第8話 妻の誇り

 倒れ込んだ聡子さとこに、さとるが駆け寄っていく。


 源十郎げんじゅうろうが大声でそれを制する。


さとる! 門に近づくんじゃない!」


 聡子さとこを抱え上げたさとるの体から、淡い光が漏れ出て門に吸い込まれていく。


 虚脱感に耐えながら、さとる聡子さとこを落とさないよう、慎重に部屋の入口へ歩き出した。


 門の中から星降ほしふり様の声が響く。


さとるの寿命も美味しいね。もっと分けてくれてもいいんだよ?』


「やかましい! お前は大人しく封印されてろ!」


 さとるの怒鳴り声に、星降ほしふり様がクスクスと子供の笑い声で応えた。


 意識を失った聡子さとこを、さとるはそのまま運んでいく。


 源十郎げんじゅうろうの前を通り過ぎるさとるが呟く。


「儀式ってのは、毎回こうなのか」


 源十郎げんじゅうろうが小さく息をついて答える。


聡子さとこは朝食をきちんと食べていなかったからな。

 それで貧血を起こしたんだろう。

 若い聡子さとこなら、ここまで消耗することは本来はありえない」


「そうか……」


 源十郎げんじゅうろうさとるをねめつけながら告げる。


「お前、なぜ聡子さとこに恥をかかせた? それで彼女が傷つかないとでも思ったのか」


 さとるは答えず、黙って聡子さとこを抱えたまま、板張りの廊下を歩いていった。


 その姿を見送った源十郎げんじゅうろうがため息をついて呟く。


「あいつめ、まだまだ若いな」


 源十郎げんじゅうろうもまた、ゆっくりと幽世かくりよの門に背を向け、廊下を抜けていった。





****


 私の頭を、誰かの手が撫でている。


 その心地よさに溺れながら、ふわふわとした感覚を覚えていた。


 意識が少しずつはっきりしてくる。


 ……私、儀式の途中で倒れちゃったんだっけ。


 ゆっくりと目を開けると、目の前にはさとるさんの心配そうな顔があった。


「目が覚めたか」


 私は小さく頷いて答える。


「うん。ここ、寝室?」


「そうだ。着替えは済んでるから、そのまま寝ているといい。

 もう儀式の朝は、朝食を抜く真似をするんじゃないぞ」


 あー、そういえばほとんど食べないで儀式に挑んだんだっけ。


 あれがよくなかったのか。


 私は唇を尖らせて答える。


さとるさんが、私を妻として見てくれないからです」


 きょとんとした顔のさとるさんが、私の目を見つめた。


「そうなのか? ちゃんと妻として扱ってるつもりだが。

 入籍もしたし、法的にも俺たちは夫婦だ」


「形だけの夫婦じゃない……そうじゃなくて、その……」


 『女として扱って欲しい』は、今の私には言い出せなかった。


 さすがにそれは、恥ずかしすぎる。


 私が言い淀んでると、悟さんが私に告げる。


「今はまだ、もう少し眠っておけ。

 昼になったら昼食が届く。それを食ったら、また寝るんだ。

 寝る子は育つと言うしな」


 また子ども扱いしてる……。


 私はむくれながら目をつぶり、さとるさんに答える。


「分かりました! 眠ればいいんでしょ!」


 さとるさんがクスリと笑みをこぼした。


「いい子だ。今日はなるだけ傍にいるから、安心しろ」


 ……私が欲しいのは、そんな言葉じゃないんだけどな。


 疲れ切ってる私は、目をつぶっているうちに意識が遠くなっていった。


 ただ頭を撫でるさとるさんの手のぬくもりに、私はしがみついていた。





****


 遠くで着信音が聞こえた。


 私の意識がぼんやりと浮上して、耳に声が届く。


 さとるさんの声が聞こえる。


「ああ、千尋ちひろさん? ――うん、それでよろしく。

 食事? 今夜か……いいよ、わかった。その時間で。

 車で迎えにいくから、待ってて」


 ――なにその明るい声?! 私を相手にしてるときと、まるで違うんだけど?!


