第24章:最後の通信

タイタン1号の突然の機能停止は、アルゴスのクルーたちに大きな衝撃と困惑をもたらした。廃墟都市の中心部にそびえる謎の塔が発した未知の光のメッセージ、そしてその直後のタイタンの沈黙。それは、この惑星プロクシマ・ノヴァが、彼らの理解を遥かに超えた何かを秘めていることを、改めて強く示唆していた。

「イリス、タイタン1号のステータスは? 遠隔で再起動できないの?」アリアは、カロンのブリッジから、廃墟都市の方向を睨みつけながら問い詰めた。

「…ネガティブです、アリア。タイタン1号のメインCPUとの通信が完全に途絶しています。あの塔が発したエネルギーパルスは、極めて特殊なもので、タイタンの電子回路に深刻な、おそらくは修復不可能なダメージを与えた可能性があります。まるで…意図的に、特定の機械システムだけを無力化するような…」イリスの声には、AIらしからぬ困惑の色が滲んでいた。

「なんてことだ…」サムは頭を抱えた。「俺たちの頼みの綱のタイタンが…こんなにあっさりやられちまうなんて」

リアム博士は、興奮と恐怖が入り混じった複雑な表情で、録画された塔の光のパターンを繰り返し再生していた。「この光の明滅…これは単なるエネルギー放出ではない。高度に構造化された情報だ。彼らは、我々に何かを伝えようとしていた。そして、タイタン1号は、その『何か』を受信し、あるいは理解しようとした瞬間に、過負荷でシャットダウンしたのかもしれない…」

「それが友好的なメッセージならいいけれど」エヴァ医師が不安そうに言った。「もし、我々に対する警告や、あるいは罠だとしたら…」

「いずれにしても、これ以上あの都市に深入りするのは危険すぎるわ」アリアは決断を下した。「タイタン2号を直ちに撤退させて。そして、カロンも、アルゴスとのランデブーポイントまで後退する」

タイタン2号は、僚機の亡骸をその場に残し、慎重に廃墟都市から離脱した。クルーたちは、謎の塔から目が離せないまま、カロンを発進させ、プロクシマ・ノヴァの衛星軌道上に待機するアルゴスへと帰還した。

アルゴスのブリッジに戻ったクルーたちは、イリスと共に、タイタン1号に何が起こったのか、そしてあの光のメッセージが何を意味するのか、徹夜で分析を続けた。しかし、情報はあまりにも少なく、決定的な結論には至らなかった。ただ一つ確かなことは、プロクシマ・ノヴァのかつての住人は、極めて高度な技術を持ち、そして彼らが残したものは、現在の地球の科学技術では容易に理解できない、恐るべき力を持っているということだった。

「この惑星は…美しく、そして危険すぎる」アリアは、アルゴスの窓から見えるプロクシマ・ノヴァを見下ろしながら呟いた。「我々がここに安住の地を求めるのは、あまりにも無謀なのかもしれない…」

生命維持システムの限界が刻一刻と迫る中、クルーたちは岐路に立たされていた。プロクシマ・ノヴァに降り立ち、危険を冒してでも生き残るための資源を探し続けるか、それとも、残された力でこの星系を離れ、別の居住可能な惑星を探すという、さらに絶望的な賭けに出るか。

数日間に及ぶ激論の末、彼らは一つの結論に達した。それは、プロクシマ・ノヴァに留まり、生き残るための努力を続けること。しかし、あの廃墟都市には近づかず、比較的安全と思われる地域で資源探査と基地建設の可能性を探ること。そして、何よりも優先すべきは、彼らがこの宇宙で得た知識と経験、そして人類への警告を、地球へ送信する最後の試みを行うことだった。

「ニュートリノ通信装置は、ワームホール突入前のオーバーロードでほぼ完全に破壊されているわ」ハナが、アルゴスの通信システム区画で、焼け焦げた装置の残骸を見ながら言った。「でも、もしイリスの計算通りなら、コアユニットの一部は生き残っている可能性がある。そして、船内の予備パーツと、タイタンの部品を組み合わせれば…極めて低出力で、一方向のみだけれど、メッセージの断片くらいは送信できるかもしれない」

「そのメッセージが地球に届くのに、どれくらいかかるか分からない。数千年、数万年…あるいは、永遠に届かないかもしれない」リアム博士は言った。「しかし、それでも、我々がここに存在した証を、そして、人類が決して踏み入れてはならない領域があるかもしれないという警告を、伝えなければならない」

