世界のふちに立つ―②

 バンジャマンのことばは、いだやいばのように切りいてゆく。

 かくされた事実を。

 かくした心を。


「なぜ、王立学園内に〈ゲート〉ができたのか。それも礼拝堂に。もちろん、〈門〉の成り立ちのすべてが解明されているわけではない。だが、いまだかつて、魔法結界内に、〈門〉があらわれたためしはない」


 リュンヌは、そっとポンペットを抱きあげた。

 バンジャマンは、彼女の行為をとめはしなかったが、怒りにみちた目でポンペットをにらみつけている。


「王立学園は、貴族の子女をあずかるというその性質上、防衛結界がはられている。王太子アリスティドが入学するさいに、それは二重がけに増強された」

 バンジャマンは続ける。


「そうだね。だから、アリスティド付き以外の生徒の個人護衛は、学内に入ることを許されない。他人の護衛が、アリスティドを害することがないように。校門までだ。ソワレ家でさえも、護衛が必要なら、学外に出るときに、そのつど、呼びよせる」

 シャルルがうなずいた。彼の個人護衛であるカインも、学内にいるわけではない。


「きららさんが入学して、さらに強化されたはずだ。反乱分子テロリストや、誘拐犯ゆうかいはん、魔物だって、結界内に侵入しようとすれば、すぐに察知される。まさしく、アリの入りこむすきまもない状態だ。だが、中から手引きしたなら、別だ。禁術――たとえば、人間の手で、〈門〉を作りだすというような、そんなすべがあるとすれば」


 バンジャマンは本当に頭が良いのだ、と、リュンヌはぼんやりと思う。


 の実物を見てもいないのに、正解にたどりつくのだから、と。


「外からは入れない。しかし、内部から外に出ることは、たやすい。護符や呪符の持ちこみは厳重にチェックされるが、生徒が勉学のために外で買い求めた古書などは、いちいち調べられない」

 バンジャマンは事実をひとつひとつ積みあげてゆく。


「『影の魔導書』の影は、表に出られないもの。光のささぬ場所。ひとを魔界へと導く、あるいは、魔物をひとの世へ導く書物だったのだ」


 ポンペットは、リュンヌの腕のなかから、悲しそうにバンジャマンを見上げる。


 鳥のようすに、きららがことばを失う。

 それが正鵠せいこくを射ていると、彼女にはわかる。


人死ひとじにが出るところだったんだぞ」

 バンジャマンは、怒りにふるえている。


「最大級の魔物だ。たまたまアーブル子爵がいた。魔物との戦闘にけた子爵の配下がいた。アーブル銃があった。ドリアンが光の剣を得た! だが、それは、たまたまの幸運でしかない。いくら光の乙女と勇士と言えど、きららさんと、ぼくと、アリスティドだけでは、あの戦いは負けていた。あの日は、1級魔法士のソワレ先生も、シャルルもいなかったんだ!」


 バンジャマンは、きっといつも、勝ち戦ですらも、戦局を分析しているのだろうと、シャルルは思った。


 なぜ勝てたのか。

 もし、何が足りていなかったら、負けていたのか。

 

