【短編】着ぐるみの中の君に恋をした

くるとん

着ぐるみの中の君に恋をした

 この学校には、絶対的な存在がいる。


 名前は── 一之瀬 澪(いちのせ みお)。


 学年一の美少女? いや、学校全体で見てもトップだろう。長い黒髪はつややかに揺れ、肌は雪のように白く、細く整った指先まで神経が行き届いているような、そんな完璧な人間。無口で表情もほとんど変えないのに、それがまた神秘的で……要するに“高嶺の花”ってやつだ。


 毎日のように告白されてるって噂だ。上級生からも、他校の男子からも。それでも彼女は、誰の言葉にも動じず、静かに首を横に振る。


 そんな彼女と、俺、瀬尾 悠真(せお ゆうま)は……話したことすらない。


 教室も違うし、接点も皆無。廊下ですれ違えば奇跡、体育館の端から見かけるだけで話題になる。そんな存在。


 要するに、俺の人生に彼女が関わる可能性なんて──ゼロ。


 ……と、思ってた。



 ***





 昼休み、教室の窓から見える中庭。


 その中央に、彼女── 一之瀬 澪の姿があった。


 淡い風が、彼女の長い黒髪をさらりと揺らしている。そのたびに、周囲にいる男女の視線が一斉に集まるのが分かる。


 澪は静かにベンチに座って、文庫本を読んでいた。ただそれだけなのに、まるで映画のワンシーンみたいだった。


 俺は、思わず見惚れていた。


 すると──


「……おい、そこのモブ」


 背筋が凍るような声が、俺の背後から聞こえた。


 振り返ると、いた。


 黒い腕章をつけた、いかにもそれっぽい三人組。

 男子ふたりに女子ひとり。いずれもモデルみたいなビジュアルをしていて、胸元には「Ichinose Protection Force(IPF)」と書かれた缶バッジ。


 なんで英語なのかは知らないが、通称“澪親衛隊”。本気で存在してるんだな、こういうの……。


「あの……俺、何か?」


「見てただろ、一之瀬さんのことを」


「え? いや、そりゃ、まあ……」


「見るな」


「理不尽すぎるだろ!?」


 ツッコまずにはいられなかった。

 視線を向けただけで怒られるなんて、どこの貴族だよ。



 だが、俺の抗議などお構いなしに、女子の親衛隊員がジリジリと詰め寄ってくる。



「おまえみたいな一般人が、気安く視線を向けていいお方じゃないんだよ」


「一般人にも視線を向ける権利はあるはずだが……」


「いや、ない」


「即答すぎるだろ!」


 これ以上関わると校舎の裏に連れていかれそうだったので、俺はそそくさと荷物をまとめた。


 ちらっ、と中庭を振り返る。


 ちょうどそのタイミングで、澪がページをめくる手を止め、ふと顔を上げた。


 ──目が、合った。


 え、マジで? そんなバカな。


 澪の視線は確かにこちらを向いていた。でも、それはほんの一瞬で、すぐに文庫本へと戻っていった。


「……はは、気のせいだな」


 たまたま目の前を通り過ぎたハトでも見たんだろう。そうに違いない。


 ──まあ、いいさ。


 俺には、恋も青春も、関係ないんだから。


 ***



 その日の帰り道、いつものように帰宅途中、ふと目に留まった。


 雑居ビルのシャッターに貼られた、ポスター。


 《星和(せいわ)遊園地 臨時スタッフ募集!!》


 小さな、地元の遊園地だ。昔は賑わってたらしいけど、今は週末でも人がまばらな“寂れテーマパーク”の代表格。


 内容:運営補助・着ぐるみ補助・整備など。

 備考:有名Vチューバー「ミラクル★ひまぴよ」とのコラボイベントあり!!


