エピローグ「それぞれの未来へ」
白く透き通る光の中、静かに幕を閉じた「光の螺旋」は、それぞれの人生の始まりでもあった。
あの日、天空の都市で共鳴した七つのチャクラは、それぞれの心に確かな変化を刻み、その後の歩みを支える「光の地図」となった。
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森谷隼――臨床心理士として、「根ざす」場所へ
駅前から少し離れた坂の上に、その小さな診療室はあった。古い民家を改装した室内には、木のぬくもりと静かな光が溢れており、窓辺には数鉢の観葉植物が並べられていた。
室内の一角に設けられたカウンセリングルームでは、木製のテーブルを挟んで、ひとりの青年が穏やかに話を聞いている。
隼の表情は、以前よりも柔らかくなっていた。話を遮らず、沈黙も急かさず、ただそこに「居る」ことを意識して向き合っていた。
「……そうですか、そのとき、胸が苦しくなったんですね」
隼は、患者の言葉の奥にある“本当の声”を聴こうとしていた。それは、かつて自分自身が誰にも言えなかった痛みを抱えていたからこそ、できる姿勢だった。
カウンセリングが終わり、患者が静かに頭を下げて帰っていったあと、隼は窓を開けて、外の風を吸い込んだ。
春のにおいがした。
昔の自分なら、この穏やかささえ罪のように感じていたかもしれない。だが今はちがう。
「弟も……きっと、こういう時間を望んでたと思う」
小さくつぶやいてから、彼は棚の上のノートを手に取った。それはチャクラについて、自身の経験と学びをまとめたものだった。
色と呼吸、心の反応。セッションで用いるワークシート、簡単な瞑想のガイド。
「“光”は誰の中にもある。それを忘れないように伝えていくのが、今の俺の仕事だ」
彼はそのノートを閉じ、静かに椅子にもたれた。
部屋の空気は透明で、どこかあの日の天空に似ていた。
浅田紗季子――「白黒を超えた支援」の先へ
被災地支援に取り組むNPO法人〈結びの灯〉の代表として、紗季子は今日も現場にいた。
長靴に泥が跳ね、髪には土埃が絡んでいたが、そんなことは一切気にしなかった。彼女の視線は目の前に立つ年配の女性の顔にしっかりと注がれている。
「家の裏手、もう少しだけ見てほしいって……」
女性の声は震えていた。過去に何度も行政に断られ、自分の声が「聞いてもらえない」と諦めかけていたその目を、紗季子は真正面から見つめ返した。
「もちろん、行きましょう。私たちは“声”を無視しない」
言葉に力がこもる。かつて、自分自身が「正しさ」に縛られていたころには口にできなかった台詞だった。
彼女は以前、自分の判断が「助けたい人」を傷つけてしまったことを深く悔いた。その後悔が、彼女をこの道へと押し出した。
物資を届けるだけではない。制度を整えるだけでもない。
「人の心の“グラデーション”を見逃さないこと」が、彼女の活動の根幹になっていた。
事務所に戻ると、机の上にはスタッフからの報告書と、地元の高校生が書いた感謝の手紙が重ねて置かれていた。紗季子は一枚一枚丁寧に目を通す。ふと目にとまった一文に、思わず笑みが漏れる。
「“支援されてる”って感じじゃなくて、“一緒にいる”って感じでした」
(それで、いいんだよ)
彼女はそう呟きながら椅子に座り、ふと遠くの山並みに目をやった。そこには、あの台風の夜、望鈴や隼とともに過ごした避難所の光景が蘇る。
あの夜、彼女は愛の形に戸惑い、正しさと曖昧さの間で揺れた。でも、今ははっきりしている。
「答えは白でも黒でもない。その間に立ち、灯りをともす人間でありたい」
そう思える自分になれたことが、何よりの誇りだった。
デスクの脇には、彼女が毎朝欠かさず使っているチャクラカードと瞑想ノートが置かれている。自分の内側を整え、他者と調和して向き合うための大切な習慣だ。
(弱さを認める強さを、私はようやく手に入れた)
その強さは、彼女を日々の「光の実践者」に変えた。
北田雅彬――音と言葉が織りなす“目に見えない舞台”へ
かつて廃校の音楽室でこっそり弾いていたピアノは、いまや舞台の中央に置かれていた。
