『鶴の恩返し株式会社 〜その恩、契約制につき〜』

椎茸猫

『鶴の恩返し株式会社 〜ありがとうを織る日々〜』

 「……今日から、社会人ですっ!」


 駅前の改札を抜ける白銀の髪が、朝日にキラリと光る。


 ツル子、二十二歳。種族・鶴。職業・恩返し屋。


 満員電車に揉まれながら、彼女は内心で何度も自分に言い聞かせていた。


(初任給……もらったら、お母さんに羽織でも買おうかな)

(自分の織ったもので、誰かが笑ってくれたら……それだけでいい)


 そんなささやかな夢を胸に、彼女が降り立ったのは場末の商店街。その奥にある、くたびれた三階建ての雑居ビルの一室が、彼女の職場——「鶴の恩返し株式会社」だった。


 看板はない。ただ、ドアに貼られた一枚の紙にマジックで殴り書きされた社名。そして隅に小さく「3階まで階段」とだけ。


(……え、これ、本当に会社? 羽どころか、心も折れそう……)


 階段を上るごとに、不安も積み重なっていく。


 出迎えもなく、ガタガタと揺れるドアを開けると、そこは薄暗いオフィス。蛍光灯の半分が切れている。数羽の社員らしき鶴たちが、無言でPCを叩いていた。


「……新人か。来い」


 無表情で声をかけてきたのは、コウノ課長。サギっぽい顔立ちの男で、目元が冷たい。


「恩返しの基本はスピードと結果。織物の品質は最低限あればいい。ノルマ未達は減給。覗かれたら報告義務。働けるだけありがたいと思え。以上だ」


 ツル子は思わず「え?」と声を漏らしたが、課長はそれ以上語らなかった。


 社内の廊下には妙なポスターが並んでいる。


「狐の恩返し派遣」

「狸の腹鼓便——あなたの胃袋、鳴らします」


(……恩返し業界って、思ったよりカオス? ていうか、人間社会ってやっぱり怖い……)


 休憩室の自販機前で、同期のタヌ吉(狸)と遭遇。彼は缶コーヒー片手に、にやっと笑った。


「まーだここはホワイトな方さ。狐のとこなんて“覗かせてナンボ”って言ってたし」


「そ、そんな……! それってもう“恩”じゃない気が……」


 制服とIDカードを受け取り、更衣室で制服に袖を通すツル子。柔らかい布地が背中に落ち着くと、少しだけ胸がすうっとした。


(この服で、私は誰かのために働くんだ。……たとえ、効率優先でも、私のやり方で)


 仮配属を待つ間、掲示板の社訓『愛と効率』が目に入る。どこか空々しく感じながらも、彼女は視線を下に移した。


 掲示板の配属表に、自分の名前を見つける。


 派遣先:都内某所——見知らぬ人間のもと。


「私は、私らしく恩返ししたいんです……!」


 誰にも聞かれないよう、小さく呟いたその声には、鶴としての誇りと、一人の働く者としての決意が込められていた。



 都内某所のボロアパート。

 外観は年季の入ったコンクリート。郵便受けはサビて歪み、エントランスには自転車の残骸が転がっていた。


「……こ、ここ?」


 ツル子は配属リストの住所と目の前の建物を見比べて、首を傾げた。


(きっと立派なご恩人なんだよね……戦争から帰ってきた元軍人とか、お年寄りの福祉活動とか……)


 そんな淡い期待は、インターホン越しの声で砕かれる。


「……誰?」


 しばらくの沈黙ののち、ドアがギイと音を立てて開いた。

 現れたのは、ジャージ姿の二十代後半の青年。無精髭に寝癖、ゲームのコントローラーを持ったままだった。


「ツル子っす。鶴の恩返し株式会社から参りました」


「……え、マジで来るの? 通信販売の冗談かと思ってた」


(え? 通販……? もしかしてこの人、何も分かってない?)


