地球最後の少女 ──そして彼女は、失われた世界をもう一度歩き始める。

かれは

第1話




 


目を開けた瞬間、世界は白かった。


天井も、壁も、床も、何もかもが無機質な白で覆われている。無臭の空気が肺に流れ込み、体が冷えているのをようやく認識する。


私は——どこ?


反射的に起き上がろうとして、鈍い違和感が脊髄を駆け抜けた。何かがおかしい。何も思い出せない。名前すら。目覚めの後に自然に訪れるはずの「私」という輪郭が、頭の中に描けなかった。


静かだ。


……いや、違う。音がする。


「……ウィィィン……」


微かに、機械の駆動音が響いている。振り向くと、部屋の上部に取り付けられた監視カメラが、まるで生き物のようにゆっくりとこちらを見ていた。私が動けば、それに合わせて“首”を振る。


見られている。


誰かが、どこかで、私を見ている。


私は静かに呼吸を整え、ベッドの端に座った。感情を追い出すように、状況を整理する。


白い部屋。監視カメラ。……ベッド。机。ドアらしきものはない。


私服。病院着ではない。靴も履いていない。


そのとき——


「ヴー……」


小さな振動が、腰のあたりから伝わった。ズボンのポケットの中で、何かが震えている。


手を入れる。冷たい感触。取り出すと、それは携帯電話だった。


古い型。表面には小さなヒビ。画面には《着信》の文字が浮かんでいた。


通話相手の名前は表示されていない。番号も、「不明」。


私はしばらく躊躇してから、通話ボタンに指を滑らせた。


「……」


少しの沈黙のあと、男の声が聞こえた。


「やあ、初めまして……いや、二度目まして、かな」


その声は、穏やかで、どこか愉快そうで——でも、どこか壊れていた。







 


「……二度目まして?」


私は思わず声に出していた。


通話越しの男は、すぐに答えた。


「そう。君とはもう一度、会ってる。正確には……話したと言うべきか。いや、こうやって“会話”するのは初めてかもしれないね」


どこか冗談めいている。けれど、そこに浮ついた軽さはない。不自然な余裕が、言葉の隙間に張り付いているようだった。


「あなたは誰?」


「誰でもないさ。強いて言うなら、案内人、かな。あるいは観測者、実験者、監視者、加害者……どれも少し違う」


彼の声は途切れず続いた。


「……世界は今、大変なことになってる」


私は眉をひそめた。


「世界?」


「君は……何も知らないのか。いや、覚えていないのか。そうか、なら無理もない」


一拍おいて、男の声が少しだけ優しくなった気がした。


「大丈夫。とりあえず、そこにいれば安心だ。安全は保証するよ。君を害するものは、少なくともその部屋には存在しない」


「……ここはどこなの」


「地球の、どこかさ」


からかっているようにも、はぐらかしているようにも聞こえる返答だった。


「なぜ私をここに?」


「それについては……すぐにわかる。次の部屋に進めば、少しずつ見えてくる」


「ふざけないで。これは誘拐? 監禁? 目的は何?」


声を強めたつもりだった。けれど通話の向こうに、動揺はまるでなかった。


「君は賢い。だからいずれ気づくよ。すべてに意味があることに。ここにいる理由も、君が選ばれた理由も」


「私は——」


言いかけたその時、突然、通話が切れた。プツン、という音さえもなく、画面がスリープ状態に落ちる。


私はしばらく、無言でその黒い画面を見つめていた。


部屋は静かだ。再び、機械の唸りだけが小さく響いている。


……意味がある?


何の?


そして——誰が、私をここに連れてきた?


私は静かに立ち上がる。すべての疑問に答えがあるとするなら、それはここではない。どこか、先へ進んだ場所にある。


そのためには、まずこの部屋の出口を見つけなければならない。








 


ベッドの下から手を伸ばすと、指先に硬い感触があった。


引きずり出すと、それは一枚の紙切れだった。白地に、細かい黒文字がびっしりと印刷されている。メモではない。印刷された「意図」がある。


私は床に座り、読み始める。


 


この部屋から出るには、正しい順序でスイッチを押すこと。


部屋の中には4つの押しボタンがある。


順番は、「あなたが最初に失ったもの」から「今、持っているもの」までを示す。


 


「……順序?」


私は顔を上げ、部屋の中を改めて見回した。


部屋の四隅に、それぞれ銀色の小さなボタンが壁面に埋め込まれていた。どれも同じ大きさ。ラベルもなし。見た目には区別がつかない。


——順番は、「最初に失ったもの」から「今、持っているもの」。


私は深く息を吐いた。


失ったもの。私は何を失った?


