第3話 ガーデンローズ

 その男の子は、美少年びしょうねんだった。

 さらさらの黒いかみに、黒ぶち眼鏡めかねで大きなひとみすじの通ったはな、薄いくちびる、黒い執事しつじ格好かっこうで、背筋をピンとさせて、白い手袋てぶくろを口元にあてて、くすりと笑っていた。


 うわ。かっちょいい子が目の前にいるよ。

 全学年のなかにだって、こんな顔の良い子、ぜったい、いないと思う。


 私より頭一個分くらい背が高いけど、小学生だよね。

 私が目をまん丸にして、男の子を観察かんさつしていると、男の子は、ゆっくりと近づいてきた。

 

怪我けがは、ない?」


 私は、はっとする。

 いかん。見とれてる場合ではないぞ。

 割ってしまった水晶のことを思いだし、カチーンっと固まって、緊張きんちょうした。


「なななななな、ないです」

「さぁ、立って」

「ははははははは、はい」

「ふふ。どもり過ぎだよ」


 だって。怒られるよね。

 私の手が、少しふるえた。男の子は手を差しだす。私は手を借りて立ち上がる。


「ごめんなさい。私……割っちゃって……」


 深く頭を下げてあやまる。


「うん。どうしてここに?」

「えっと。バラの匂いがして、それで気になって入っちゃったの」

「ふーん。どこのおじょうさん?」

「おじょ……橋の向こうから来たの」

「そう。なんにしても怪我けががなくて、良かったよ」


 なんか、ちょっと変わった雰囲気ふんいきの男の子だけど、にこりと笑っているから、私は、ほっとする。


(よかった。怒ってない)


 ものすごく、怒られるかと思った。

 だって、家で食器を割ったときなんて、鬼の様なお顔で、お母さんは怒るんだ。


 私は安心して、にこりと微笑ほほえんで、息を、ふぅ~っと吐いた。


「ところで、ここ、立ち入り禁止って書いてあったよね。漢字読めなかった?」


 ぎく。

 男の子は痛いところを突いてきた。

 あれれ、心なしか目が笑ってないような……。


「あとね。君が割った水晶」


 え、なに? なんか雲行きが……。

 どきどきと私の心臓しんぞうが飛びだしそうになる。


「ものすごーく、貴重きちょうな物なんだ」


 えええええ。


貴重きちょう! それって、た、高いの?」


 男の子は笑ってる。とても優しく。

 それなのに、どんどん怖く感じてきた。


 ねぇ、これって私は責められてる? 私が悪いんだけど。悪いんだけど、その笑顔、止めて欲しい。

 ”笑顔の男の子”の銅像があったら、こんな感じかもしれない。冷めた目。


「値段? うん。高いよ」


 私は、たらたらと冷や汗を流した。


「いかほどで」


 なぜか、お祖母ばあちゃんが使う、古い言葉が出てしまった。男の子は指を二本立てた。


 二千円?

 よしよし、それならお年玉の残りがあるはず。と思っていると


「二十万」

「に、にじゅうまん!」


 私は、ものすごく驚いて、目玉が、ぎょぎょっと飛び出しそうになった。

 なんですと。二十万!


 そんな大金を見たことも触ったこともない。見たことがあるのは、せいぜい、一万円ぐらい。それでも手がふるえるほどの大金なんだけど。それが二十枚。


 私はあわあわとして目を回した。

 うそだぁ。

 言葉をまらせていると、さわやかに、男の子は「ふふ」と笑った。


「それも、この世では買えない」

「はい?」

(この世ではってなに? この人、私をからかってるの)

「ああ、ほら結界けっかいが、ほころんで悪い物が入って来たじゃないか。まあ、東側だけだから、なんとかなるけど」


 わけのわからない空を指して男の子は言う。私の頬がヒクついた。


「ほころんでって?」

こわれてって意味だよ」

「悪いものって?」

「感じない。良からぬ気配けはい。ほら、そこのバラがれ出した」


 さっき見ていた青いバラが、しわしわになって、茶色っぽくなっていた。

 いやいやいやいや。たまたまでしょう。そりゃあ、なんか、ぞっとするけど……それに悪いものって……なに?


 この人、なにかヤバイ宗教しゅうきょうの人かもしれない。

 うち、仏教ぶっきょうなんだけど、すすめられたらどうしよう。


 男の子の変な言葉に、私の頭のなかは、自転車をフル回転させるみたいな勢いで、回した。


 それよりお金……どうしよう。二十万なんてはらえないよう。

 二十万ってどうやって、集めればいいの。

 二十万って紙に書いて渡すのはダメだよね。


 どうにかして、この場をさけたい。でも、なにもかばない。


 お母さん、お父さん。ごめんなさい。お金がないよ。ええーん。二人には言えないよう。お祖母ばあちゃん払ってくれるかなぁ。

 なんて考えていると、はあっと男の子は、ためいきをした。


「君では払えないよね」


 コクコクと私は首を上下に振った。


「両親に相談するしかないね」


 男の子に言われ、私はお母さんのおこった顔を思いだす。ついでに、おしり、ペンペンまで思いだし、お尻が、きゅっとなった。

 私は男の子のそでを必死につかんだ。


「あーうー。あーうー」


 まるで弟の大樹のような声をあげてしまった。そのまま涙目で男の子を見つめた。


「両親に知らせたくないの?」


 知られたくない。怒られる。殺される。

 実際は殺されないのだけど、気持ちがそんな感じなのだ。私は、なんども、うなずいた。


 それに、お父さんとお母さんに迷惑めいわくをかけたくなかった。いつだって、大樹の世話で忙しいのに、大樹みたいに迷惑なんてかけられない。絶対に知られたくない。


 私の必死ひっしさを見てか、男の子は手をひたいに押さえて、考えるそぶりをすると、一本の指を立てた。


「君。紅茶を入れれる」


 ん。紅茶?

 不思議に思いながらも、私は赤べこのように頭を縦に振って、うなずいた。


「入れれる。うん。紅茶好きだし、お母さんが紅茶の売店員さんだったから、美味しい紅茶の入れかた、習ってるよ」

「ほう。なら、お金を払う代わりに、ここで働きなさい」

「へっ」

「君、ここの従業員じゅうぎょういんな」

「えええええええええええ」


  男の子は天使のような微笑ほほえみで、とんでもないことを言い出した。

 私が働くのここで?

 小学生だよ?


 空は青空。バラの花びらが、っていた。


 こうして私は、夏休み限定で、ガーデンローズで働くことになった。

 マジかぁ……。

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