「ひまぴよ……って、あのテンション高いやつか……」


 SNSでよく流れてくる、黄色いヒヨコ耳の謎アイドル。俺でも知ってる。


 正直、興味はない。


 けど──


 報酬:時給1200円、交通費全額支給。

 さらに「ひまぴよグッズ詰め合わせ」付き。


「……悪くねぇな」


 俺の財布は現在、秋風が吹いている。恋も青春も、俺には無理だ。でも金なら、いくらあっても困らない。


 遊園地なんて、地元民しか来ないし。


「よし、やるか」


 俺はスマホを取り出し、QRコードを読み込んだ。





 数日後、面接当日。


 古びた遊園地の事務所は、想像以上にレトロだった。というか、ほこりっぽい。


 扉を開けると、妙に静かだ。カウンターの奥から誰かの咳払いが聞こえて、やがて出てきたのは──


「ほい、面接かね?」


 どう見ても園長だった。青い作業着の胸には《星和遊園地 園長》と金色で刺繍された名札。頭には麦わら帽子。眼鏡の奥の目は優しそうなんだけど、なぜか妙にフランクだ。


「あ、はい。瀬尾 悠真です。応募の件で……」


「おお、あんたが“QRくん”か!」


「……は?」


「昨日、夜中にQRコードから来たの、あんただけだったからさ」


「人気ないなこの遊園地!!」


「いや、安心しな。応募ゼロよりマシだから」


 面接は拍子抜けするほど、あっさり終わった。


 「来てくれてありがとうね〜」と、園長らしきおじさんは麦わら帽子を脱ぎながらニコニコしていた。


「えーっと、仕事内容は……まあ、やりながら覚えてって感じで!」


「え、ざっくりすぎません?」


「この遊園地、基本的にゆるいからさ〜。当日に担当から説明あるから。よろしく頼むよ!」


 握手までされた。こんなに軽くていいのか不安だったが、まあ、落とされるよりはマシだ。



 ***



 初出勤の日。


 古びた更衣室に案内され、制服に着替える。水色のポロシャツにネームプレート、やたらデカいリュック。


「じゃ、さっそくペロにゃんについてってくれる?」


「……へ?」


 開け放たれたドアの向こうから現れたのは──


 でっぷりとした青いフォルム、ゆるいネコの顔。園内のマスコットキャラ

「ペロにゃん」だった。


 ……いや、待ってくれ。


 この中に誰か入ってるのか?


「初めまして、今日から一緒に頑張るって聞いたよ」


 モコモコの身体が手を振ってくる。動きがやたら滑らかだ。そして声。少しこもってるけど、聞き取りやすい。


 でも、声のトーンが絶妙に“声を変えているかんじがする”。


 若いのか、年上なのか、男なのか、女なのか、まったく見当がつかない。


「あっ、はい。瀬尾です。今日から入りました……よろしくお願いします!」


「うんうん。私は“ペロにゃん”だから、そう呼んでくれていいよ」


「本名じゃなくていいんですか?」


「うん。心は、いつだってペロにゃんだから」


「重たい宣言きたな!?」


 けど、なんだろう。変な人……なのに、悪い感じはしない。というか、妙に空気がやわらかい。モコモコしてるのは見た目だけじゃないのかもな、なんて思った。



 ***



 バイトは、思ったより忙しかった。


 子どもたちの案内、風船の補充、チケットの確認。そして、ペロにゃんの誘導とサポート。


 中の人──じゃなかった、“ペロにゃん”は動きが軽やかで、子どもたちに大人気だった。


「なあ、毎週これやってるんすか?」


「そうだよ。ほら、次あっちの広場に行くよ〜。今日はシャボン玉イベント」


「毎日が全力すぎません!?」


「中に人なんていないから、へっちゃらさ」


 そんなわけあるか。でも俺は笑った。


 たぶん、あのペロにゃんと働くの、嫌いじゃなかったんだと思う。


 ***


 こうして俺の、ちょっと変わった二重生活が始まった。


 平日は学業第一。

 あと少しで夏休みってこともあって、学校はテストモード突入。教室の空気も殺気立ってる。昼休みは勉強会だの、小テストの出題傾向予想大会だの、なかなかのカオス。


 そして週末になると、俺は青空の下でペロにゃんと共に汗を流している。


 きぐるみ先輩とは──まあ、うまくやれてる……と思う。


 いや、たぶん、きっと、たぶん。


 ……正直、自信はない。


 だって、感情が読めないんだ。


 着ぐるみを着たままずっと喋ってる人相手に、「この人、今怒ってるのかな?」とか「笑ってるのかな?」とか、判断するのは至難の業である。


 とはいえ、変な意味の気まずさはない。なんというか、空気はずっとあたたかい。


 それで充分だって思ってた。思ってた、けど──


 ***


 ある日、事件(?)は起きた。


「……あれ、ペロにゃん先輩」


 控室のソファに、いつもどおり座っている青い塊。でっぷりとしたフォルムが、なんとなく、ぐったりして見える。


 俺の手には、紙パックのアイスカフェオレ。ペロにゃんの手には、ストロー刺さったスポドリ。


「……うそだろ。休憩時間なのに、脱がねえのかよ……」


 さすがに一度は外してると思ってた。熱中症とか大丈夫なのか、先輩。


「先輩、初めて休憩時間かぶりましたね」


「うん……人手不足で、交代ずらすこと多かったから」


 返ってきた声は、いつもより少しだけトーンが落ちていた。


 やっぱり、疲れてるんじゃないか……?