クルーたちは、最後の力を振り絞り、ニュートリノ通信装置の修復作業に取り掛かった。ハナとサムが中心となり、イリスがその知識と計算能力で彼らをサポートし、アリアとエヴァ、リアムも、専門外ながらも懸命に手伝った。それは、絶望的な状況の中で、人類としての最後の責任を果たそうとする、彼らの壮絶な意志の表れだった。

数週間後、彼らの努力は、かろうじて実を結んだ。焼け焦げた通信装置のコンソールに、弱々しいながらも緑色のランプが灯ったのだ。

「…やった…!」ハナが、疲労困憊した顔に笑みを浮かべた。「送信シークエンス、確立。ただし、送信できるデータ量は極めて限定的。そして、送信は一度きり。失敗は許されないわ」

アリアは、ブリッジの艦長席に座り、送信するメッセージの最終稿をイリスと共に作成した。それは、彼らの航海の記録、ワームホールの発見とその危険性、プロクシマ・ノヴァで遭遇した謎、そして、未来の人類への希望と警告を込めた、簡潔だが魂のこもったメッセージだった。

「全エネルギーを通信装置に集中。他のシステムは最低限に」アリアが指示した。船内の照明がさらに暗くなり、生命維持システムの駆動音もか細くなる。

「送信開始まで、あと10秒」イリスが告げた。

クルーたちは、固唾を飲んでメインスクリーンを見つめていた。そこには、地球が存在するであろう、遥か彼方の宇宙の一点が示されている。

「5…4…3…2…1…送信開始!」

アルゴスの船体から、目には見えないニュートリノのビームが、漆黒の宇宙へと放たれた。それは、広大な宇宙の海に投じられた、小さなボトルメールのようなものだった。そのメッセージが、いつか誰かに届くことを信じて。

送信が完了すると、通信装置は最後の光を放って完全に沈黙した。船内には、やり遂げたという達成感と、同時に、これで本当に全てが終わったのだという虚脱感が広がった。

アリアは、ゆっくりと立ち上がり、クルーたちに向き直った。「皆、ありがとう。私たちは、やるべきことを全てやったわ。これからは…ただ、生きるのよ。この未知の宇宙で、私たち自身の力で」

彼女の言葉に、クルーたちは静かに頷いた。彼らの顔には、もはや絶望の色はなかった。そこには、厳しい現実を受け入れ、それでもなお未来へ向かって歩み出そうとする、開拓者たちの力強い意志が宿っていた。

アルゴスは、ゆっくりとプロクシマ・ノヴァの衛星軌道を離れ、惑星のより安全な地域へと向かい始めた。彼らの前には、未知の動植物、厳しい自然環境、そして、あの廃墟都市の謎が待ち受けている。しかし、彼らはもう孤独ではなかった。互いを信頼し、助け合い、そして、いつかこの新しい世界に根を下ろすことを夢見て。

ワームホール、エウリディケの門は、彼らの背後で永遠に閉ざされた。しかし、アルゴスのクルーたちの物語は、まだ終わってはいなかった。それは、人類の探求心と生存本能が紡ぎ出す、新たな創世記の始まりなのかもしれない。

そして、はるか彼方の未来。

何世紀もの時が流れ、人類の文明がさらに宇宙へと広がった時代。地球の片隅にある老朽化した宇宙観測所のアーカイブデータの中から、一人の若い研究者が、奇妙なノイズに埋もれた微弱な信号の断片を発見する。それは、何世代も前に忘れ去られた、深宇宙からのメッセージ。その解読には長い年月を要したが、やがて明らかになった内容は、人類の宇宙観を根底から揺るがし、新たな探求の時代を開くことになる。

「我々はアルゴス…エウリディケの門を越え、未知の宇宙に到達せり…ワームホールは存在する…しかし、その代償は大きい…心せよ、未来の人類…星々の海は美しく、そして残酷だ…」

そのメッセージは、アリア・コヴァルスキーと、勇敢なクルーたちの魂の叫びだった。彼らの航跡は、決して消えることなく、未来の人類の道標として、星々の間に永遠に刻まれたのだ。


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アルゴスの航跡:エウリディケの門 めろいす(Meroisu) @netangel

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