 思わず目を開けた私の前には、見たこともない笑顔で電話するさとるさんの横顔があった。


 そんな笑顔、私にも見せたことないのに。


 心が締め付けられるように苦しい。


 自分が惨めに感じられて、大粒の涙が零れ落ちていく。


 電話を終えたさとるさんが、小さく息をついてスマホをしまった。


 こちらに振り向いたさとるさんが、ぎょっとしたように目を見開いた。


「……なんで睨んでるんだ?」


 私はさとるさんを睨み付けたまま答える。


千尋ちひろさんって誰? 恋人?」


 恋人がいたから、私との結婚が不服だったの?


 結婚初夜、私に手を出さなかったのも、恋人が他に居たから?


 さとるさんが眉をひそめて私に答える。


「俺の秘書だよ。今はオフィスで俺の不在を切り盛りしてくれてる」


「綺麗な人? 年齢は?」


「……美人だよ。年齢は同い年。二十五歳だ」


 年上美人か。勝ち目がないな。


 私は喉から漏れる嗚咽に耐えながら、さとるさんに尋ねる。


千尋ちひろさんが居たから、私との結婚を嫌がってたんでしょ?

 本当は千尋ちひろさんと結婚したかったんじゃないの?

 私なんて、本当はいらなかったんでしょ?」


 泣いている私の頭に、さとるさんの手が伸びてくる。


 私はそれを手で払って、体を起こして悟さんに告げる。


「子ども扱いしないで! 私は貴方の妻なの!

 確かにまだ十八歳で、高校も卒業してないよ?!

 でも、入籍した正式な妻は私じゃない!」


 睨み続けている私の頭を、さとるさんが抱きしめて来た。


 私はさとるさんの体を両手で叩きながら、必死に引き離そうと暴れた。


 そんな私に、さとるさんが告げる。


「すまない、聡子さとこには何か誤解をさせたようだ。

 どうすれば納得するのか、教えて欲しい」


「――子ども扱いしないで! 妻として、女として扱ってよ!

 私だけがさとるさんを欲していて、欲してもらえない女の気持ちが分かる?!

 それなのに形式上は夫婦だなんて、おかしくてたまらないわ!」


 さとるさんの心が私にないのは仕方がない。


 私はまだ子供で、恋愛対象じゃないのかもしれない。


 じゃあなんで、入籍なんてしたの?!


 これなら法律上でくらい、夫婦じゃない方がマシだった!


 暴れ続ける私の体を、さとるさんが抱きしめて来た。


 文句を言おうとする私の口を、さとるさんの唇が塞いだ。


 ――これって、私のファーストキスなんだけど?!


 茫然とする私は動きを止め、さとるさんの目を見つめた。


 私と重なり合っていた唇が、そっと離れていく。


 さとるさんは優しい眼差しで私に告げる。


「……わかった。これからは聡子さとこをちゃんと、女性として見るから。

 だから今は暴れたりするな。体力を消耗してることを忘れるなよ。

 元気になったら、また相手をしてやる――女性としてな」


 ――それって、妻として見てくれるってこと?!


 私は期待に胸を膨らませながら尋ねる。


「期待……してもいいのかな?」


 さとるさんがペロリと舌を出して答える。


「今はまだ、キスまでだ。二十歳になったら、子供を作ろう。

 そこは俺の、大人としてのけじめだ」


 ――これは、完全勝利では?!


 私は頬が緩むのを我慢できず、両手で顔を隠していた。


 私、さとるさんから女性として認められた!


 照れている私に、悟さんが告げる。


「愛してるよ、聡子さとこ。女として、妻として、俺と一緒に人生を歩もう」


 私は黙って頷いた。


 『愛してる』って言いたかったけど、胸がいっぱいで言葉にならなかった。


 私はただ黙って、さとるさんに抱きしめられ続けた。





****


 昼食が運ばれてきて、私はベッドの上でおかゆを食べた。


 さとるさんもベッドに腰を下ろし、同じ食事をとる。


「ねぇさとるさん、千尋ちひろさんと食事にいくの?」


 さとるは微笑みながら首を横に振った。


「そのスケジュールはキャンセルしてもらった。

 取引先との会食だが、まぁ取引には影響がないだろう。

 先方には俺の事情も伝えてあるしな」


 やっべ、夫の仕事の邪魔しちゃった?!


