万能メイドは電気技師の嫁に成るか

王美鈴

万能メイドは電気技師の嫁に成るか


 コンクリートに打ち付ける雨。水溜りを轢く車。反射するライトを捕らえた水面は、車が居なくなる度に、断続的に闇に染まる。

 その闇の端で、僅かに輝き続けるのは小さな月だ。形は変われど、変わらない光量でそこに居続けてくれる。

 彼女もまた、僕にとってはそんな存在だった。


「おかえりなさい光輝こうき


 ただいま、と言う僕の姿を見て、彼女はすぐさま浴室に走りゆく。そして戻ってきては、その手に抱えたバスタオルを差し出してくる。


「お使いください」

「ありがと、ミツキ」

「もう。どうして傘を忘れたのです? 本当に忘れんぼですね」


 物腰は柔らかいが、その無機質な声で言われると、かなり問い詰められている感じがする。と言ってもそんなのは昔からで、ましてや物心ついた頃からだし、特段気分を害すことは無いが。


「あはは、別に作業着だし濡れてもいいかなって」

「洗うのは誰だと思っているのですか?」

「ごめんミツキ。自分で洗うから」

「何を言っているのです? その必要はありません。それが、私の仕事ですから」


 風呂から出ると、食卓にはコーヒーがそれとなく用意されていた。淹れたてからほんの少しだけ時間の経った、かと言って温くもない飲みやすい温度だった。


「今日もお疲れ様です光輝。乾杯」


 彼女は僕の前に座ると、お揃いのカップにガソリンを注いで、弱い力で僕の端にコツンと当ててきた。


「乾杯。いつもありがとミツキ」

「いえ、それが私の仕事ですから」


 それが僕の家で二十数年、メイドで有り続ける彼女の口癖でもあった。首筋に刻まれた三日月型の製品情報を意味ありげに撫でながら、彼女はカップの中のオレンジ色を揺らし、しみじみとそれを味わっていた。


 小さい頃、周りの友達はロボットに憧れていた奴らが多かった。

 日本男児が夢見るそのようなSF的存在自体は僕も好むが、ロボットに対しては全く実用的な方を思い浮かべてしまい、そんな気持ちは湧き起こらない。何故ならそれは、生まれた時から傍に居るミツキという存在の所為だった。


「ミツキはビームできないの?」

「出ません。申し訳ございません」

「はどうけんは? しょうりゅうけんは?」

「はい、残念ながら」

「つまんないのー」


 小学生の僕は、そんな理由だけでミツキに酷いことを言っては父に怒られていた気がする。


「また傘を忘れたのですね。今週三回目です。

 作業着への雨の浸透率88パーセント。したがって乾燥機の使用電力量は通常より10パーセント上昇。電気代5パーセント上昇。これらは家計への圧迫を意味します。流石に怒りますよ」