 条件を変え、何パターンも考えるのだ。

 次の戦いのために。

 仲間を生かすために。


「裏切り者……っ」

 バンジャマンの弾劾だんがいの声はかすれていた。

 シャルルは、何も言えなかった。


 シャルル自身がボア領で目の当たりにしてきた悲劇。

 ボア領主の欲望のために、手引きされた魔物。

 何百もの命が散ったアーク地区。


 あれこそ、人間の愚かさの具現ぐげんだった。

 ある意味、人災と言ってもよかった。

 その罪をあばいてきた。

 そのために、ウジェーヌは、シャルルは、ルゥルゥは、心ある兵士たちは、命がけで戦ってきた。


「犠牲者が出なかったからといって、とうていゆるされるものではないぞ」


 バンジャマンは、シャルルよりも早くに戦場に出ている。


 魔物を狩るなかで、いくつものこぼれてゆく命を見てきたのだろうと、シャルルは思う。

 バンジャマンの気持ちがよくわかる。

 シャルルは、バンジャマンを止める言葉をもたない。


「犠牲者は出たわ……」

 うつむいたまま、リュンヌが言った。


「ガスパールは、大蛇おろちの被害者なのよ」

 ポンペットを胸におしいだいて、リュンヌは言った。


「そんなもの、自業自……」

 すぐさまバンジャマンが反論しようとして、口をつぐんだ。


「バンジャマン、ガスパールは、もう……」

 きららが、泣きそうな顔で首をふった。


「……っ少し、頭を冷やしてくる」

 バンジャマンががたんと椅子を蹴立けたてて、図書室から出ていった。


「ちょっと待って」

 シャルルがあわてて後を追った。


「……きららさん、あなたのことばは、バンジャマンさんに届くと思うの。バンジャマンさんを追いかけてくださらない?」

 リュンヌが、きららに頼んだ。


 つかの間、逡巡しゅんじゅんしたが、

「わかったわ」

 きららはポニーテールを揺らしながら、ぱたぱたと出ていった。


 日の差しこむ明るい廊下で、きららはシャルルに追いつく。

「シャルル!」

「あれ、きららちゃん」

「わたしも行くわ」


 シャルルは、バンジャマンの消えた方を見やり、きららが来た方を見た。

「それなら、バンジャマンをお願いしていいかな。ぼくは、先生にリュンリュンのことをたのまれているし……」


「それもそうね。リュンリュンさんをよろしく」

 きららを見送ってから、シャルルは、きびすを返した。


 図書室の重い扉は、ほんのわずか、閉まりきっていなかった。

 ノブに手をかけたところで、シャルルの良い耳が、リュンヌのすすり泣く声をひろってしまった。


 リュンヌ=ソワレでさえなければ、シャルルは、そくざに扉を開けて、泣いている女の子をなぐさめただろう。

 彼には、女の子のあつかいに関する経験もテクニックもあったから。


 だが、シャルルは、らしくもなくためらった。

 ためらっているうちに、声が聞こえた。


「ねぇ、ガスパール。?」


 シャルルの手が、だらりと垂れさがった。

 1歩、2歩、シャルルは無人の廊下をあとずさる。

 そして、ごく小さな声で、すばやく呪文を唱えた。


 風魔法。『音の通り道』をひらく。


「『影の魔導書』にあったでしょう? 殺される前に、時を戻しさえすれば、やり直せた。それとも、あらわれたのが猿ではなく蛇だったから、そのひまはなかったのかしら……」


 シャルルは、ひとことも聞きもらすまいと集中する。脈打つ心臓の音がうるさい。


 呼吸をすることもじゃまだと思い、それではだめだと、芯からたたきこまれてきた魔法使いは思いなおして、呼吸を整える。


、明星王が14にアルジャン領にあらわれた大蛇は、37名の命を奪ったと聞いたわ。 わたくしはね、じぶんのもつ宝石からいくつか売って、アルジャン領へのおみまいとしたの。みんなほめてくれた。王太子の許嫁いいなずけの善行は、高位令息、令嬢の中でちょっとしたブームとなって、読み売りの記事にもなったのよ。幼稚ようちな公爵令嬢は、得意満面とくいまんめん


 もしもいま、目の前のかたい扉を開けたなら、自分は、リュンヌによく似た、いくつか年上の女性のかおを見るのだろう、と、シャルルは思った。


「おなじころ、大蛇をしりぞけたばかりの光の乙女は、自ら負った傷もかえりみず、アルジャン領の傷ついた人々の手をとって癒やし、励ましていた」


 あいづちを打つような、鳥の声がした。


「きららさんは、立派ね。無力感にうちのめされていたバンジャマンさんのことも、せいいっぱい力づけていたそうよ。アリスティド様から聞いたわ」


 リュンヌは、続ける。


「それを聞いたとき、わたくしは、『きららさんは、バンジャマンさんのことがお好きなのかしら』と言ったのね。殿下はショックを受けたお顔をしていたわね。……いやだ、いま思い出してみると、とてもオモシロイお顔だったわ」


 くすくすと、リュンヌのしのび笑う声がした。

 こんなふうに笑うのを、シャルルは知っている。

 女性が過去に置き去った恋をふり返るときの笑い声だ。


「大蛇は、そのあとも、いくどとなく異なる〈門〉から姿をあらわし、何人もの人間を襲ったの。〈門〉は、各地に開くの。大蛇が最も大暴れしたのは、ボア領だったはずよ。ちがうかしら。暴虐ぼうぎゃくのかぎりをつくしたのは、わたくしの手元だったかもしれない……」