「先輩、あの、休憩中くらい、ちょっと脱いだらどうですか? いやマジで、体に悪いですよ」


 俺がそう言うと、ペロにゃんはがばっと立ち上がって──


「だ、だめ! これは私のアイデンティティーなの!!」


「全力拒否!? そんなに守るスタイル!?」


「中身を知られたら、ペロにゃんじゃなくなる。私はずっと、ペロにゃんでいたいの!」


「なんだその、ヒーローの正体明かしません理論!」


 まったく、変な人だ。いや、変な“ペロにゃん”だ。


 でも、そういうとこも、悪くない。


「……ほんと変な人っすよ、先輩は」


「うん、よく言われる。誉め言葉として受け取っとくね」


 ふたりで笑った。空調の効いた控室の中、ぬるくて優しい空気が流れる。


 ***


 紙パックのカフェオレをちびちび飲みながら、俺はふと思いついて、つぶやいた。


「……先輩、恋ってしたことあります?」


 ちょっとした、気まぐれだった。深い意味はなかった。でも、思ってた以上に、ペロにゃんの動きがぴたりと止まった。


「……それは、唐突だね」


「テスト勉強しすぎて、脳みそおかしくなったんですよ、多分」


 そう言いつつ、俺はちょっとだけ顔を伏せた。


「なんかさ、周りがどんどんそういうのに進んでく感じってあるじゃないですか。彼女できたとか、LINEのアイコンがツーショットになってたりとか……」


「うん」


「俺、たぶん“モテない男子選抜全国大会”があったら、地方予選くらいは突破できるんじゃないかなって思ってて」


「すごいのかすごくないのか微妙なラインだねそれ」


「でしょ? でも、だからこそ、恋ってなんなんだろうなって。……分かんないんすよ」


 スポドリをちゅーっと吸いながら、ペロにゃんは何か考えているようだった。


 やがて──


「私もね。分からないんだ、恋って」


「え?」


「誰かと一緒にいて楽しいとか、気を遣わなくていいとか、そういうのはある。でも、それが“好き”ってことなのか、恋なのかって言われると……うまく答えられない」


「……」


 ちょっと、驚いた。


 てっきり「そんなん、中学生で卒業した話じゃん」くらい言われるかと思ってたのに。


「じゃあ……っすね」


 俺は冗談半分、本気半分で言った。


「“恋がわからない人同盟”っての、作りません?」


「“同盟”? なんか、中二っぽい響きだね」


「活動内容は、恋愛話を避ける。恋バナを強制されたら、同盟メンバーで無言のアイコンタクト」


「それは仲間内でないと成立しないやつだ」


「仲間だからこそ成立するんですよ」


 ペロにゃんは、くすっと笑った。


 顔は見えないけど、笑ってる音がした。

 たぶん、たぶんだけど、それはすごく嬉しかった。


 同盟なんて茶番かもしれない。けど俺は、心を許せる、特別な人っていうのを手に入れた気がした。


 ……いやいや、何考えてんだ俺。


 相手はずっと着ぐるみのままだぞ。顔も知らない、名前も知らない。けど、まあこんな人が恋人だったらって。


 ……それって、もしかして。


 いやいやいや。



「ちょっと、いろいろ考えすぎました、先輩ちょっと寝ます……」


「もう休憩時間終わるぞ、寝るな。お客さん来たら風船担当やってもらうからね」


「なんで急に仕事モード!」


 そんなふうに、俺とペロにゃんの、のんびりしてて、ちょっとヘンテコで、心あたたまる日々は、続いていった。



 ***




 そんなこんなで、契約期間も折り返しに差し掛かったあたり。


 遊園地のVチューバーコラボも、なんだかんだで大成功。週末の来園者は普段の三倍近くに増え、俺とペロにゃんは汗とシャボン玉にまみれて日々を駆け回っていた。


 あわただしいけど、充実してた。


