第6話 お客様が来ました 

 カラン。とびらに取り付けられたかねひびいた。


「いらっしゃいませ」


 ついに始まった、初めてのお仕事。私はなんだか緊張きんちょうして、ちょっと、きそうになった。

 おえええ。

 胃のあたりが、ぎゅうってする。

 

 初来店されたのは、二人の女の人。

 丸眼鏡まるめがねをした、お姉さんと、短髪たんぱつのお姉さん。高校生くらいかな。


 お客様が、にこやかに入って来たので、私はかしこまって、背筋をピンとさせた。

 優しそうで良かった。

 えっとまずは、私は笑顔を向ける。これが営業えいぎょうスマイルってやつ。


「お二人様のご来店らいてんです。こちらへどうぞ」


 どや顔で言いきり、私は、これでいいんだよね。っと椿君に習ったばかりの接客せっきゃくを、ご披露ひろうした。


 でも顔はできても、緊張しすぎて、体がうまく動いてくれなかった。


 私はかちこちに、体をこわばらせて、席に案内する。ときどき、両手と両足が、そろっちゃうけど、初めてなので許してほしい。


 うしろのお客様が「可愛かわいいね」「この子も小学生だよね」なんて、ぼそぼそと話していて、おもわず、にまにましてしまう。


「コホン」


 にやついている私を見て、椿君が咳払せきばらいをした。

 おっと、いけない。集中。集中。


 お客様を席に案内すると、とりあえずは、私の仕事はいったん終了。すぐに椿君が、おやをお客様におだしする。


 うん。椿君、凜々りりしいな。横顔だけど、ちょっと見とれちゃう。


「ご注文票です。今日の日替ひがわり菓子かしは、フロランタンとなっています」


 私が椿君の働きっぷりに見とれていると、聞いたこともない呪文じゅもんのような、お菓子かしの名前が、でて私は目をみはる。


 風呂ふろ、ランタン。

 なんじゃそりゃ。風呂にランタンでも浮かべるの?

 でも、お菓子かしって言ったよね。


 ふやけそうな名前のお菓子かしに、私は首を、かたむける。


「ご注文は、アッサムティーと、アップルティーですね」


 おっと。考えごとをしていた私は、椿君の声に、心がはずんだ。


檸檬れもん君、紅茶を」

「はーい」


 紅茶の注文が決まったと言うことは。

 ふふふ。出番でばんが来たよ。やっと、ちゃんとした、私のお仕事がきた。


 私はって、うでげて、力こぶしをした。初めてのオーダーだ。

 頑張がんばるぞ。


 私は厨房ちゅうぼうに入る。

 大きなたなには、ずらりと紅茶が、ならばれていた。

 えっと、アッサムティーとアップルティーは……。


 たなを見渡す。その中心部に、お目当ての紅茶を見つけて、私は手を伸ばした。

 うう、届かない!

 わずかに身長が足りず、私はつま先立ちになって、プルプルとした。


「はい。これでいい?」


 すると、すっ。と目の前に紅茶と、大きな手がでてきた。兄さんが紅茶を取ってくれて、私は、ほっとむねで下ろした。


「ありがとう」


 そこに


「きゃっ」


 客席のほうから、嬉しそうな声があがった。

 ん? なんだろう。


 私は首をひねって、客席を向くと、お客様の顔が、ほんのりピンクになっていた。お客様の目線は私……を通りした、うえ。

 兄さんだった。


 兄さんは気がついて、客席に向かって、笑顔を振りまくった。ますます、お客様の顔が赤くなる。


 おおーい。ここは、ただのカフェだよね。かつとかするところじゃないよね。

 私はあきれた。


 だけど、なるほど、兄さんは客寄きゃくよせのためにいるのか。

 私はととのった顔の兄さんを、チラリと見あげる。

 うーん。カッコイイからな。AIだけど。


檸檬れもん君、し・ご・と」


 私の手が止まっているのを見つけて、椿君の眼鏡めがねの奥が、ギラリとするどく光り、注意された。


 ああ。はいはい。わかっていますとも。

 私は紅茶作りを再開さいかいした。いまだに笑顔をくずさない兄さんを無視むしして、カップをたなから出す。


 グツグツと沸騰ふっとうした熱湯を、カップとティーポットにそそいで、ふたをする。

 カップとティーポットを温めないといけないんのだ。

 温まったら、お湯をてる。


 私は紅茶の缶を持って、ぱかりとふたを開けた。


(うん。いい匂い)


 茶葉の香りがして、私はうっとりと鼻を、すんすんさせた。ぐだけで、しあわせになれる。


 えっと、紅茶、一杯分の量は、だいたい三グラムだから、まあ、ティースプーン中盛り一杯が目安めやすってところか。

 ふふ。お母さんに習ったもんね。


 私は茶葉をスプーンですくって 温められたティーポットに、茶葉ちゃばと新しいお湯を入れてふたをした。そのうえから、茶葉をらすために、布をかぶせた。


 湯気から、さらに、紅茶のいい香りが広がって、私は納得なっとくのできに、うなずいた。

 よっしゃ、完璧かんぺき

 