 手元とはどういう意味だろうかと、シャルルは疑問に思う。

 疑問はそのままに、いまは、話を聞く。


「ごめんなさい、かわいそうなガスパール。わたくしが先に『影の魔導書』をおさえていたなら、あなたは禁術にふれずにすんだ。わたくしが、昔、『影の魔導書』の経路をあきらかにしておれば、今生ではすぐさま手に入れて、けして世に出すことなどしなかったのに……」


 リュンヌはため息をついた。


「わたくしの1度目の人生では、ある日、ふらりと散策した植物園のかたすみにあるベンチに、それは、忘れもののように置いてあったの」


 リュンヌは、シャルルが聞いているとはまったく思ってもいないようだ。

 無防備むぼうびにかたる。


「ぱらぱらとめくってみたら、あまりにもあやしげな古書だったから、植物園には届けずに、その日大学の寄宿舎から帰省するはずだったお兄さまに相談しようと思ったの。闇の特級魔法士、『漆黒のウジェーヌ』なら、たちどころに解決してくれるはず。だけど、お兄さまは、緊急で魔物退治の要請を受けて、家には帰ってこなかった。……わたくしは、その夜、本を開いてみた……」


 ポンペットが、ヒヨヒヨ声で答えた。


「もうわかっているわ、ガスパール。あなたの心残りは、『影の魔導書』ね。あの本を、この世から抹消まっしょうしてほしいのでしょう? このさき、自分のようにまどわされる者が生まれないように」


 バサバサと羽ばたきの音がした。


「あなたは、良い子ね、ガスパール。あとできららさんに、本来ほんらいくべき美しい場所に送ってもらいましょう。大丈夫よ、たどりつけるわ。あなたは、わたくしとちがって、自分以外のだれも傷つけてはいない。自分の愚かさに気づいても、時を戻すことをしなかった」


 リュンヌは、やさしく言い聞かせている。


「あなたは、自分の世界の終わりを見た。こわかったでしょう? わたくしはね、自分の世界が終わる前に、。時を戻すということは、それまで必死に生きてきた人の人生を、なかったものにすることなのよ」


 声が聞こえなくなった。

 シャルルは、なにくわぬ顔で入室すべきかどうか考える。


 リュンヌはまた、ひっそりと泣いているのかもしれない……。


 ふたたび、リュンヌの声が聞こえ始めた。


魔虎まこに踏みにじられるはずだったアーブル領の村。大蛇おろちに食べられるはずだった人々。黒狸こくりによってこの世から消えるはずだった街。どれだけ救おうとしても、救っても、救ったつもりでも、死ぬはずのなかったかもしれない命が散ってゆくの、あなたのように。……けれど、ごめんなさい、ガスパール。わたくしは、あなたを生きかえらせるために、時を戻せない」


 リュンヌは、きっぱりと言った。


「あの魔法は、一度しか使えないから。いいえ、もし使えても、やはり、使わないわ。わたくしは、己の世界の終わりに立たされても、もう二度とみなの世界を滅ぼしたりはしない。――神ならざる身に、この世界は重すぎる……」


 リュンヌが、ルミヌ教の聖句を唱えた。


「けれども、約束するわ、ガスパール=デュポン。『影の魔導書』は、さがし出して、かならずわたくしが滅却めっきゃくする」


 ヒィー、ヒィーと、トラツグミが鳴いた。

 シャルルは、胸がつぶれそうな気がした。

 鳥がこんなふうに悲痛な鳴き声で叫ぶのを、シャルルははじめて聞いた。


 かたん、と、椅子が引かれる音がした。

 リュンヌが立ちあがったのかもしれない。


 部屋のなかを移動しているようだが、外に出ようとはしていない。


 シャルルは、風魔法を使って3センチほどくうに浮き、廊下を8メートルばかり、すべるように戻った。


 着地して、いったん息を整える。

 それから、わざと足音高らかに図書室に向かい、ガチャリとドアノブをまわして、ばーんと扉を開けはなった。


「やあ、リュンリュン、お待たせしたね! ぼくがいなくて、寂しくて泣いてなかったかい?」


 机のうえに、地図を広げようとしていたリュンヌ=ソワレが、ふり返って、平坦に言った。

「まるで意味がわからないわ」


 もしもここにきららがいたなら、

(リュンヌさんてば、能面みたいなカオになったわ)

 とでも、思ったことだろう。

 


 



ご覧いただきありがとうございます(・▽・)

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   💫次回更新予定💫

2025年11月20日 木曜日 午前6時46分


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