 そして──バイトの成果は、財布に如実に現れる。


 園長のご厚意で日払い制度にしてもらえた俺は、現金を手にしたその日から心の余裕まで手に入れていた。


 お金の余裕は心の余裕。誰が言ったか知らんけど、これはガチだ。



 とはいえ、学校生活は別に変わったわけじゃない。


 俺の名前は瀬尾 悠真。クラスの中では中の下。体育は人並み、勉強は赤点回避勢。目立たず生きるを信条としてきた、そんな俺に──


「おい瀬尾〜。バイト始めたって聞いたのに、なんも変わってねぇじゃん!」


 昼休み、満面の煽り顔で絡んでくるのは、友人の中川 駿(なかがわ しゅん)。通称シュン。

 口は悪いが悪いやつではない……が、悪ノリだけは一級品である。


「見た目は変わらんが、中身は違う。俺には余裕があるのだよ」


「ほう?、見せてもらおうじゃないかその余裕とやらを」



 そして場所は──学食


 お昼休みになり、学生たちが集まり、ランチの注文をしている


 いつもはスルーしていたあのカウンターに、今日の俺は堂々と歩み寄る。


 ──そう、ここは《プレミアムランチ券》専用窓口。


「ひとつ、お願いします。……黒毛和牛ハンバーグDX、トリュフソースで」


 高らかに告げて、俺はカウンターにお金を置いていく。

 金色の縁取りが施された、それはそれは高級感漂う別格のカウンター。


「お、お客様……よろしいんですか、こちら三千円ですが……!?」

「ええ、もちろんですとも」


 まるで常連かのようにスマートに答える俺を、周囲の生徒たちがざわつきながら見つめてくる。


「やばい、あれって一番高いやつじゃん……」


「先生も買ってるの見たことない……」


「都市伝説かと思ってた……」


 そんな囁きの中、俺は颯爽と席に戻った。


 ──完全勝利である。


「ま、待て待て待て! なんだその券は!」


 後ろからついてきていたシュンが、信じられないものを見る目でこちらを指さしている。


「これが……バイト勢の……力だ……」


 俺は静かに頷きながら、湯気を立てるプレートを受け取った。


 黒毛和牛の芳醇な香り。とろけるようなトリュフソース。つやつやの雑穀米。そして、金粉がほんのりかかったプリン(なぜついてくる)。


「くそっ……! 俺もバイトするか……」


 シュンがプルプルと震えていた。


 これが経済格差というやつか──青春は、常に財布と共にある。



 ***


 昼休みが終わり、俺は静かな満腹感を携えて廊下を歩いていた。


 食後の余韻。黄金の昼。勝利のあとのひととき。


 そんな気分で曲がり角を曲がったそのときだった。


 ──空気が、変わった。


 ざわっ……と周囲が静まり、廊下の向こうに現れたのは、風のように優雅な黒髪。


 そう。一之瀬 澪。


 制服のスカートの裾が、そよ風に揺れる。手には文庫本。表情は淡く、けれど目はまっすぐ前を見ている。


 その後ろを、親衛隊がしっかりと距離を取りつつ、隊列を組んでついてくる。まるで平安の大名行列。誰がどう見ても、邪魔をしたら打ち首です、なオーラ。


「やべ……通せんぼしそうになった……」


 俺はすぐさま壁際にピタリと体を寄せた。モブの心得として、「目立たず」「関わらず」「騒がず」は鉄則である。


 ──しかし。


 すれ違う、直前。


 一之瀬が、ふと顔を上げた。


 そして、視線が──俺に向けられた。


「えっ」


 心臓が、ドクンと跳ねる。


 次の瞬間、彼女はほんのわずか、微笑みながら。


「ごきげんよう」


 と、柔らかく、静かに、そう言った。


 ……えっ?


 ……えっ?


 俺はしばらく、立ち止まってしまった。


 声をかけられた? いや、たまたま通行中の誰かに挨拶しただけじゃ……?