 案内された部屋はカーテンが閉め切られ、埃っぽい空気が満ちている。

 一応の礼儀としてお茶を出してくれたが、ペットボトルの麦茶だった。


「で、なんかしてくれるんすか?」


「はい。私は織物を担当しておりますので……ええと、作業場をいただけますか?」


「はあ……その辺、使っていいっすよ」


 ツル子は部屋の隅に簡易織り機を組み立て、作業を開始した。


(恩返しって……もっと感動的な展開になるはずじゃ……)


 数時間後、青年がそっと近づいてくる。


「ちょっと……それ、何やってるの?」


「! 見ちゃダメですっ!」


 ツル子が慌てて織機の前に立ちふさがる。ルール違反、1減点。


「……え、そんなにダメなの? てか、なにそれルール?」


「規定で……その……私たち、織ってるところを見られると困るんです。……なんか、こう、裸を見られるみたいな感じで……っ」


 青年が微妙な顔をした。


「……わかった、わかった、変な意味じゃないし」


(はあ……いきなり減点。先が思いやられる……)


 夕方、彼はインスタントカレーを差し出した。


「食います?」


「……ありがとうございます。いただきます」


 その日の夜、ツル子は一度も目を閉じずに織り続けた。


(眠い……けど、終わらない……でも、やるしかない)


 ふと、青年がぽつりと呟いた。


「昔さ、母ちゃんがシャツ縫ってくれたことあって。なんか、手縫いのがあったかかったんだよね」


「……あったかいって、大事です」


 ツル子は織りながらも、そっとその言葉を胸に刻んだ。


(ああ……この人にも、ちゃんと“返したい”想いがあるんだ)


 カタ、カタカタ……夜が更けても、ツル子の織機の音は止まらなかった。



朝日が差し込む頃、ツル子は織機の前で軽く船をこいでいた。

 目の下にはクマ、髪はぼさぼさ、背筋も丸まっている。


(やっと……一段落……)


 眠気と戦いながらも、糸の一本一本に丁寧に想いを込めてきた。

 だがその頑張りを報いるように、スマホの通知音が鳴った。


《From: コウノ課長

「進捗報告、まだですか? 織物完成は明日朝まで。遅れたら評価マイナスです」》


「ひっ……」


 ツル子の背筋がぴんと伸びる。スマホを落としかけた。


(明日の朝って……あと一晩!?)


 焦りのあまり、糸を引く手に力が入りすぎる。ぴしっ。

 乾いた音と共に、糸が切れた。


「……あ」


 目の前で、織りかけの布がぐにゃりと歪む。


「うわ、マジで? やばくね?」


 後ろから青年の声。彼はカップ麺片手に覗き込んでいる。


「見ないでくださいって言いましたよね!」


「ご、ごめん!」


 ツル子は咄嗟に布を隠した。違反2回目。社則では“厳重注意対象”。


 青年はバツの悪そうな顔をして、そっとカップ麺をツル子の横に置いた。


「……それ、朝飯。徹夜っぽいし。卵は……入ってないけど」


 ツル子はうつむいたまま、それに小さく「ありがとうございます」と返した。


(織り直さないと……でも、間に合うかな)


 息を吐いて、再び織り始める。だが指は震え、視界は霞む。


 そのとき、スマホがまた震えた。着信:同期・タヌ吉。


『お前、まだ現場? 無理すんなよ。ノルマなんかより、体だぞ』


(……やさしいな)


 目頭がじんと熱くなる。でも——


(でも、私は……この人に、ちゃんと返したい)


「バカじゃん、お前」


 唐突に、青年がぽつりと呟いた。


「え……」


 ツル子が顔を上げると、彼は天井を見上げたまま、真面目な顔で言った。


「だって、見返りとかもないんでしょ? 減点されてまで、そんな必死にやるとかさ……バカみたいじゃん」


 少しの沈黙ののち、ツル子は笑った。とても小さく、でも確かな笑みだった。


「……そうかもしれません。でも、私はこの仕事が好きなんです」


 青年は、ツル子の背中を見つめた。何かを言いかけて、飲み込む。


 もう一度、織機の前に座り直す。

 ツル子は、折れそうな自分を、糸に縫い留めるように、作業を続けた。



夜が明ける直前、ツル子は最後の糸を織り終えた。


(……できた)