静まり返った照明の下。観客たちが息をひそめるなかで、北田雅彬は無言のまま鍵盤に指を置いた。そして最初の一音が空気を震わせた瞬間――会場の誰もが、目に見えない“何か”に包み込まれていくのを感じた。
彼はいま、「音と詩」を融合させる新しい表現者として活動している。
名刺の肩書きには「音語詩人(Ongoshijin)」とだけ記されていた。言葉では語れない真実を、音の中に、詩の隙間に忍ばせる。そんな表現の仕方を、彼は選んだのだった。
この日の演目のタイトルは、《透明な傷口》。静かな旋律の合間に、彼の朗読する詩が重なる。
誰にも言えなかった言葉は
いま、指の隙間から音になって
ようやく空気を震わせる
あなたに届くかは わからないけれど
ぼくはそれでも 奏で続ける
音が途切れ、静寂が会場を満たしたあと、観客の誰かがふと、涙を拭った。それがどんな意味を持つのか、彼にはわからない。でも、わからないまま届けることが「本当の声」なのだと、いまでは思える。
終演後、舞台袖でスタッフと話す彼の表情は以前よりもずっと開けていた。
「信用されにくい、って昔は思ってた。でも今は……信用されるかどうかより、“通じ合える瞬間”があることの方が、ずっと大切だって思うんだ」
かつて誰にも届かないと思っていた“声なき声”は、いまや舞台上で形を変え、無数の人々の心を震わせている。
演奏の最後、彼は客席に向かって小さく笑った。
「本当の声は、音でも言葉でもない。その隙間に、いつも宿ってる」
そう告げるように、ピアノの蓋をそっと閉じた。
片桐望鈴――自然の記憶を伝える人として
朝露がまだ葉に宿る時間帯。片桐望鈴は、木々のざわめきと鳥のさえずりに耳を傾けながら、森の奥へと足を進めていた。彼女がいま取り組んでいるのは、地元の森を「自然共育の場」として活かす活動。名もなき草木、忘れられた小道、動物たちの気配――そうしたすべてを、彼女は“記憶”と呼んでいた。
「木ってね、ずっと立ち続けているように見えて、季節とともにちゃんと呼吸してるんだよ」
彼女が話しかけているのは、十人ほどの子どもたち。近くの小学校からやってきた自然体験教室の参加者たちだった。
子どもたちは最初、泥の中に入ることを嫌がったが、望鈴がためらいなく足を踏み入れると、すぐに笑いながら後に続いた。彼女の行動には説明はいらない。ただ、そこに一貫した「自然との信頼」があるだけだった。
森の中の大きなクスノキの根元に腰を下ろし、望鈴は小さな焚き火を起こす。葉っぱの香り、木の皮の弾ける音、そして炎が揺れるリズム――五感すべてが“いまここ”を生きている実感を運んでくる。
その火を囲んで、子どもたちと静かに目を閉じ、呼吸を合わせる。
「感じることは、考えることより大事なこともあるんだよ」
言葉ではない教えを、彼女は「共にいること」で伝えていた。
休憩の合間、ひとりの女の子がこっそりと彼女の袖を引いた。
「ねぇ、私ね、悲しいとき、山に来るの。誰も話しかけてこないのに、泣きやんじゃうの。変だよね?」
望鈴は、その小さな手を握りながら微笑んだ。
「変じゃないよ。それが、“自然に抱かれる”ってことだから」
自分自身もかつて、自然にそうして抱かれてきた。感情を否定することも爆発させることもなく、ただそのまま、受け止めてもらえた記憶がある。
焚き火の火がゆっくりと燃え尽き、灰の中で静かに立ち昇る煙を見つめながら、望鈴は思った。
(私はここで、“根を張る”。どんな嵐が来ても、この地と共に在る)
彼女の中に開いたチャクラ――自然と感情をつなぐ第二、そして他者に寄り添う第四のチャクラは、いまやその行動に完全に溶け込んでいた。
土に触れる指先、風の温度を読む頬、誰かの涙を感じ取る背中。
彼女の「愛」は言葉ではなく、“共に在る”という姿で伝わっていた。
岩村正基――若者の「火」を育む教育者として
朝、教室のドアが開くと、岩村正基の姿が静かにそこにあった。
彼の背筋は相変わらず真っ直ぐで、無駄な動きが一切ない。その姿に生徒たちは一瞬だけ緊張を覚えるが、正基がふと笑みを浮かべた瞬間、空気は一気に和らいだ。
彼が務めているのは、地方都市に新設された私立の自由学習高校〈燈明学舎〉。ここでは、生徒一人ひとりの「内なる炎=意志」に寄り添い、育てる教育が行われている。
