砂場でも山でもない、丘が良い

松ノ枝

情熱の丘

『人生で常に持つべきものは情熱の丘である』

叔父がくれた言葉だ。

この言葉は私の心に深く刻まれたと思う。

刻まれたではなく、「と思う」を付けているのには理由がある。

それは刻まれたと思いたいだけなんじゃないかという疑心からだ。

くれた言葉には続きがある。

『一つの丘ではなく、多くの丘を持て。己が持ち得る限界まで』

ここの言葉がピンと来ていない。

情熱の丘、これは一種の波のようなものだ。

どこを始まりに見るかで多少変わるが、丘と言っている以上は小高い振幅がある。その振幅が一番情熱的になれる時期みたいなものだ。

今日、僕はそんな言葉をくれた叔父を上から見つめている。動かなくなった叔父を。

突然ぱたりと倒れたらしい。

昔から色んなことに熱心な人だった。思い出にあるのは僕が面倒くさがって課題の工作をやめようとした時だ。

『何でやめる、まだ途中だろ』

『疲れたし、面倒くさいし』

『何事も途中で諦めるな、中途半端はやらないことよりよっぽど質が悪いぞ』

この言葉は情熱の丘と近いと思う。

中途半端なやつはこの丘を持ってない。持っても丘より小さな砂場だけ。しかも砂場だからすぐに崩れてしまう。

 「僕は丘を持てたのかな、叔父さん」

 叔父の葬式が終わり、叔父の自室に呼ばれた。

 叔父が遺した手紙があるらしい。僕宛の。

 そこにはある言葉があった。

 『あの言葉、俺が死んでも覚えてくれよ。心に刻みたきゃこの言葉を胸に刻め』

 その一文と共にある一言が書かれていた。

 『ヒントは情熱の丘にある。砂場でも山でもない。丘だ』

 この言葉を見て僕はあの言葉の意味を理解した。

 砂場は脆く崩れてしまい、山は大きすぎて丘を小さく思わせる。波は大きさだけが取り柄じゃない。

 情熱は大きすぎず、小さすぎず、脆すぎない、ちょうど良い大きさがある。そういうことだ。丘を多く持つこと、それは自身が持てるちょうど良さを様々なものに向けること。情熱の大きさに押しつぶされない、ちょうど良さ。その丘を見つける、これが叔父の遺した意味なんだ。

 「情熱は良くも悪くもある。‥ちょうど良さか」

 確かに情熱は素晴らしいものだ。情熱があれば人は熱中し、素晴らしいものを作り上げることが出来る。でも情熱は心を燃やすこと、火力が強ければ燃え切ってしまう。故に燃え切らず、しかし芯まで熱を持つ、そんな情熱の丘を持つのが大切なのだ。

 「ありがとう、叔父さん。俺、丘を持つよ。山じゃない。丘を手に持てるだけ持つよ」

 無理はしない。でも努力はする。己の限界を知り、その限界で情熱の丘を持つ。

 叔父の言葉は僕の人生、その指針になった。

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砂場でも山でもない、丘が良い 松ノ枝 @yugatyusiark

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