「ごめんなさい、許してくださいなんでもしますから」


 今思うと、ビームも波動拳も出なくて良かった気がする。


 数年まで怒ってくれていた父も逝ってしまったが、代わりにその役目を請け負った彼女は本当に怖いのだ。


 常に無機質で、変わらないトーンで捲し立ててくるのが、そういう時ばかりは恐ろしく感じる。


「なぁ安東あんどう松菱まつびし重工がオキシデンタル工業と業務提携して作った最新のアンドロイド知っているか?」


 ある日の昼休み中、同じ部署の三石みついし先輩が片手でコンビニの安いパンをかじりながら話しかけてきた。


「知ってますよ。超ハイスペックな万能人型メイドロボで、見た目がすごく人間みたいなんでしょう」

「みたいなんてもんじゃねえよ。なんの違和感も無いし、その辺のより美人に作れるだぜ! だから独身男性に積極的に売っていくんだとー」


 親会社の道楽の話なんて。そう吐き捨てる僕に、先輩はさぞ可笑しな物を見る様な目で嘆息する。そういえば昨日彼は親会社に出向だったが、そこで耳に挟んだのだろうか。


「男なら憧れるだろ? オマエさんノリ悪いなぁ」

「今のところ興味は無いですね。

 第一、よっぽど高性能で人間の女の子みたいだとして、先輩は買いたいんですか?」

「おうよ。もしかしたらそれが普通になって、結婚とかが当たり前の世の中になるかもな」


 いや、それは無いでしょう。とツッコむと、聞いていた周りの同僚も含めドッと笑いが起きる。

 ロボットに関わる側だからこそ、結婚なんてあり得ない。不可能だ。一電気技師として、この時はそう思っていた。


「俺、結婚するわ」


 そんな会話から二年が経ったある雨の日、部署内で行われた飲み会の席の中で、俺は三石先輩から耳を疑うようなことを突如告げられた。


「とっ、突然ですね。おめでとうございます! お相手の方は?」

「誰だと思う?」


 変な溜めを作る先輩に、僕は懐疑感を抱く。

 まさか、そんな事があるのだろうか。否、この男ならあり得る。あの最新のアンドロイドを買ったという日から、毎日毎日その彼女ロボとのイチャイチャ話を聞かされてきた。それが最近になってやっと聞かなくなったと思ったのに。


「まさか、まさかとは思いますよ。ナヅキさんと……?」

「おい、そんなわけないだろ! 流石に相手は人間だって」


 お相手は、本社に勤める二つ上の女性事務員らしい。


 親会社主催の会食に誘われ、そこで連絡先を交換してから、その後も何回か二人きりで会って交際に発展したそうだ。


 典型的且つそれなりに健全な職場恋愛というやつだった。


「結婚かぁ」


 考えたこともない。なんてことは無いが、少なくとも他の同年代男性と比べれば悩んでいるわけではなかったとは思う。


 恋も学生時代までで、社会人になってからはそんな暇も無かったし、それに、家に帰っても一人ということは絶対に無かったし。


「安東〜、オマエさんも、身を固めた方がいいんじゃあないか?」

「はいはい、そうですね。また彼女さんの話ですか?」


 三石先輩が何本目か分からないボトルのワインを、一人で全部飲み干したところで、また婚約者の惚気話が始まった。


「料理もさぁー。あの人得意じゃないから俺が作ってるんだよー。ナヅキに教わってなぁ」

「へぇ、ナヅキさんが。やっぱり教えるの上手いですか?」

「あぁ、レシピサイトの通りだからな。本当重宝してるよ」

「そのこと、彼女さんは知ってるんですか?」


 そう尋ねると、ピタリと先輩は次のグラスへの手を止め、神妙な面持ちで項垂れて言う。


「言えるわけないだろ〜!

 ナヅキは確かに便利だが、流石に結婚後の生活に持ち込めない。独身向けのメイドロボだぞ〜?」


 その通りだ。

 彼の持っているナヅキは、松菱印の完璧性能に、オキシデンタル工業の質感。恰もホンモノの人間の女性の如きクオリティであり、彼女さえ居れば他のパートナーなど必要無いほどに優れた物だ。


