第14話 もうひとつのお店 2 

──ぴちゃり。


 お客様から、聞きれない音がして、私の体はピシリとかたまった。


 だって、全身濡ぜんしんぬねずみなんだもん。


 50歳ぐらいの男の人で、白髪しらがだらけで、生気せいきの失ったうつろの目をしている。


 顔はむらさきに近い青で、せこけていた。

 その男が、ぼうっと立ってるんだから、恐怖きょうふしかない。


 なにこの人? 本当にお客様。

 それも、そのお客様は薄汚うすよごれているし、ところどころ、やぶれた灰色のポロシャツを着て、ヨレヨレのこんのズボンを着て、くつが片っぽない。


 変。

 絶対に、普通の人じゃないよ。おまわりさんを呼ばないと。

 私が身を引こうとすると、ピチャリ、ピチャリと音を立てて、お客が近づいて来た。


 ぎゃああああ。こっち来た。なぐる物は? あ、ほうき。

 私は道具箱に目をやった。


「お客様、こちらに」


 椿君は、いつも通り、お客様を席にとおす。私は、だだだ、と背中を向けたまま、あとずさりすると、トンと壁にぶつかり、壁にりついた。


 お客様は、寒いのかブルブルとふるえながら着席ちゃくせきした。


檸檬れもん君。オーダーだ。紅茶を入れてくれ。君にまかせるそうだ」


 まかせる……。むり、むり、むり、むり、むり。私は首をブルドックのようにった。


「あう、あう、あう」


 アシカのような声しかでない。


「とにかく、温かい飲み物。わかるか」

「あちゃちゃかい(温かい)飲み物?」


 私は恐怖きょうふで、涙目になりながらも答えた。と、椿君はうなずく。


 そのひとみは、逃げることを許さないと言いたげだった。

 お客様がこっちを、うつろの目で見てくる。


 うっ。うっ。うっ。

 泣きたいよ。

 なにこれ、私、のろわれるやつなの。

 そんな気がしてならない。


 死んでいるようにしか見えない、お客様に、私はどうしていいかわからなかった。


(もしかして、幽霊ゆうれいさん……なんてあるわけないよね)


 私はふるえながら、厨房ちゅうぼうに向かった。


 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ

 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ


 失礼だとは思いながらも、おきょうとなえてしまう。


 心の中でとなえるぐらいいいよね。

 のろわれたくないし、ってなに考えているんだろう。


 と、バカげたことを考えながら、私は紅茶を選んでいると、兄さんが私の横に来た。

 ほっとして、私は冗談じょうだんぽく、小さく、聞いてみた。


「あの、お客さんって、死んでいるみたいだね」

「死んでるよ」


(ほら、生きてる……)

「今、なんて」

「あの、お客様は幽霊ゆうれいだよ」


 ゆゆゆゆゆ、幽霊ゆうれいさんですと! 

 そんな、さわやかに、笑って言われても。


 なんなの、じゃぁ、私は幽霊ゆうれいさんに紅茶をだすの。

 ぎぎぎぎっと首をめぐらせると、椿君のおしかりを受ける。


檸檬れもん君。はやく」

「ふぁいいいいい」


 返事すら、まともに出来なくなってしまう。

 よけいなことは考えるな。今は紅茶を作らなくちゃ。

 へっちゃら、へっちゃら、へっへっへっへ。


 私は目を泳がせながら、体が温かくなる紅茶をざっと探した。


 カカオ。ショウガ。香辛料こうしんりょう

 このへんなら、体がポカポカすると思うんだけど、でも、死んでる人に、それは通用つうようするのだろうか。


 私は横目で、お客様を見た。

 ガタガタと机がれるほど、貧乏揺びんぼうゆすりをしていた。

 うーん。ショウガ紅茶でいっか。


「……」


 でもなぜか、ちがう気がした。

 私はちがう紅茶を手に取った。


 なんでだろう。この紅茶な気がする。

 私はうなずき、手に取った紅茶を、ちゃかちゃかと用意した。


「ハニーレモンです」


 私は、どきどきしながらも幽霊ゆうれいさんに紅茶を出す。

 いい加減かげん幽霊ゆうれいさんに見慣みなれてきた。

 だからやっと普通に声が出るようになった。


 幽霊ゆうれいさんは、しばらく紅茶を見ていたが、ふるえながらも、紅茶のカップを持って、ずっと口をつける。なのに


(なんで、泣くの)


 ひた口飲んで、幽霊ゆうれいさんは、いきなりハラハラと泣きだした。


「うっうっ」


 不味まずかったのかな。

 私、紅茶を選ぶの間違えたかな。でも幽霊ゆうれいさんの様子は、さっきまでの表情とは打って変わって、おだやかに見えた。


 私は怖いのが吹っ飛び、泣く幽霊ゆうれいさんのかたに、そっとれる。


檸檬れもん君。れては、だめだ」


 椿君の止める声が聞こえたけど、そのときは、すでにおそかった。


「えっ」


 私の意識いしきが、真っ黒になって、ブラックアウトした。


 私、どうなるのおおおお。

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