第11章 世界のふちに立つ

世界のふちに立つ―①

 ほんの少しの好奇心だったのだ。

 

  


 彼は、田舎貴族の長男で、地元では神童しんどうとうたわれた。

 家格かかくで言えば、王立学園に通うのには、ぎりぎり許されるレベルだった。


 おそらくがもう少しにぶければ、王立学園など目指さなかった。地元にも名門校はあった。

 だが、彼は、王立学園入学レベルに届いてしまった。


 しかし、届いただけで、トップクラスにはなれないことを、入学後すぐに悟る。

 努力してようやく、中の下を維持できるレベルだった。


 スポーツも、芸術も、得意ではなかった。

 おしゃれの仕方も、王都の流行も知らなかった。

 高貴な生まれでも、大金持ちの子どもでもなかった。

 有名人の知り合いでも、だれかの命の恩人でもなかった。


 実家では、王立大学を出た家庭教師をつけてもらっていた。

 家庭教師は、効率的に受験勉強を教えてくれた。

 結果、入試を突破する力だけがついた。


 家の手伝いもしなくてよかった。 

 家族の願いは、彼が王立学園の生徒になることだったから。

 彼の夢は、王立学園に入学することだったから。


 彼は父の仕事の内容を知らない。

 母が地域でどんな役割を果たしていたかを知らない。


 趣味もなかった。

 興味のもてる分野もなかった。


 語るべきもののない、ツマラナイ少年。


 気づくと、彼はそんな人間になっていた。


 わる目立ちするタイプではなかったから、いじめられることはなかったが、友人と呼べるものは中等部に入学して、1年たっても作れなかった。

 彼はひとりだった。


 夏休みのあいだ、彼は実家でうそをつき続けた。

 王立学園はすばらしいところで、どの授業からも深い学びが得られ、数少ないが友人もでき、充実していると。


(なぜ、そんなうそをついてしまったのだろう)


 辞めたいと、言えばよかった。

 地元でやり直したいと、訴えればよかった。

 助けてと、叫べばよかった。


 そうすれば、こんなことにはならなかったのに。

 

 狂ったように、非常鐘ひじょうしょうがなりひびいている。

 5連打、1拍、5連打、1拍、5連打……。


 目の前には巨大な化け物のかおがある。

 赤い邪眼が彼をとらえている。

 チロチロと出ている舌の先は二股ふたまたに分かれている。

 シューシューと臭い息がかかる。


 彼は手に持っていた書物を、無意識のうちに落とした。

 

 ほんの少しの好奇心だった。

 ほんの少し、自分も、特別な力がほしかった。

 特別な経験をしてみたかった。


 彼らのように。

 光の乙女と、5勇士のように。

 白光きららと、アリスティド王太子、そしてバンジャマン=アルジャン。


 いったい、どこでまちがったのだろう。

 彼は思う。


 図書室で借りた一冊の本をうっかり汚してしまい、ごまかそうとして王都に出た。

 目当ての本はなかなか見つけられなかった。


 3軒目にたどり着いた小さな路地にある古書店。版は違うが、タイトルの同じものがあった。

 もうこれでいいやと思った。


 せっかく王都に出てきたのだから、ついでにほかにも買っていこうとした。

 どうせなら、闇魔法の本が良い。


 本屋のすみのほうでうずもれていた1冊の本を手に取った。

 妙に心ひかれて買い求めた。


 冒頭部にあったのは、うそかマコトかもわからない、とっつきやすいおまじないのたぐい。

 気やすめのようなものだ。


 実用書にしては、とてもおだやか、かつ、わかりやすく記されていた。


 この本の作者は、きっと、頭が良いのと同時に、すぐれた人格者なのだろうと思われた。


 語りかけるような文章で、中学生でも、抵抗なく読めた。


 しかし、やさしい文章はそのままに、しだいに深まってゆく、あやしげで、邪悪な魔法の記述。


 だれかに相談することもせずに、読みふけり、夢想した。

 本当にこんなことができたら、すごいな。


 だが、実際にやってしまったら……。

 彼は、みずからをいましめるべく、法律の本を読んだ。禁術に手を出したものがどうなるか調べた。


 果たして、戒めのためだっただろうか?

 ぬけ道を探そうとしたのではなかったか?


 少年自身にもわからない。

 ただ、夜も昼も、その本が頭から離れなくなった。


 彼は取りかれてしまった。

 始終しじゅうぼおっとして、ほかのことが何も手につかなくなった。


 幻覚か、幻聴か、とらえどころのない幻のようなものが彼の精神をむしばんだ。


 ふと、そこに書いてあった荒唐無稽こうとうむけいな呪文を、ひとつだけ、試してみようと思いついた。


 だれにも見とがめられず、もしものときには助けてもらえるタイミングを探した。

 機会は、思いがけず、おとずれた。


 明星王が13年12月7日に、エトワール=アーブル子爵の講演会が、本校で開かれるという。


 その日なら、人は講堂に集まり、彼のじゃまはされない。

 その日なら、何かあっても、名高いアーブル子爵たちが助けに来てくれる。


 自分の開いた〈門〉から、本当に魔物が出てきたとしても、さっと逃げてしまえば良い。

 見つからなければ、しかられまい。


 そんなふうに簡単に考えたのだ。


 だって、もしもこの本が本物なら、すごいじゃないか。

 それを引き当てた自分は、選ばれたナニカだ。


 輝ける5勇士のように。

 みなが憧れる人気者の彼らのように。


 試してみるだけ。

 一度だけ。

 さいわい、自分には闇魔法の素質がある。


 