 僕はそれを誰よりも、もはや先輩よりも能く知っているとさえ言える。


「『じゃあなんで私と結婚したの?』って言われちまうからよ。同居する時までにリセットして本社にこっそり引き取って貰わなきゃなあ、おえっぷ」


 酒臭いゲップをしながらも、着々と現実的なシナリオを建てていく先輩に、僕は何とも言えない気持ちになった。


 大人になり、周りの人間関係も変わっていく。

 そんな中僕は、一人の男として、ごく普通に人と付き合い、家庭を作るか。それとも、ずっと傍にいてくれたアンドロイドとこれからも一緒に暮らしていくか。


 両立できれば良いが、もし両立できないのだとしたのならば───僕は、選べない。


 つまり結局、ナヅキは三石先輩にとって便利なロボットでしかなかったのだろうか。


 仄暗いオレンジ色の照明。

 へべれけで陽気なざわめき。

 グラスとグラスが弾く高い音。

 甘さと塩気の中に淀むアルコールの匂い。


 空になった僕のグラスに次の酒を勝手に注ぎながら、先輩は不思議そうに訊いてきた。


「うぃー、安東は随分ナヅキのことを気にかけてくれたよなぁ! 一度も会ったことないくせに」

「ええ、まぁ。やはり本社の製品といえど、僕らの技術部も多少関わってますし、他人事とは思えない的な」

「でもオマエさんも機械相手にする毎日より、たまには人間も弄らねーと」

「あはは、なんですかそれ」


 愛想笑いする僕の肩に腕を組ませながら、小声で彼は、隣の卓の奥の端を指す。


「おい、あの娘知ってるか? あの眼鏡の顔色悪そーなの」

「え? 経理部の住田すみださんですよね」

「あの娘今フリーだぞ。喋ってこい」

「なんでそんなこと知ってるんですか」

「まぁ、経理部のお局ママの情報だよ。オマエさんより年下らしいし、いけるんじゃね?」

「いけるとかいけないとかじゃないですよ。そんな下心で近づきたくないです」


 しかし彼が言うには、それだけの理由で僕に提案したわけではないようだった。


「顔色見てみろって、辛そうじゃん。寂しいとかそういうんじゃなくて、多分もう具合悪いとかそっちの方面だぜ」


 確かに、頬は火照っていて、肩はかなり下がっている。目も虚だ。


 眼前の灰皿にも吸い殻が積まれるばかりで、頼んだハイボールも半分残っている。料理にも全く手が伸びていなさそうだ。


 それに、彼女と同じ会計部のおばちゃんらは話に夢中で、彼女のことなんか全然気にかけていない様子だったから。


「人助けのつもりで話してこい、もし抜け出すなら金は出しといてやるから」

「もう、そこまで言うなら行きますよ? べっ、別にただ心配で、介抱しにいくだけですけどっ」


 先輩にも、あるいは自分にもそう言い聞かせ、僕は彼女の元へ向かった。


「住田さん、何呑んでるの?」

「はぇー、なんでしたっけこれ」


 結論から言うと、僕らは飲み会を一足先に抜け出した。

 だって住田さんはいつもと違ってかなり呂律の回らない話し方だった上に、お冷やが欲しいとか言いながら、置きに来た店員さんにメニューに無い酒のロックをダブルで頼もうとしていたし、とにかく僕が止めなければきっと、倒れるまで気付いてもらえなかったと思えるくらいに酔っていたのだから。


「じゃあ、そういうことで」

「安東くーん、友陽ちゃんをよろしくね!」

「ははは! 手ぇ出すなよ!」


 分かってます。と吐き捨てて、僕らは店を出て駅に向かう。

 この時間の駅前は閑散していて、明かりも乏しいし、終電を逃した大人たちが物悲しそうに、階段に座ったりうろうろしたりしていた。


 僕は住田さんの家などは知らないので、とりあえずタクシーを呼んだ。乗った瞬間、彼女が隣県の駅名を早々に呟いた。それを僕が運転手に聞こえる声で鸚鵡返ししたことで、車は動き出す。


「ほら、水飲む?」


 家に着き、玄関の戸を開ける。彼女は千鳥足で階段を上り、部屋の中に入ると、メガネを机の上に置き、ベッドに倒れ込んだ。


「水とか呑みますか?」

「ぁぅー、ぃず?」


 彼女は能く分からない、声にならない声を発するだけだ。その様子から、確認するまでも無く何か飲む物が必要だと思い、僕は勝手に下へ行き、冷蔵庫を開けて適当に探すことにした。


