第16話 もうひとつのお店 4 

 私、きてるよね。

 幽霊ゆうれいさんに、れていた手(肉体)は、離れていた。

 私は、ほっとする。


 近くにいた兄さんが「お帰り」と言って、手をっていた。

 ようやく、帰って来たんだ。


美紀みき……」


 幽霊ゆうれいさんの声がして、私は胸がぎゅっとなった。

 あれからずっと、しずかに泣いていたのかな?


 青い顔をしながら、幽霊ゆうれいさんのほほに、なみだあとがあった。


蜂蜜はちみつの匂い、甘くて温かい。あのときの、美紀みきが、ホットケーキを作ってくれたときの、味に似ている。ああ、美味おいしい。すごく、美味おいしい」


 幽霊ゆうれいさんは、カップをかかえる様にしていた。

 私のはなが、ツーンとしてきた。


 いかん。私まで、また泣けてきちゃう。

 さっきまで見てたのは、幽霊ゆうれいさんの、思い出だったんだ。


「ありがとう」


 幽霊ゆうれいさんは、私の顔を見るなり、頭を下げてきた。


 顔をあげると幽霊ゆうれいさんは、青白い顔をしながら、にこりとした。美紀みきちゃんに向ける、笑顔みたいに。


「こんなに美味おいしい紅茶を飲んだのは、初めてだよ」


 私は泣きたいのを、こらえた。

 なんだろう、心が、ぶわっとする。


 ここではたらくようになって、たくさんのお客様と出会って、お礼を言われたけど、今までで、一番嬉いちばんうれしい、ありがとうだ。


 感動かんどうしていると、どこからか、ふわりと線香の匂いがしてきた。


「なんで、お線香の匂いがカフェでするの」


 私が首をかたむけていると、椿君はとなりに来た。


檸檬れもん君。見てごらん」


 椿君は、ふっとやわらかく笑って、窓の向こうの森をした。


「なにあれ」


 私は見る。

 そこには山があって、一本道がある。


 一本道に細い線香のけむりが、ゆらりとへびのように動いて、頂上ちょうじょうへと向かっていた。


けむり? あれって線香なの?」

「そうだよ。あれは、お客様を思って、誰かがとむらいの線香をいているんだ」


 とむらい? 感謝かんしゃってことかな。

 私は幽霊ゆうれいさんの顔色をうかがう。


 幽霊ゆうれいさんは、目をカッと見開みひらき、線香のけむりを見た。

 するとけむりのなかから、声がひびいてきた。


ーーあなたーー

ーーお父さんーー

「ああ。あああ。玉江たまえ美紀みき


 幽霊ゆうれいさんは、両手で顔をおおって、泣いた。


 えっ。なんで線香の煙から声がするんだろう。ってこの声、美紀みきちゃんと、そのお母さんだ。

 私は耳を、うたがう。


 耳が可笑おかしくなったのかな、っと思っていると、椿君が、ぼそりと言った。


「きっと、くなった、お客様の、ご遺体いたいの前で、家族が線香をあげて、手をわせているんだ」

美紀みきちゃんたちの、心の声が線香から聞こえているの」

「そうだ」


 椿君は私にけた。

 私のむねが、またツキンとした。


 線香から聞こえる声が、すごくさみしげで、私ははなをこする。


ーーもう一度、お父さんの声が聞きたいーー

ーーあなた、目を覚ましてーー


つらいよね。ある日、とつぜん、家族がいなくなる。

 私、きっとちゃんとわかってなかった。


 家族がいるのが、当たり前で、つい、わがままを言っちゃう。


ーーお父さん。私の名前を呼んでよーー

ーーあなた、いなくならないでーー


 幽霊ゆうれいさんの家族の声を聞いて、私は、やっと気がついた。


 お母さんとお父さん。それに大樹たいきにも、会えなくなるって、こうゆうことなんだ。


 それから、線香のけむりのなかから、たくさんの声が、聞こえた。


 親戚しんせきなのか、会社の人なのか、友達なのか、たくさんの声が幽霊ゆうれいさんに、話しかけていた。


「うううう。私にはこんなにも、大切な人たちがいた。たくさんのしあわせを、もらっていた」


 幽霊ゆうれいさんは、ずっと泣いていた。とても綺麗きれいなみだを流して。

 なんて答えていいのだろう。


 私が立ちつくしていると、幽霊ゆうれいさんの涙から、ひと粒の青い宝石がこぼれ、机にコロリと落ちた。

 椿君は、それをひろった。


「さぁ。お客様、あの線香が、行き先をしめしてくれます」


 幽霊さんは、うなずくと、カフェの扉を開けた。

 薄暗うすぐらい森に、ゆらめく線香の白いけむりが、綺麗きれいに思えた。


ーーお父さん、大好きだよーー

ーーあなた、いままで、ありがとうーー


 幽霊ゆうれいさんは、大切な人たちの声を聞きながら、線香のあとを追って、山を登って行った。


「あの、線香のけむりの先には、なにがあるの」


 私は幽霊ゆうれいさんの背を、じっと見ながら、となりに立つ、椿君に聞いた。


「あの山は、死出しでの山。山をえれば三途さんずの川が、ある」

「さ、さ、さ、さんずのかわ」


 さすがに、もうおどろくことはないと思ってたけど、私は目を、まん丸にした。


 三途さんずの川って、死んだらわたる川だよね。こんなに近くにあるの!


 私、寸前すんぜん

 つい、とんでもないことを考えてしまう。

 でも、椿くんの言うことを、うそだなんて、もう思えない。


「ここは黄泉よみの世界へのいざなう。中間地点。まぁ、休憩所きゅうけいじょいこいの場って、ところだ」

「なにそれ、ところで、手の中の物ってなに?」


「これか、あの幽霊ゆうれいが、満足まんぞくしてできた、宝石の結晶けっしょう。このカフェの、お勘定かんじょうだよ」

「お勘定かんじょうってことは、これが、お金なんだ。ってお金とるんだ」

「ここは、カフェだからな」


「あれ、さっき、いこいの場だって言ってなかった?」

「さぁ」


 椿君が、すっとぼけた声を出す。

 なんだか可笑おかしくなって、二人で、ふふっと笑い合った。

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