 でも、あれは確かに、俺を見ていた。目、合ってた。ってことは、つまり──


「おまえ、なにやったぁぁああ!!!」


 突然、背後から両肩をガシガシ揺さぶられた。


 振り返れば、シュンがいた。


「な、なにもしてねぇよ! してたら俺が一番びっくりだよ!!」


「一之瀬さんが! おまえに!! “ごきげんよう”って!!!」


「ちょ、声でけぇって!!」


「どういうこと!?新世界の神にでもなった!?」


「そんなもん俺が知りたい!!」


 だが、騒ぎを聞きつけてやってきたのは──あの、例の連中だった。


 親衛隊。三人。制服の襟がやたら硬そうで、腕組みして睨んでくる。口々に放たれる冷たいセリフ。


「君、今……姫に声をかけられてましたよね?」


「状況によっては、わかりますよね」


「まずは事情をうかがいたい」


「俺、なにもしてねぇぇぇぇ!!」


 ***


 そして、校庭裏。


 俺は、上級生っぽい親衛隊の隊長から、ありがたい“お叱り”(腹パン)を受けることになる。



「この学校にいる以上、彼女に二度と近づくな、わかったな」


「無理だろ同じ校舎にいる限り……!」


「気合で避けろ」


 暑さと恐怖でぐったりしながら、俺は膝に手をついて深呼吸した。


 まさかあの一瞬の“ごきげんよう”で、こんな展開になるとは思わなかった。


 けれど、確かに。


 澪の目は、俺を見ていた。


 あれが、ただの挨拶だったとしても──


 そうして、俺は念願の夏休みを迎えることになる。



 ***



 夏休みが始まった。


 俺の生活は、もう完全にバイト一色である。星和遊園地、朝から晩まで、汗と埃とシャボン玉の渦。


 日差しが痛い。制服が張りつく。足が棒。


 ──それでも、俺はやめられない。


 あの、“財布がふくらんでいく実感”という名の麻薬に、すっかり中毒なのだ。


「お金って、あったかいんだな……」


 封筒をにぎりしめながら、俺は毎回そう呟いていた。完全に園長の策略にハマっている気もするが、幸せだからそれでいい。


 そんな俺のもとに、ついに“仲間”が加わることになった。


 ***


 きっかけは、ある日のLINEだった。


 《なあ瀬尾 俺も……その、バイトってやつ、やってみようかと》


 ……来たな、格差の亡者。


 思い返せば、あのプレミアム学食ランチDXの件が効いたのだろう。俺の圧倒的な経済力に嫉妬し、ついに彼も“こっち側”に来たというわけだ。


 そして俺は彼を、例のごとく園長に紹介した。


「ああ、いいじゃんいいじゃん! 若い子は歓迎! 顔もいいし、うちの看板にしたいねぇ!」


 園長、即決。


 結果、シュンは“入園ゲートのチケット係”に配属された。


「いやあ……俺、めんどくさがりなんだけど、受付って座れるからいいかもな〜」


「おまえ、それでやる気出るのかよ……」


「あと、制服が似合うって褒められた」


「もう黙ってろ!!」


 ──そんなわけで、俺とシュンのバイトライフが始まった。


 でも、俺のポジションは変わらない。雑用・案内・そして、ペロにゃんのエスコート。


 少しだけ、ひとりぼっち感が増したのは気のせいじゃない。


 ……まあ、いいさ。


 俺には、ペロにゃん先輩がいるんだから。


 (震え)