 中の内容には少し驚かされた。業務用の小分けのチョコレートが一袋と、何種類かの安いプロセスチーズ。缶の酒が乱雑に並んでいるばかり。ドアポケットの方に水500mlが辛うじて1本残っているだけで、他には食材らしき物は何も無かった。

 つまりそれは全部一人で楽しむ物で、とても誰かと暮らしているようには見えず、偏見かもしれないが、意外と同じ年頃の女性の実態はこんなものかと考えてしまう。


「じゃあ僕、行くからね。おやすみなさい」


 渡した水のボトルを飲み干したところで静寂が訪れたので、僕は帰ることにした。

 眼鏡を外し、髪を下ろした彼女を改めて見ると、普段社内ですれ違う時とは違い、年下とは思えない蠱惑的な魅力を放っていた。

 したがって、これ以上はまずかった。この日は僕も間違いなく酔っていたのだから。


「行か、ないで」


 部屋の電気を消したところで、微かな声が聞こえた。その正体は分かっていたし、僕も振り返るつもりはなかったのだが、そのまま無言で袖を掴んでこられてはとても動けなかった。


「机の小さい電気だけ、付けて」


 ぼんやりとした黄橙色の灯りだけが、部屋に燈る。

 暗がりの中、住田さんと目が合った。

 熱い頬と、はだけた胸元を伝う汗。心臓の音。


「来て」


 そんなつもりじゃなかったのに。


「おはようございます、安東さん。ふふっ」


 僕は朝日の眩しさを避けるふりをして、両手で顔を覆って、そのままの流れで頭を抱えた。家に帰ったのは、正午だった。


「おかえりなさい光輝」

「ただいまミツキ」


飲み会ということは教えていたので、特段追及されず、そのまま僕は彼女との休日を平和に過ごした。と言っても買い物に付いていくくらいだが、今日はしじみとか干し鱈とか珍しい物を買っていた。


「しじみは肝機能改善。干し鱈は韓国において有名な酔い覚ましのスープとされています」

「飲んだことないな、いただきます」


 韓国料理というがスープは白く、辛さはなかった。恐らく僕向けにアレンジしたのだろう。マイルドであっさりとした味で、まさに身体に優しい感じがした。


「美味しいよ」

「ありがとうございます。初めての試みでしたので、貴重なデータとして受け取らせていただきます」

 彼女はカップいっぱいのガソリンを景気よく一気飲みし、二杯目を注いでいた。ロボットに感情は無いはずだが、彼女にも飲み物が進む時があるのだろう。表情変化の機微が少ないが故に、機嫌が良いかどうかは、そうした様子を見て察する他無かった。


「いつもそれ呑んでるよね。それが一番美味しいの?」

「いえ、私の製品データ上、この種類の物が最も効率良」


ミツキが言いかけたところで突然、携帯の通知が何回か鳴った。 


「住田……友陽ともよ⁉︎」


 いつの間にかLINNEに登録されていたその名前から、メッセージが来ていた。内容は、今夜会えないか。というものだ。


「ごめんミツキ。今からちょっと出かけてくるね」


 正直、はじめは未読無視しようとしたが、その後続いて送られてきた文章が、あたかも酔っているような、しどろもどろな怪文書だったので心配せざるを得なかったのだ。


「左様ですか。何時頃おかえりになりますか」

「まだ分からない。明日になるかも」

「了解。お気をつけて」


 隣県といえど、電車で一時間もしないうちに彼女の最寄駅に到着することが出来た。

 昨夜の朧げな記憶を辿り、家の前に着くと、インターホンも押してもいないのに入って良いとメッセージが来た。


「こ、こんばんは」


 恐る恐る部屋を尋ねると、昨日と似た状況がそこにはあった。

 ベッドの前の小さなテーブルには吸い殻の積み重なったピンク色の灰皿と、一升瓶と缶が四、五本ほど転がっており、頬を紅潮させた住田が、それらに囲まれて、恍惚の表情をしていた。