 布は温かみのある深い赤で、中央には羽根を模した模様が浮かび上がっていた。

 徹夜明けの体はボロボロだったが、ツル子の目には満足の光が宿っていた。


 そこへ——ピンポーン、と玄関のチャイム。


「お届け物でーす。鶴の恩返し株式会社、最終成果物の確認に参りました」


 現れたのはコウノ課長。スーツ姿にサングラス、手には査定用タブレットを持っている。


「……完成はしたようですね。では品質チェックを」


 コウノは淡々と布を広げ、端から端まで目を通した。唇がぴくりとも動かない。


「品質、問題なし。納期もぎりぎり合格。ただし、規定違反2件。減点評価により——試用期間継続」


「……はい」


 ツル子は静かに頭を下げた。


「ふん。まあ、あのレベルなら……合格にはしてやってもいい。では次の現場へ——」


 そのとき、背後から声がした。


「……ちょっと待ってくんない?」


 青年だった。寝癖のまま、ジャージ姿で立っている。


「おいお前、依頼者が査定に口出しなど——」


「いや、俺、言いたいことあるから」


 青年はツル子の手元の布を見て、息をのんだ。


「……これ、俺がガキの頃に母ちゃんが作ってくれたシャツに、色も模様もそっくりなんだよ。……すげぇ、懐かしい気持ちになった」


 ツル子は目を丸くした。


「そっか……無意識に、似せちゃったのかもしれません」


「……ありがとな」


 ぽつりと落とされたその一言が、ツル子の胸にじんわりと染みた。


「ありがとう。マジで、心から」


(——この言葉のために、私は織っていたんだ)


 胸の奥にじわりと温かいものが広がる。


 静寂が落ちた。


 コウノは腕を組んでいたが、ふと目を細め、タブレットを閉じた。


「……減点、1件分取り消しておこう」


「えっ?」


「その“ありがとう”が正当な評価だと……今回は、認めてやる」


 ツル子は驚いた顔で、青年とコウノを交互に見た。


「それと——ツル子。次の配属まで、少しだけ、休暇をやる。自主希望ってことにしとけ」


「か、課長……!」


 ツル子の目に、ぽろりと涙が浮かぶ。


(ちゃんと、届いた……私の恩返し)



朝日が差し込む部屋で、ツル子はソファにぐったりと倒れていた。


「休暇……って、何すればいいんでしょう……」


 思わず口にした独り言に、横から青年の声が返る。


「寝ろよ、素直に。てか、まず風呂入れ」


「……はい」


 素直に脱衣所へ向かったツル子。湯船に浸かると、体中から疲労が溶け出すようだった。

 ぽつり、と声が漏れる。


「……あったかいって、大事ですね」


 その夜、ツル子は久しぶりにぐっすりと眠った。


***


 数日後。

 ツル子はコタツに入ったまま、タブレットを眺めていた。


《次回配属先:小学校図工室 勤務期間:1週間》


「図工室?」


「お、子ども相手か? それはまた大変そうだな」


「……でも、ちょっと楽しみです」


 青年——ヨウスケはカップを差し出す。


「ほら、麦茶。……卵は入ってないけどな」


 ツル子は笑った。


「ありがとうございます。……今度は、感謝を伝える側になれるといいな」


 ヨウスケは少し驚いた顔をしたが、すぐに照れ隠しのように鼻を鳴らす。


「……お前がそう思えるなら、なんか……よかったな」


「はい」


 静かな時間が流れる。

 部屋の空気は、どこか柔らかく、優しかった。


 ふと、ツル子は立ち上がり、バッグから一枚の布を取り出す。

 深い赤の羽模様の布——先日納品したのとそっくりだが、これはヨウスケのためにもう一度織ったものだった。


「これ……よかったら、どうぞ」


「え、なに、また仕事じゃなくてプライベート布?」


「はい。報酬も査定も、もう関係ありません」


 ヨウスケは受け取り、しばらく無言で布を撫でていたが、小さく呟いた。


「……ありがとな」


 ツル子は微笑む。


「次は、図工室の子どもたちのために……少しカラフルな布を、織ってみます」


(これからも、私は織り続ける。

 誰かの“ありがとう”が、私にとっての恩返しになるから)



※この作品を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。

あなたの毎日に、たくさんの幸せが訪れますように。  椎茸猫

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『鶴の恩返し株式会社 〜その恩、契約制につき〜』 椎茸猫 @Runchan0821

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