「はい、椿君」


 砂時計をひっくり返すと、私はティーカップとティーポットをおぼんにのせて、椿君に手渡した。


 椿君は厨房ちゅうぼうの奥から小皿を持って来て、それをお盆にのせる。


 お皿には香ばしそうなにおいがして、アーモンドがぎっしりで、キャラメルがコーティングされた、クッキー生地きじの、お菓子がのっていた。


 あれか。あれが風呂、ランタン(フロランタン)ってやつか。美味おいしそう。


 つい、じっとお菓子を見ていると、椿君は、お客の席へ紅茶と洋菓子ようがしを運んだ。

 いいなぁ。食べたいな。私はながめる。


砂時計すなどけいが落ちきったら、紅茶の飲みごろです。どうぞ、ごゆっくりと、お過ごしください」


 そうお客様に言うと、椿君は私のとなりへと立った。お客様は砂時計すなどけいが落ちきると、紅茶に砂糖を入れて、スプーンで中身を、かきぜ、そして、紅茶を持つ──


──うわ。なんだか私の心臓しんぞうがバクバクしてきた。

 紅茶の売店員だった母には、みっちり、紅茶の入れかたを習っているけど、こうして、お客に出すのは初めて。


 お客様が、ズズっと紅茶を飲む。


「あれ」


 お客様は、きょとんとしていた。

 うわ。なになに。どうしよう。不味まずかったのかな。

 私は心配になり、あわあわと助けを求めるように、椿君を見た。


美味おいしい。このまえ、飲んだときは、味が無かったけど」

「……」


 そうだ。ここの紅茶は椿君が入れてるんだった。あの、ダージリンの、味と香りを無くす、クソまずい紅茶。

 私は目を細めて椿君を見る。


 うん。あれと比べたら素人しろうとが入れた紅茶でも、美味しく感じると思う。

 よく、お客様が、なんどもカフェに来るものだな。


 と、思っていると、うしろからキラキラと光りが、差し込んでくる気がして、振り返る。

 兄さんが、まぶしいほどに、光りのごとく、笑顔をお客様に向けていた。


 私は白い目をする。なるほど、あの笑顔が目当てで、不味い紅茶でも、カフェに来ちゃうんだね。


 椿君の横顔を見つめると、唇のはしをあげて、かすかに笑っていた。

 わかっててやってるな。


 カラン。


 私があきれていると、新しいお客様が、いらしゃった。一度経験すれば、緊張《きんちょう》も、吹っ飛んだ。


 よしよし、はたらけてるぞ。小学生従業員しょうがくせいじゅうぎょういんまんざらでもないぞっと、調子に乗っていると、あわただしくなった。


「檸檬君。アプリコットティー」

「はい」

「檸檬君。桃ティー」

「はーい」

「檸檬君、マスカットティー」

「はぁい」

「檸檬君、檸檬君、檸檬君」

「はーい。はい、はい。はい、はい、はい」


 うおぉぉぉぉぉぉぉ。いそがしいわ。小学四年生に、こき使いすぎじゃない。もう、いやだ。もう、休みたい。もう、くたくた。


 檸檬れもんらないもん。帰る。

 げやりになりかけていると、椿君のするどい目が合った。


「檸檬君」

「……はーい」


 迫力はくりょくに負けて、私は小さく返事を返した。


 なんだろう。干物ひもののようにカラカラになった気分なんだけど。私はヘロヘロになりながらも、いそがしく店のなかを、け回った。


つかれた……」


 午後三時。ようやく一時間がち、私はテーブルに頭をさげて、ぐったりとした。椿君は、余裕よゆうそうに、くすくすと笑っている。


 こっちは、初めてのお仕事なんだ。いたわってほしい。なんて思っていると椿君は


「はい。お疲れ様。残り物だけど、フロランタンだよ。食べるだろう?」


 そう言って洋菓子ようがしの、のった皿を差しだしてくれた。


「え。風呂、ランタン。食べる。やったぁ」


 あの美味おいしそうなやつだよね。やった。私は受け取り、行儀悪ぎょうぎわるいが、立ったままパクリと頬張ほおばった。


 なにこれ。ほろ苦くて甘い、アーモンドが口に広がる。やば、ほっぺたが落ちそう。目からうろこが落ちる勢いで、私は椿君を見た。


「美味しい。疲れがとれる」

「ふふ。仕事は、まだ始まったばかりだぞ。明日もあるんだ」

「ううううう。頑張る」

「その意気いきだ」


 まるで、あめむちのようにあしらわれ、私はいきを、ふうっといた。こうして、初日のガーデンローズでの、お仕事は終わった。


 お仕事って大変。

 お父さんも、お母さんも、いつもこんなに大変な思いをしてたんだな。私はかたを、とんとんとしてみせた。

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