「“夢”を見つけることがゴールじゃない。大切なのは、火が消えそうなときにどう守るか、だ」
そう語る彼の言葉は、教科書よりも、誰よりも真っ直ぐに生徒の胸に届いていた。
彼自身、かつて“正解”を追い求め、燃え尽きそうになったことがある。だからこそ、彼は言葉で教えるよりも、生き方で示すことを大切にしていた。
午前中の授業が終わると、ひとりの男子生徒が教室に残っていた。正基は声をかける。
「何かあるか?」
「……僕、やっぱり進学やめようかなって思ってて。親は反対するだろうけど、ほんとにやりたいのは……火を使った料理の仕事なんです」
生徒の目は伏せられ、声は弱々しかった。だが、正基は頷いた。
「だったら、“炎”を消すな。誰よりも強く、それを守れ」
その一言に、生徒は目を見開いた。
「守る?」
「そう。自分の火は、最初はちいさくて不安定だ。でも、それを誰かの期待で消させたら、いつか自分を嫌いになる。――それが俺の、過去の失敗だった」
静かに語られる言葉に、生徒の目の奥が赤く潤んだ。
「先生も、そうだったんですか?」
「ああ。だから、俺は教師になった。若い炎を育てるために、な」
正基はゆっくり立ち上がり、窓の外に目を向けた。遠くの山々の稜線が、燃えるような朝焼けに染まっていた。
かつてあの山中で、自分の中の火が暴走し、隼を危険にさらしたこと。だがあの瞬間、隼が本当に「意志で動いた」姿を見たとき、彼の中でも何かが大きく変わった。
今の正基には、恐れも虚勢もない。あるのは、揺らがぬ信念。
(自分が燃やす炎は、誰かの“灯”になる)
それを信じて、今日も彼は教室に立ち続ける。
野崎千里奈――「ことば」と「問い」で生きるインフルエンサーへ
白を基調としたシンプルな撮影スタジオ。天井から吊るされた柔らかなライトが、カメラの前に座る千里奈を優しく包んでいた。
「じゃあ、今日は“自分の輝き方”について話すね」
彼女の声は画面越しでもしっかり届く。だが、そこにはかつてのような勢いだけの明るさはなかった。代わりに、深く静かな“気づき”がにじんでいる。
千里奈は今、YouTubeやSNSを中心に活動する哲学系インフルエンサーとして注目を集めている。チャンネル名は〈ことばの火種〉。毎回、自身が経験した葛藤や疑問をもとに、視聴者に問いを投げかけるスタイルが特徴だ。
この日のテーマは、「自由って、何だと思う?」
彼女はゆっくりと話す。
「前は、誰かの目に映る“キラキラした自分”が自分自身だと思ってた。でも、湖に落ちた夜……私、自分の本当の気持ちに触れた気がしたの」
あの夜の冷たい水、隼に抱き上げられたときの安心感、そして言葉にならなかった恐れと欲望。それらすべてが、今の千里奈を形作っている。
「だから今は、怖いと思う気持ちも、うまく言えない弱さも、ぜんぶそのまま出すって決めたの」
言葉にすることの難しさ、でもその大切さ――それを、雅彬との出会いが教えてくれた。
動画の最後、千里奈は必ず問いを一つ残す。
「あなたは、誰の“光”で生きてますか? それとも、自分自身の?」
視聴者からのコメントには、10代から60代まで、幅広い年齢層の真摯な言葉が並ぶ。
「自分の光が、わからない。でも探してみたい」 「泣きながら聞いてた。ありがとう、千里奈さん」
彼女はそれらを毎晩一つずつ読んでいる。無名の誰かの声に耳を傾けること、それがいまの千里奈の表現であり、生き方だった。
ある夜、配信後の部屋でひとり、千里奈は窓を開けた。外には月が浮かび、静かな夜風が吹いていた。
(ほんとうの声は、いつも心の奥で、ちいさく震えてる)
それを無視せず、向き合い、言葉にする勇気をくれた仲間たちを思い出す。隼、紗季子、望鈴、正基、雅彬――そして、あの光の都市で交わした約束。
(私は、ことばで光を届ける人になる)
その誓いを胸に、彼女は静かに明かりを落とし、画面を閉じた。
【エピローグ 完】
光の螺旋-チャクラのバランスは、人生の選択と向き合う力を映す鏡- mynameis愛 @mynameisai
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