水無瀬夫妻の馴れ初め

六斗仁

プロローグ 人生の通知表

 「結婚式は人生の通知表だ」と誰かが言った。

 

 いわく。結婚式の規模や内容、列席者の顔ぶれなどを見れば、新郎新婦がこれまで積み上げてきた人間関係や社会的地位のレベルが、如実に見て取れるのだそうだ。

 

 確かにそれは、一理ある。

 

 しかし、この水無瀬みなせ夫妻の結婚式を見て、その「採点」ができる者がいるだろうか。


 いや、いない。


 

 


 新緑が輝き、雲一つない晴天に恵まれた、5月のある日。


 京都市左京区に鎮座ちんざする下鴨しもがも神社の境内では、水無瀬みなせ夫妻の結婚式が執り行われようとしていた。


「う、うひゃぁ~。すごい人が、いっぱい……」


 控室に居並ぶ列席者たちを前に、結花ゆいかは緊張しきっていた。


 水無瀬結花みなせゆいか。18歳の、うら若き乙女である。その顔にはまだあどけなさが残るが、つややかな黒髪に白無垢がよく映えていた。


「結花さん、もっと気楽に行きましょう。別に取って食われたりしませんから」


 初々しい花嫁に、花婿はなむこは優しく声をかける。


 水無瀬薫みなせかおる。28歳の、聡明そうめいなる美丈夫びじょうふだ。180cmの長身を黒の羽織袴はおりはかまに包み、つややかな銀髪をなびかせるその姿は、さながら絵画のようである。


「ほら、深呼吸して」

「すー、ふぅー。すー、ふぅー」

「落ち着いてやれば、大丈夫です。私がついてますから、ね?」

「は、はい! がんばります! すー、ふぅー!」

「フフ……その意気です」


 どこまでも健気な結花の姿に、薫の顔がほころぶ。完璧に整えられた前髪の奥で、竜胆りんどう色の瞳が、きら、と輝いた。


(ああ、やっぱり綺麗な人……)


 結花は、自分の夫となる男に思わず見惚れ、頬を染めた。すでに同じ屋根の下で過ごしているというのに、未だにこの造形美に慣れず、どぎまぎすることが多い。


(大丈夫、薫さんがついてる。落ち着いて、平常心で……)


 斯様かような好青年に寄り添われてなお、結花が緊張を隠せない理由は、列席者の顔ぶれにある。なにせ新郎側の列席者には、京都府知事、京都市長、京都府警本部長、皇宮こうぐう警察本部長と、錚々そうそうたる顔ぶれが揃っているのだから。


「やあやあ皆さん、お久しゅう!」

「両陛下ご訪問の時以来ですね、このメンツが揃うのは」

「いやあ、こんなめでたい場で集まれて良かった。一時はねえ、どうなることかと思いましたからねえ」

「ええ、ええ。あの二人がこの街におってくれて、ほんまに良かった」


 わいわいと盛り上がる重役たち。その部下たちも、各々おのおの凛々りりしい儀礼服姿で馳せ参じている。


 そして――皆容赦なく、新郎新婦へ祝福と期待の視線を向ける。それはもはや、「二人の幸福を願う」などというレベルを超えた、まさに英雄ヒーローを見る目そのものであった。


 しかし、それもそのはず。


 二人は先日、京都全域を震撼させた、ある重大事件を解決したのだから。


「結花さーん! もう一回、こっちに目線くださいな!」


 翡翠ひすい色の留袖とめそで姿でカメラを構えるのは、薫の姉貴分、梅辻吉乃うめつじよしの。柔らかい亜麻色のボブヘアーが印象的な、妙齢の美女だ。


「今度はアップで撮りますよ! ほら、レンズ見て~」

「は、はい!」

「いきまーす、さん、にい、いち、はい! さん、にい、いち、はい! いいですよ、可愛いですよー!」


 その後ろから、黒髪の男が気だるげに声を掛ける。


「吉乃お前、何枚撮るねん。コスプレスタジオやないんやぞ」

「いいんですー。葵生殿あおいでんに入ったら撮影禁止ですし、今のうち存分に記録しておかないと! ほらほら、暇ならレフ板持ってくださいな!」

「ええー、だる……」


 松下風磨まつしたふうま。薫の兄貴分にあたる男。濃紺の羽織袴はおりはかまあやしく着こなし、米津玄師のごとく重い前髪の陰からは、エメラルドグリーンの瞳が覗いている。

 

 吉乃と風磨は、結花と薫の縁を取り持ち、事件解決に貢献した立役者だ。二人はこの後の披露宴でも、新郎新婦のめ紹介をすることになっていた。


「風磨、もっと下から構えて。それだと顔に影ができるでしょう」

「へいへい」

「はい、は一回!」

「へい」


 相変わらずな二人のやりとりに、結花は思わず苦笑する。


「ふふっ。吉乃さん、張り切ってますね」

「ええ。昨日も彼女、遅くまで馴れ初め紹介の練習をしていたそうですよ」

「そ、そんなに気合を入れて……?」

「はい。結花さんがこの街に来たあの日から今日までの軌跡を、さいり、余すことなく伝えると言っていました」

「うー。なんか恥ずかしいです……」

「フフフ……仕方ないですね、こればかりは。実際、私達の馴れ初めについては、ここにいる皆が聞きたがっているでしょうから」

「そ、そうかな……? そうかも……」


 結花の脳裏に、ここ2ヶ月の間に起こった、様々な冒険の記憶がよぎる。


(――本当に、夢みたい……)


 それは――彼女が身売り同然の状態で水無瀬家に嫁ぐことになってから、今の幸せに至るまでの、まさに大奮闘の軌跡だった。


「皆様、お時間となりました。これより参進さんしんの儀を執り行います。新郎様・新婦様を先頭に、控室前にご整列をお願い致します」


 巫女が告げる。


 ガヤガヤとしていた控室の空気が、ぴん、と引き締まり、皆が表へ歩み出た。


 ほどなくして、下鴨神社の参道に、絢爛けんらんたる婚礼行列が出来上がる。


(ああ、私……本当に結婚するんだ)


 遅れてやってきた、確かな実感。いつの間にか、緊張の糸はほぐれている。


 結花は、落ち着いた表情で前を見つめた。


 そよ風が、白無垢の袖を揺らす。


 やがて、巫女が始まりを告げる。


「それでは皆様。いざ、参りましょう」


 新郎新婦は、少しの間、見つめ合い。


 ゆっくりと神域へ歩き始めた。





 ――これは、後に「裏京都うらきょうと二英傑にえいけつ」と呼ばれた水無瀬夫妻の、馴れ初めの物語である。

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