「また呑んでるのか? そんなに」

「うう、だってぇ」


 それまで浮かれ顔だった住田は、眼鏡を掛けると、うって代わって、むすっとしながら卓上に顎を乗せては、ごにょごにょと言いはじめる。


「昨日は、私が悪かったの。けど朝、何も言えなくて、謝れなくて、安東さんもだし、だから呑んで忘れようとしたけど、ダメなの。ダメだったの」


 彼女の言い分はこうだ。

 生まれてこの方、男の人に優しくされたことがない。初めて優しくされた。昨日僕が去る時、急に愛しさが襲ってきた。


「別に優しくしたつもりはないんだけどなぁ」

「もう、ソーユートコですよぉ安東さぁん」


 そうして付けた眼鏡をもう一度外し、上目遣いで住田は僕に擦り寄ってくる。


「ったく、酔ってるな完全に。今水持ってくるから待っ」

「安東さんも、呑んでってよぉ」


 またこれだ。無言で袖を引っ張られる。その力は昨日と同じで決して強くはないが、何故か一気に帰る気を失わせられる。


「いや、今日は呑まない。そのままで良い」


 そう、彼女の酒気と煙草臭さが自分にとっては十分な興奮剤だった。それに僕は、酒を理由にしたくなかった。


「…………今度どっか二人で出かけようか」

「うん、次の休みは?」

「また一週間後かな」

「ふふっ。楽しみ」


 それから数ヶ月、良い事と悪い事があった。


 良い方は、住田との親交が深まったという事。二人が休みの日は必ず出かけ、どんなに短い時間でも会うようにした。彼女は料理が苦手なため、色々な外の美味しい店を知っていた。だから食べに行く所や話には困らなかったし、一緒に行く相手が出来て彼女も楽しそうだった。逆に僕は料理を学ぶ気になった。


 ミツキから教わって、それを住田の家で披露する。その度に嬉しそうに頬を緩ませる彼女の顔を見るのが僕の幸せだった。ミツキのガソリンが進む意味も分かった気がする。


 そして悪い方は、三石先輩が暫く仕事に来ていないことだ。

 初めは奥さんに惚気てるからだとか、むしろ鬼嫁で虐げられてるだとか様々に噂されていたが、人事の方からも何も話は出ないまま、皆がその事を心配しつつも仕事に支障が出ない程度に忘れようとしていた。

 だがしかし、今日ついにその理由が判明したのだ。


「三石先輩が、自殺……⁉︎」


 朝起きた時、僕の電話に先輩の奥さんから電話が掛かってきたのだ。どうやら先輩を朝起こしに部屋に行った時、反応が無いために入ったら居なくなっていて、布団の中から遺書が見つかったとのことだった。


 結婚してから夫の元気が無くなっていく気がしていた。それに昨日は血迷ってガソリンなんか飲もうとしていたから叱った。それから部屋に篭ってしまった。だからそっとしておいてあげようとしたらこんなことになっていた。と、奥さんは泣きながら矢継ぎ早に僕に状況を訴えてくる。


「遺書になんて書いてあるんですか? 何か手がかりがあるかもしれません」


 そう訊いたのは僕の方だったが、内容を聞いて愕然、狼狽したのも僕の方だった。


「奥さん、僕、先輩の居場所が分かるかもしれません」


 僕が手紙から判断した結果、彼の奥さんを連れて向かったのは、自分らの会社でも、昔彼が一人暮らししていた所でもなく、親会社の本社ビルだった。


「ああ、来られましたね三石さんの奥様! 大変ですよ!」


 慌てふためく受付嬢を見て、此処が正解だと察し、むしろ現実を受け入れられない気持ちが余計に増してきた。


 やがて来た常勤役員の一人に案内されて、僕らは階段で地下倉庫に向かった。


 廃棄予定のアンドロイド等の製品が溢れかえる足の踏み場もない所で、仕事で慣れた機械油やガソリンの匂い滞るどんよりとした空間だったが、その奥で誰か一人佇んで居るのが見えた。