 私は上目遣いでさとるさんを見つめて告げる。


「その……ごめんなさい。私のわがままで」


 さとるさんは私に微笑みながら答える。


「新婚二日目の男に、ビジネスの会食を持ちかける先方が悪い。

 気が利かないにも程があるってもんさ。

 普通、三日はスケジュールを入れないもんだ」


 そういうものなのか……。


 私はおかゆを口に運びながらさとるさんに尋ねる。


「これからは、お仕事の邪魔をしないようにするね」


「そうしてくれ。こんな甘い対応は、今だけだぞ?

 これでも社長業は忙しいんだ」


 私たちの視線が絡み合う。


 どちらともなく笑いだし、私たちの温かい時間が過ぎていった。





****


 夕食の時間になり、大座敷に座る。


 私は食事を前に、「いただきます!」と告げた。


 続くようにさとるさんからも「……いただきます」と聞こえてくる。


 私がお爺さんを見ると、お爺さんも気まずそうにお箸をおいた。


「いただきます……これでいいか?」


 私はニッコリと微笑んで頷き、お箸を取って食事に手を付ける。


 今日の夕食はなんだか美味しいぞ?!


 たくあんを齧りながら、お茶を少し味わう。


 さとるさんが横から、私に告げる。


聡子さとこ、明日はまた街に行こう」


 私はきょとんとしてさとるさんを見上げた。


「いいけど、何をしに?」


 さとるさんがお箸をおき、私の左手を取った。


 そして薬指をつまみながら告げる。


「ここに、きちんと印が必要だろう? 『俺の妻です』ってな」


 ――それって、結婚指輪!


「ほんとに?! 本当に結婚指輪を買いに行くの?!」


 さとるさんが微笑んで頷いた。


「注文してから少し時間がかかるから、それまでは我慢しておけよ?」


「うん! 我慢する! どれくらいかかるの?!」


 さとるさんが唸りながら答える。


「たぶん、一か月か二か月くらいじゃないか?

 聡子さとこがどんなデザインを選ぶかでも変わるが」


 私は眉をひそめて答える。


「えー! そんなに待つの?! 待ちきれないよー!」


 さとるさんがクスリと笑みをこぼし、私に答える。


「やっぱり子供だな、聡子さとこは」


「子ども扱いしないでってば! さとるさんは妻が子供でもいいの?!」


「いや、それは困るんだが……」


 私たちの会話を聞いていたお爺さんが、楽し気に笑いだした。


「仲が良さそうで何よりだ!

 その調子で、元気な長女を生んでおくれ」


 あー、次の巫女になる子供か。


 それを考えると気が重たいな。


 ――でも! 私とさとるさんの愛の結晶、必ず作って見せてやる!


 私はさとるさんと微笑み合いながら、夕食を再開した。


 私たちは家族で夫婦。妻と夫で、いつかはお父さんとお母さんになる。


 元気な子供を産み育てて、私も立派なお母さんにならないと!


 そしてたくさんの愛を注いで、その子たちにも愛を知ってもらうんだ。


 幸せな私の夕食は、お腹と胸を満たして終わった。





****


 静珠しずたま系列の宝石店で、私はシンプルで可愛らしいデザインの指輪を見つけた。


「こんな感じの指輪がいいかも?」


 私の言葉に、さとるさんが頷いた。


「じゃあこれで。あとはイニシャルと日付を入れてくれ」


 採寸を終えて、発注を済ませる。


 どうやら一か月で届くらしい。


 私はさとるさんと二人で手をつないで宝石店を出る。


 青空の下で、私たちは微笑み合う。


「ねぇ、ちょっとカフェにでも行かない?

 その後はブライダルショップにも行こう!

 喪が明けたら、結婚式もしないとね!」


 さとるさんが微笑んで頷いた。


「いいよ、聡子さとこがしたいようにしな。

 結婚式は妻の為の儀式だ。聡子さとこが主導権を握っていい。

 サポートは俺がするから、心配するな」


 私たちは手を握りながら、カフェに向かって歩いていく。


 四月の陽光が降り注ぐ中、私たちは歩いていく。


 照り返す石畳が、今は私のバージンロード。


 私は妻としての誇りを胸に、二人でカフェに入って行った。

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鎮魂の巫女 みつまめ つぼみ @mitsumame_tsubomi

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