 ***


 その日も、俺はいつものように、青くて丸いあの後ろ姿を追っていた。


「先輩、段差気をつけてくださいよー」


「任せて。ペロにゃんの足腰は意外と丈夫」


「そういう話じゃない」


 子どもたちが歓声を上げる中、ペロにゃんは今日も笑顔(のような顔)で手を振る。


 俺はその隣で、うちわを配り、シャボン玉を補充し、なんだかんだで忙しく働いていた。


 そして、いつもの休憩時間。


 控室のソファに、でっぷり座る青い丸。飲み物はいつものスポドリ、ちゅーちゅー吸ってる姿がちょっとシュールだ。


「先輩、お疲れ様です」


「悠真くんもお疲れ〜」


「今日も脱がないんですね。いや、着ぐるみを、ですよ?」


「これは私の正装だからね」


「逆に普段着が何なのか気になりますわ」


 いつもどおりの、くだらないやりとり。だが──


「ねえ、最近……学校はどうなんだい? 学生くん」


 今日は、先輩のほうから話しかけてきた。


 それだけで、少し驚いた。


「んー、まあ、うまくやってるつもりです、たぶん」


 俺はそう答えてから、ふと肩をさすった。


「でも、ちょっと前にドジっちゃって……」


「……ドジ?」


「学校の有名人に、ちょっとだけ話しかけられたんですよ。そしたら、なんかもう、上級生に囲まれて、ちょっとどつかれました」


 俺は笑いながら言った。もちろん、軽口だ。本気で落ち込んではいない。今思えば、貴重な体験だったと思うし。


 ──でも。


「……そう、か……」


 ペロにゃんは、震えるような小さな声で、ぽつりと返した。


 その声は、泣きそうで。心の奥に冷たい風が吹いたような、そんな気配だった。


「だ、大丈夫っすよ? なんなら、俺が一番驚いてたし」


「……痛く、なかった?」


「え? ああ、まあ、かすり傷ですよ。鈍感なんで、意外と平気なタイプなんです」


 心配してくれる声に、ちょっとだけ胸があたたかくなる。


 ──でも、まあ、そんな話は置いといて。


「今日は、イベントあるんですよね?」


「あ、うん」


 ペロにゃんは、すっと姿勢を正す。


「私の……ステージイベント。……ワンマンライブ」


「おおっ……!」


「ただ踊るだけ」


「悲しい説明やめて!!」


 そして、ペロにゃん、が話を続ける


「君の誘導があれば、ステージまで安全に行ける。頼むよ」


 そう言ったペロにゃんの声は、どこか少しだけ緊張を帯びていた。


 だから俺は、冗談めかしながらも、心を込めて答えた。


「じゃあ……今日だけじゃなくて、これからもずっと──

 俺が、あなたの目になりますよ。どんな道でも、真っすぐに」


 胸を軽く叩いて、ニッと笑う。

 すると、ペロにゃんは一瞬、黙ったあと──


「なんか、いいね、それ」


 小さく呟いた声は、どこか嬉しそうだった。




 そして俺たちは、午後のイベントへ向かって歩き出した。



***



 イベントの時間は、午後三時。


 開演十分前、俺とペロにゃんはステージ裏に立っていた。


 遊園地のステージとはいえ、ちょっとした高さがある。普段はヒーローショーなんかが行われる場所だが、今日はきらびやかに飾り付けられ、スポットライトが、円を描いている。


「……緊張してるっすか?」


 言いながらペロにゃんを見る。青くてまるいその背中から、なんとなく分かる。腕の動きがいつもよりぎこちない。足元が定位置からずれてる。


「先輩、俺、ステージの脇で見てますから。だから全力で……ペロにゃんになりきってください」


 そう声をかけると──


「……なりきってるんじゃない。私はペロにゃんそのものだ!」


 いつもの軽口が返ってきた。どこか張っていた空気が、ふっと緩む。


「でも……ありがとう。君がいてくれて、助かってるよ」


 ……なんか、ずるいな、この人。


 俺は照れ隠しのように帽子を深くかぶり直して、ステージ裏のポジションについた。


***


 音楽が流れる。


 高めのテンポ。ちょっとしたEDM風アレンジのダンスミュージック。


「ペーロ! ペーロ! にゃーんっ!」


 謎のコールが飛び交い、観客の子どもたちは手を叩きながらジャンプしている。


 その中央に、青いネコがいた。


 でっぷりとしたフォルムで、両手を振って踊る。時折、くるりとターン。ハートを作ったり、手をふわふわさせたり、妙にキレのある動きが、観客の心を鷲掴みにしていた。


「……すげぇな、先輩……」


 ステージ裏から見ていても分かる。今日は明らかにキレが違う。リズムも完璧。ペロにゃん、完全覚醒モード。


 ただの着ぐるみショーじゃない。

 ──そこにいたのは、“本当にペロにゃん”だった。


***


 無事にライブは終わり、ステージの上から見送るペロにゃん。


 子どもたちは大満足で、記念写真を撮ったり、手を振って去っていく。


 照明が落ち、スタッフが片付けを始める中、ペロにゃんはぽつんとステージに残っていた。


 ──たぶん、達成感に浸っているんだろう。


 でも──


「……あっ、ちょ、先輩!? どこ行くんすか!?」


 ペロにゃんが、前へ歩き出した。


 その先にあるのは──ステージの端。


 「段差注意」とテープが貼られている。


 あれ、まさか……!