 黒い髪、白い肌、エプロンを掛け、メイド服を着た若い女性の貌だ。


「ミ、ミツキ⁉︎」


 ガラクタを踏み分け駆け寄ったが、すぐに彼女ではない事が分かった。首筋にある三日月型のアザに見えたのが『Invented Ando Mk-Ⅶ NAZUKI』の文字だったからである。


「あ、あなた……⁉︎ ううっ」


 同時に目に入ったのは、その横で寝転がる三石先輩の姿だった。彼はビールジョッキを大事そうに抱え、濡れた髪と服のまま、眠るように死んでいたのだ。

 冗談じゃあなかった。

 この付近からは特にガソリンの匂いがした。先輩のジョッキの中にはオレンジ色の液体が少し残っており、やはり彼女と最後に乾杯でもしたのだろうかということが察せられる。

 鑑定の結果、致死量を超えるガソリンの摂取が死因だった。


「リセットなんか、しなきゃ良かったのに」


 先輩の死は、闇に掻き消された。

 この事件は本社の意向で、非公表することとなったのだ。改善するべきは家庭用メイドロボの依存性。これから売ろうにもこの事例が不都合なのは、自明だったからだ。


「別れよう」

「えっ」


 パフェを食べる住田の動きが一瞬止まる。すぐに再開するも、その手は震えていた。


「今日は泊まっていかないって話?」

「交際の話だ」


 彼女の手からスプーンが滑り落ちた。それはテーブルからバウンドして床に落ち、耳に残る淋しげな金属音を立てる。


「なんで? 私何か悪いことした⁉︎」

「いや、友陽は悪くない。けど、やっぱりあんな成り行きで付き合うんじゃなかったなって」

「嘘だ。そんなの嘘だよ!」


 そう、嘘だよ。確かに初めはその気ではなかったが、何回も話し合って、デートもして、その時は僕の方から言ったのだから。


「ごめん……なんか違うような気がして」

「違うって何⁉︎ 私と居るのは間違いだったて言うの!?」


 そんなことない! 声を大にしてそう言いたかったが、それでは別れることはできない。あくまでここは悪役になるしかなかった。


「あぁ、じゃあお金は置いておくから好きなだけ食べて帰れよ。じゃあな」

「先輩……⁉︎ 光輝くんっ!」


 僕は雨の中傘も差さず、逃げるようにそのカフェを抜け出て、家を目指した。途中横目に写った洋食屋やスイーツ店等の事を想うと涙が出てくる。二人で通った日々が同時に脳裏に過って、彼女の笑う顔が頭からこびりついて離れないほどだった。


「おかえりなさい光輝。どうされました?」


 息を切らし、目を赤くする僕を見て彼女が尋ねないわけが無かった。

 僕はこれまでのことを話した。先輩が万能メイドをリセットして病んで自殺したこと。それでミツキの居ない生活を考え、怖くなったこと。それから、訳を話さないまま彼女と別れたこと。