記憶だ。名前、過去、自分自身。目覚めた瞬間、何もわからなかった。だから「記憶」が最初。


次に、今、持っているもの。


私は膝の上に置いた携帯電話を見た。——これが、今、私が持っている唯一の道具。だから最後は「携帯」。


間に何がある?

ベッド。監視カメラ。……そう、監視だ。誰かに見られていること。それが今の私の“状態”。


私は順に並べる。


記憶 → 視線(監視)→ 通信(携帯)


そして——


それぞれに対応するボタンは、部屋の四隅にある4つ。


私は立ち上がり、部屋の角を確認していく。


北東の壁:カメラに最も近い。

南西の壁:ベッドの枕元。

北西の壁:壁の一部に、わずかにヒビがある。

南東の壁:何もないが、床がかすかに軋んだ。


私は考える。


ヒビ=壊れた記憶。

監視カメラの近く=視線。

ベッド=最初に目覚めた場所=意識の回復。

床が軋む=不安定な足元=今、進むこと。


……いや、違う。


この謎は「言葉通り」に、順番と「今ある情報」から推論できるようになっているはず。


私はもう一度、紙を読み返す。


「最初に失ったもの」から「今、持っているもの」までを示す。


ボタンの場所ではなく、意味を当てはめていくゲーム。


つまり、これは順序推論型の謎だ。


私はそれぞれの角に、仮の意味を割り当てる。

• 北西(ヒビ)=記憶(壊れている)

• 北東(カメラ近く)=視線(監視)

• 南東(床が軋む)=移動(今、持っている「行動」)

• 南西(ベッド)=目覚め、でもそれ自体は中立


「記憶 → 視線 → 通信」という順なら、

• 北西 → 北東 → 南東


この順でボタンを押す。


私は緊張を殺して、一つ目のボタンを押した。——カチ。


次に、カメラの近く。——カチ。


最後に、軋む床の上のボタン。——……カチ。


一瞬、部屋に沈黙が戻る。


次の瞬間、「キィィィ……」というかすれた金属音が響き、壁の一部が静かに横にスライドした。


現れたのは、まるで洞窟のように真っ暗な通路。


冷たい空気が吹き込んでくる。


 


私は立ち尽くしていた。


何かが開いた。私は「正しい順」を選んだ。けれど、その先にあるのは、本当に出口なのだろうか。


それとも、もっと深い“迷路”なのか。


 


——でも、進むしかない。


私は一歩を踏み出した。









 


足音が、通路に吸い込まれていく。


スピーカーのような装置も見えない。ただただ真っ暗な道が続いている。けれど、前方の壁面に埋め込まれた小さな照明が、少女の足元だけを淡く照らしていた。


冷たい空気のせいか、あるいは緊張のせいか、肌がざわつく。


——なぜ、こんなことを?


その問いは、すでに何度も頭の中で繰り返された。


そのとき。


 


「早かったねー。さすが。こんなの、君にとっては問題にもならないか」


声が空気を這うように響いた。周囲に誰もいないのに、頭の奥から聞こえるような、曖昧な距離感の声。


「まあ、楽しんでくれ。っと、その前に。そこに置いてある水は飲んでくれて構わない」


通路の脇に、いつの間にか銀色の小さなテーブルがあった。上には透明なボトルが一本。


「毒? そんなの入ってない。私は怪しい人間だが、そういう手は使わない主義でね」


少女は声を無視して歩き続ける。


「……なんだ。よく喋る人だな」


ポツリと呟いたその声は、自分でも驚くほど冷めていた。


「なぜ私をここに連れてきた?」


問いかけると、男の声はすぐに返ってきた。


「次の部屋にヒントがある。……というより、次の部屋が“目的のひとつ”だよ。今の君にとってはね」


「曖昧すぎる」


「曖昧でいいんだ。考える余地がある方が、君らしい」


「……」


「それにね。君が今こうして“選んで”進んでいるってこと。それが何より大事なんだ。強制じゃない。これは、君が“望んで”進むための場所だ」


ふざけているわけではない。けれど、正面からの真実でもない。そんな声だった。


「もうすぐだよ。……次の“世界”に」


そう言い残すと、男の声はふっと途切れた。


 


通路の先に、ぼんやりと光が見え始める。


 


私は、立ち止まらない。


意味も目的もまだ霧の中だけれど、それでも。


進むしかないと、本能が告げていた。


 


 



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地球最後の少女 ──そして彼女は、失われた世界をもう一度歩き始める。 かれは @zonorei14

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