどのような流れで記事が過疎っていったかを調べた。

 記事を一つ一つさかのぼっていった。


 前の記事まで一か月半。

 その前の記事まで一か月。

 どうやら、晒しそのものをやめたわけではない。

 ただ依頼する作者がいなくなっていたのだ。


 そんな中、とあるコメントが目に留まった。


「なんだ? 久しぶりに来てみたら、ずいぶん過疎ってるな」


 自分と同じように思っている人がいた。

 私と似たタイミングで見なくなったんだろうか? そう思った。


 その人のコメントはさらに続いていた。


「そういや、ワンワン仁王伝って作品あったよな。晒しで荒れたやつ」


 これもまったく同じだった。

 私も思い出していた。


 だが、次の瞬間――。


「その名前を出すなあああああ!!!!」


 ビックリした。

 正直、背筋が凍ったのを覚えている。

 書かれていたのは文字だが、本当に叫び声が聞こえたような気がしたのだ。


「やっと、やっと、落ち着いてきたのに。どうしてくれんだよ!」

「おまえ、責任取れんのか!?」

「ふざけんなよ! どうしてくれんだよ!!」


 まくし立てるように文章は続いていた。

 これは尋常じゃない出来事が起こっている。そう思った。


 そして、この書き込みの名前を見て、さらに驚いた。

 ――瓶詰めジジイだったのだ。


 なんだ?

 なにがどうなっている?

 自分がいない間に何が?


 気になった私は記事をさらにさかのぼっていった。

 だが、ハッキリとしたことはわからなかった。


 そこで、視野を広げてみた。

 瓶詰めジジイの小説アカウント、ツイッター(X)、他まとめサイトなどを調べたのである。


 そして、ある事実にたどり着いた。

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