「そうなのですね。お辛かったでしょう」


そうすると、しゃがみ込んだ僕にミツキはそっと抱擁をしてきた。


「ミツ、キ?」

「光輝が、お辛い気持ちの時はこうするべきと、データが……特にありませんが、今私がそう判断しました」

「うぅ……っ」


 暫く僕らはそのままだった。

 優しい、お日様の光のような、心地よさに身を委ねてしまう。こんな、僕だけの居場所を失うわけにはいかない。

 住田に対する悪役となった自分を僕は責めていたが、やがて肯定しかけた───その時だった。


「へぇ、そういうことだったんだ」


 キィィ、と玄関の開く音の後、背後からの低い女性の声に、今まで暖かったものが一瞬で悪寒に変わるのを感じた。


「すっ、住田」


 そこには黒い雨合羽に身を包んだ、マスク姿の住田の姿が在った。


 ああ、僕は鍵を閉め忘れていたのだ。

 彼女は躊躇の無い様子で入り、戸を締めると、両手を後ろに組んだまま、じりじりと僕らに距離を詰めてくる。


「変だと思ったよ。そういえば今までずっと私、先輩の家に誘われたこと無かったもん」

「おい待て、なんで来た住田。もう話すことは無いんだ」

「私が有るの。勝手に決めないでよ!」

「貴女が、光輝の彼女でいらっしゃいましたか。はじめまして私はミ」

「奥様は黙っててもらえる?」


 刹那、彼女が隠してた手元が、すうっとミツキに伸びていった。横目に過ぎる銀色が光の反射する時、僕はすぐさまその意味を理解し、驚嘆した頃にはもう遅かった。


「あ……ア……」


 住田の手には包丁が握られていた、その切っ先は深くミツキの左胸のエンジン部分に突き刺さっている。


「あはは、なぁんだ。人間じゃあないんだ。だったら殺しても平気じゃん! あははははは!」

「おい……おいやめろ!住田ッ!」

「あははっ! この機械が先輩をダメにするから壊すんだよ? 私が居れば良いって言ってくれたよね前に? ねぇ先輩?」


 相手が機械だと分かった瞬間、住田は滅多刺しを止めなかった。ミツキの身体が決して堅く強い素材で出来ていないことは僕が一番知っている。


「やめろ、やめてくれ‼︎」


 そうして僕が住田の腕を掴み、包丁を取り上げるも、怒りは収まるどころか更に昂ったようで、靴も脱がずに家の奥へと踏み込んで往ってしまう。


「住田!」

「えへへ! 良い物有ったよ。見て見て?」


 キッチンの方まで侵入していった彼女は、ガソリンの携行缶を見つけると、抱えて愉しそう笑っている。


「早まるな! 僕が悪かったよ! でもミツキとの時間はリセット出来ない! 頼むから一緒に暮らしてくれないか?」

「もう遅いよ先輩? 結局私と二人きりになるより、あの機械を選んだってことでしょ? その事実はもう変わらないんだよ」


 本当に遅かった。彼女はガソリンを撒きはじめ、自らのライターでそこに着火した。


「ねぇ、もう一緒に死んじゃお? 必要とされないなら私は要らないし、必要としてくれないあなたも要らない」


 そう言いつつ、泣きながら抱擁してくる住田を突き飛ばし、僕は倒れているミツキの元へ向かう。


「やばい、逃げるぞミツキ」

「私は、動ケまセん、光輝だケでモ、逃ゲ」

「なら逃げないよ、側に居る」


 ミツキの身体は機械故に重く、僕一人では抱えられなかった。それに住田も一人にするわけにはいかなかったし、僕は此処に残ることを決めた。


「光輝、ごメんなさイ、私ガ、こんな見た目ダから」


 確かに彼女が女性の姿でなければ疑われる事もなかったかもしれない。けれどその意味は、たった今分かった気がする。


「ミツキは、僕の母さんだったんだね」


 焼き焦げはじめた廊下の板の裏に、何かが落ちているのが見える。懸命に手を伸ばし拾いあげると、そこには赤ん坊を抱く女性と僕の父が並ぶ写真だった。また、そこに映る女性が、ミツキそっくりだったのだ。


「乳児の光輝ヲ抱イたデータはあリまセん。したガッて、そレは光輝ノお母様と言ウ事ニ」


 その時初めて僕は、自分からミツキに抱擁した。同時にミツキは微笑んで、僕の頬に接吻をしてくれた。


「ありがと、ミツキ」

「いイえ、そレが、私の仕事デすカら」


 ───翌日、民家から二つの焼死体が見つかった。

 検体はそれぞれ、何かを抱きしめるようにして死んでいたとのことだった。




ー FIN ー

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