「やばい! 落ち──」


 ──その瞬間、体が勝手に動いていた。


 頭で考えるより先に、足が走り出していた。


「先輩!!」


 ステージの端に足を取られたペロにゃんが、バランスを崩して倒れかける。


 俺はその体に飛びつくように抱きついて、体を反転させるようにして──そのまま、地面に落ちた。


 ドサッ……!


 鈍い音。衝撃。


「……っ、いってぇ……!」


 中途半端な高さだったが、落ち方が悪かったらしい。右手と左足にじわりと痛みが走る。見れば、コンクリートの角で擦ったのか、赤いものがじんわりにじんでいた。


「瀬尾くん!? だ、大丈夫かい!? しっかりして!」


 ペロにゃんが、震えるように俺の顔をのぞき込む。中の人の声が、素に近い。それだけ、焦ってるのが伝わる。


 ペロにゃんが、慌てたように俺を覗き込む。


 俺は、苦笑いしながら話を続ける。


「……なにやってるんですか、まったく……」


「えっ……?」


「あんなとこ、ぼーっと歩いたら、そりゃ落ちますよ……。ケガでもしたら、どうするつもりだったんですか」


 ペロにゃんの手が、ぎゅっと拳を作るように震える。


 俺は、傷の痛みを忘れて、その顔──いや、きぐるみの奥にいる“誰か”に向かって言った。


「……俺、先輩がケガする姿なんて、見たくないんです」


 その言葉は、自分でも驚くくらい、まっすぐに出た。


「先輩が元気で、子どもたちに笑顔を届けてて……そうやって、みんなの“アイドル”でいる姿が……俺、好きなんですよ」


 どこかで照れが入るかと思ったけど、そんなもの、なかった。


 ただ、真っ直ぐに、心の奥の本音だけが言葉になって出てきた。

 静かな空気が流れた。


 照明も消え、観客もいないステージの裏。


 でも、確かにそこには、俺の“全部”があった。


 想い。焦り。感謝。ぜんぶ、まざった言葉だった。


 ペロにゃんは、しばらく黙っていた。


 そして──


「……ご、ごめん。ほんとに、ごめん……!」


 青い丸い身体が、ポンと俺に覆いかぶさるように寄り添った。


「ちょっと、興奮しちゃって……前が、見えてなくて……私、ほんとバカだ……!」


「違いますよ。俺が、あなたの目になりますから。……さ、事務所、戻りましょう」


「……うんっ」


***


 園長に事情を話すと、即座に救護室に連れていかれた。


 「よくぞ守った……!」と涙ぐんでいた園長に、ちょっとだけ照れた。


 軽い消毒と絆創膏で、処置は済んだ。幸い、どちらも打撲と擦り傷程度で済んだようだった。


 あたりはすっかり、夜になっていた。


 遊園地の照明も落ちて、ロッカーには静かな空気が流れている。


 制服に着替えようと、ロッカーの扉を開けた、そのとき。


「……ん?」


 なにか、紙が貼ってある。


 手書きの、丸っこい字。


 ──それは、ペロにゃんからのメモだった。


『ごめんなさい。改めて、お礼と謝罪を言わせてほしい。

遅くなっても待ってるから──星の広場に、来てください。』


ペロにゃんより



***



星の広場は、夜にだけ本当の姿を見せる場所だった。


 周囲に高い建物はなく、風を遮るものもない。


 わずかに残る遊園地の照明が、芝の上に優しい光を落とし、空にはくっきりと星々が散らばっていた。


 ──静かで、どこか、世界が止まっているような場所。


 その広場の中央、ベンチに座る大きな青い影。


 ペロにゃん──は、うつむいて、じっと動かない。


 遠目には反省している子どものようで、だけど、何か大切なことを心の中で整理しているようにも見えた。


 俺はゆっくりと歩み寄りながら、言葉をかける。


「先輩……ここ、すごくいい場所ですね」


 声が、夜の空気に溶けた。


 ペロにゃんは、少しだけ顔を上げて、ぽつりと返す。


「……ここ、私のお気に入りなんだ」


 いつもの声とは少し違っていた。静かで、真っ直ぐで──迷いがない。


「誰も来ないし、静かだし……星も、きれいだし。ここにいると、いろんな音が消えて、気持ちが、落ち着くんだ」


 言葉の端に、寂しさと温もりが同居しているようだった。


 俺は、少し笑って言った。


「怒ってませんよ。ていうか、ケガしなくてよかったって、それが本音ですし。だから、謝らなくても──」


「……でも、私の気持ちが……おさまらないんだ」