 それは、闇魔法の領域にあるものらしい。

 作者の妄想、あるいは、冗談かもしれない。

 いや、おそらくそうだろう。

 

 だから、大丈夫だ。

 いわゆる思春期病ちゅうにびょうというやつだ。

 まさしく、自分は、そういう年頃なのだから。


 失敗して、ひとり照れ笑いして、それでおしまい。


(おしまい……)


 蛇が、カッと大きなあごを開いた。

 彼は逃げ出すこともできずに、ぼんやりとそれを見ている。


 夏休みに帰ったわが家の情景が浮かんだ。


 父さんが、「そろそろたしなんでもいいんじゃないか」と、初めてコーヒーをれてくれた。初めてだから、ミルクをたっぷり入れて割って。

 それでも苦くて目を白黒させていたら、

「やっぱりまだ早かったかな」

 と笑っていた。


 学園に戻る前の日には、母さんが、故郷の料理を作ってくれた。お祭りのときにしか食べないようなごちそうだった。

 大好物の焼きたてミートパイもあった。

「おいしい、おいしい」

 と喜んで食べていたら、おなかが痛くなった。

「もう、ばかねぇ」

 と言って、胃薬を持ってきてくれた。


 庭のブランコで妹たちが遊んでいた。

「兄さんもいっしょに遊びましょう。じゅんばんに2人乗りするのよ」

 と、誘われたけれど、恥ずかしくて断った。

 2人乗りくらいしてあげればよかった。


 彼が死んだら、やさしい家族は、悲しむだろう。

 そして、彼のついたツマラナイうそを知るだろう。


 本当は、授業についていくだけで必死で、友人などひとりもいなくて、空虚くうきょな日々を過ごしていたのだと。


(なぜ、あんなうそをついてしまったのだろう)


 辞めたいと、言えばよかった。

 地元でやり直したいと、訴えればよかった。

 助けてと、叫べばよかった。



 さみしいと、泣けばよかった……。


   ***


 断末魔の叫びはほどなく消えた。


 だれに知られることもなく、大蛇おろちによって、ひとりの生徒の命が奪われた。


 大蛇は前菜をぺろりと食べつくすと、ずるずると〈門〉から身を引きずり出し、その巨体のすべてを現した。


 〈門〉は、礼拝堂の中とつながっていた。


 よく手入れされた祭壇さいだんや、礼拝におとずれた者たちが腰かけるベンチが整然と並んでいる。

 ふだんは、清澄せいちょうな空気に満たされた場所だった。


 大蛇は、うるさそうに体をひねった。

 ベンチがバキバキと音を立てて砕けた。

 固定されていた祭壇が吹き飛び、壁に激突した。


 せっかく出てきたというのに、箱に閉じ込めれているようで、蛇は不愉快だった。

 頭上でかしましく鐘がなっているのも気になる。


 首をもたげ、思い切り、身をくねらせ、箱ごと破壊した。

 礼拝堂が、がらがらと音を立てて崩れた。


 ようやく空が見えた。

 あいにくの曇り空で、おまけに、予想していたよりも外は寒かった。


 しかし、久しぶりにうまい肉を食った蛇のきげんは、そんな些細ささいなことではそこなわれない。


 近くから、小さき者の良い匂いがたくさんしている。

 さて、狩りに出かけるとしよう。

 蛇は、大きくのびをした。


   ***


 蛇が移動したあと、〈ゲート〉から、トトトと現れたのは、2羽の鶏だった。

 鶏の魔物は、蛇のおこぼれをせっせとついばんでいたが、そこに、ぬうーと何かが出てきた。


 鶏たちは、びくっとして、あわてて瓦礫がれきの向こうへ逃げた。


 鶏を追ってきた狐の魔物だろうか。

 それとも兎の。


 否。

 それは、長い手足を持つ獣であった。


 青みがかったくすんだ銀色の毛をした、あかい顔をもつ、猿に似た魔物。


 猿のような魔物は騒ぎ立てもせず、静かに暗がりから出てきた。


 そのまま無言で、魔物は、瓦礫がれきだらけの床をまさぐり、やがて、打ち捨てられていた一冊の本を探し当てた。


 少年が持っていた本だった。


 魔物ののど奥から、くっくっ、と、うれしそうな笑い声がもれた。

   

 ふと魔物は、椅子の残骸ざんがいにひっかかっていた黒いマントに目をとめた。

 少年が、脱いで置いておいたものだった。


 魔物はマントをふって、ついていた土ぼこりを軽くはらったあと、器用にそれを羽織った。魔物のからだが、おおよそすっぽりと隠れた。


 気を良くした魔物は、本を持つと、暗がりには戻らずに、さぁっと礼拝堂から去っていった。

 行くあてでもあるのか、進む方向に迷いはなかった。


 『影の魔導書』


 持ち去られた本の表紙には、そう記されていた。





ご覧いただきありがとうございます(・▽・)

どうぞまたお気軽にお立ち寄りくださいませ

   💫次回更新予定💫

2025年11月17日 月曜日 午前6時46分




 




 

 


 



 

 






 

 

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