 その言葉で、俺の言葉は止まった。


 ペロにゃんの声が──“素”になっていた。


 演技でも加工でもない、自然な声色。

 あたたかくて、柔らかくて、間違いなく──女性の声だった。


「……先輩、素が出てますよ?」


 茶化すように言ってみる。でも、返ってきたのは、まっすぐな言葉だった。


「それで、いいんだ」


 ペロにゃんは、小さく頷くように続けた。


「いまだけは……君には、ちゃんと“私”でいたい」


 鼓動が、すこしだけ、早くなった。


 向き合う二人。着ぐるみ越しでも、わかる。いま、俺たちは“特別”な時間の中にいる。


 ペロにゃんは、静かに言った。


「……私がこれから話すのは、ペロにゃんとしてじゃなくて──ひとりの人間として」


 少しだけ間を置いてから、彼女は続けた。


「……きみに出会えて、本当に、よかった」


 その声には、震えと温度があった。


「最初は、何気ない言葉だった。くだらない話、バカな愚痴。でも、君の言葉を聞いてると──“ああ、私、いま、一人の人間として話してるんだ”って、そう思えた」


 彼女の言葉が、夜の空気にしずかに染みこんでいく。


「普段の私は、何も感じない“置物”みたいなもので……感情も、心も、透明な箱にしまって、周囲の期待通りに動くだけだった」


「でも……君が、そんな私の箱を、少しずつ開けてくれた。……君が、私に、世界ををくれたんだ」


 その声は、弱くて、でも揺るぎなくて。


「君は、私を“人”として見てくれた。友達として、同盟の仲間として、……それが、すごく、嬉しくて」


 言葉が止まった。少し、喉が詰まったような、息を吸い込む音がした。


「そんな日々のなかで、──ずっと、ちくちくと、刺さるような、やわらかい感情が芽生えてた」


「でも、それがなんなのか、はっきり分かったのは……あの事故のときだった」


 ペロにゃんが、少しだけ、手を胸に当てる仕草をした。


「倒れて、下敷きになったのを見た瞬間……世界が、崩れた。全部が、終わった気がした」


「……でも、君が声をかけてくれて、“俺、好きなんですよ”って言ってくれて……そのとき、胸が張り裂けそうになった」


 ──だから。


「どうなっても、いい」


 ペロにゃんは、そう呟いて。


 静かに、着ぐるみの頭を──外した。


 青いネコの顔が外れ、そこからあらわれたのは──


 長い黒髪、透き通る瞳。


 見慣れた、でも想像もしてなかったその人だった。


 一之瀬 澪。


 あの、高嶺の花が、今、俺の目の前で──


 月の光と星明かりに照らされながら、真っ直ぐ俺を見つめていた。


 その瞳は、泣きそうで、でも覚悟に満ちていて。


 澪は、震える声で言った。


「……私の──恋人になってくれませんか」


 その瞬間、時間が止まった気がした。


 澪がペロにゃんだったこと。

 いつの間にか、大切になっていたこと。

 そして──今、告白されたこと。


 すべてが繋がった。


 星が、降ってくるかと思うほど綺麗な夜だった。


 俺は、笑って……


















***



次の日の朝。


 空は澄み渡り、蝉の声が夏を奏でていた。


 街角に続く道。


 その歩道を、ゆっくりと歩く二人の姿があった。


 隣り合って歩くその手は、そっと指を絡ませるように、つながれている。


 少女は、ふと顔を上げて微笑んだ。

 少年は照れくさそうに頬をかきながら、何かを話している。


 笑い声が、夏の風に乗って流れていく。


 昨日までの毎日は、どこかグレーだったかもしれない。

 見えなかった感情も、言葉にならなかった想いも、あの日すべて、つながった。


 もう、ひとりじゃない。


 もう、誰にも見せない顔を、ふたりで見せ合える。


 新しい季節が、いま、始まろうとしている。


 星の下で告げた想いが、陽の光の中で、確かに息をしていた。


 これは、恋が始まった朝の物語。

 そしてきっと、無数の未来の、一番最初の一歩だった。






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【短編】着ぐるみの中の君に恋をした くるとん @kuruton3600

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