高嶺の花

雪月

高嶺の花


 起床。時刻は午前七時。定刻通り。けたたましく鳴り響く目覚まし時計を止めることから、朝は始まる。


 ベッドから体を起こして一番最初にすることと言えば、当然カーテンを開けることに尽きる。 

 ベランダに通じる、南側の大きな窓の分厚い遮光カーテンを勢いよく開け放った。

 朝の日差しが眩しい。天気は晴れ。春真っ只中、桜も満開、虫も変態もやたら外に出たがる季節だ。


 さて、ここからは私の日課の時間である。

 レースカーテンの隙間から少しだけ顔を覗かせる。

 午前七時から午前七時半頃。

 私は毎日こうして外を見なくてはならないのだ。

 理由は今に分かる。


 ――午前七時十八分。

 向かいのアパートの窓が開いた。男が一人出てきて、ベランダに無数に並べられた草花の鉢植えを観察し始めた。


「はぁ……。今日も素敵だわ……。」


 見惚れて思わず独り言を漏らしてしまう。

 この男こそが、私が毎日外を見なくてはいけない理由。

 私の愛する男――吉原隆久と同じ時間を一瞬も欠かすことなく共に過ごすためである。

 

 花村百合はなむらゆり、二十一歳。

 趣味はフラワーウォッチング――をしている彼と過ごす時間を満喫することだ。


 私達の最初の出会いは初夏の頃、美しい百合が二輪咲く公園である。あの時の彼は、とにかく目の前の百合に真剣であり、叡智に満ち溢れた目をしていた。あの姿はなんとも……。話が逸れた。彼はあの百合の咲く近くのベンチに一人座り、ひたすら百合の花を観察していた。

 近くでは女子高生達が頭の悪そうな会話を繰り広げていたり、小さな子供が近くを喚き散らしながら走り回っていたりする中、彼と百合の花のある空間だけは時を止めたように静かだったのが印象深い。


 私も花は好きだったし、この百合の花は野生ながらも見事だったので、大学通いに軽く観察するのが当時の日課だった。いつもの通り公園に寄ったらこういうわけだったのである。

 同じくらいの歳の男が、私の好きな花を真剣に見つめている。その姿に、ほんの少しトキめいた。この花の魅力は私しか気づいていないと思っていたが、今この男がそれに気づいている。勝手に秘密を共有した気分になった。

 

 彼と百合を交互に観察していたその時、頭の悪そうな女子高生が二輪の百合の間を考えなしに踏み抜こうとした。

 思わず声をあげようとする私。よりも先に、烈火の如く女子高生を怒鳴りつける彼。

 驚いた。しかし、驚いたよりももっと強い感情。


 ――――ポチャン。


 恋に、落ちた。

 人目も憚らずに自分の守りたいものを全力で守る姿勢が、とても素敵だと思ったのだ。

 

 それからというもの、彼がどこの誰なのか、何をしているのか、とにかく調べ上げた。

 そしてやっとの思いで、彼の住まいまで突き止め、ちょうど空いていた向かいのアパートへ入居した。

 これで毎日彼を見ることができる。最早付き合っていると言っても過言ではないだろう。

 彼以外のものは森羅万象何もかもオール全部どうでもいい。どんな人がタイプ?と聞かれたら、今をときめく不倫男優でも韓国量産アイドルグループでもなく『吉原隆久』と即答するだろう。この世の中に男というのは彼一人だけで充分なのだ。


 そんなこんなで、今日は満開の桜並木近くにあるベンチに座り込む彼を陰から観察している。

 近くの桜をひたすら眺めながらフライドチキンを食べる彼。


「……素敵だわ」


 何が、とかではない。存在、行動、全てが素敵なのである。よく考えてみたら私の名前は「百合」、最初に出会って見ていたのも「百合」、これは運命の出会いに違いはなく。惹かれないはずがありません。

 ああ……。私という百合はずっと見頃なんですけれども……。あなたのためだけに咲いているのに、まだ気づいてさえくれない…………。なんていけずな人なのかしら。私はいつでも準備できているのにっ!


「あら、いけないわ。私ったら……」


 思わず彼の手で私を花にしてほしいなど邪な考えを……。彼とこうして過ごす準備というのはこうも尊いものなのに。これ以上を望むなんて、いけないわ。


 こうして彼を見つめ続けること数時間。彼がちょうど立ち上がろうとしたので、私も移動しようとしたそのとき。


「お姉さん、ちょっといいかな。少しだけお時間もらいたいんだけど」


 一人の警官が私を呼び止めた。彼との大切な時間を紡いでいる真っ最中だというのに、一体なんの用だというのだ。思い切り、振り向きざまに警官を睨みつけてやる。


「いや、何、ずっとここに立って男の人みてるだけの怪しい女がいるって通報があってね。だからちょっと聞きたいことがあるんだけどさ、お姉さんはあの男の人とどんな関係かな?」


 ………………はぁ?怒髪天を衝くとはまさにこのことだろう。ストーカーとでも言いたいのか?この私が???私と彼の関係を知りもしないで勝手な憶測でよくもまあ……。私達は運命に惹き寄せられて出会ったもの同士。誰にも断ち切ることなんてできない強い糸でむすばれているのだ。絶対に。


 ――ゆえに。私はここでこの頭の悪い何も知らない警官に知らしめてやった。


「もちろん、恋人であるに決まってますが!?あなたこそ吉原さんのなんだって言うの!?!?」

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高嶺の花 雪月 @kakuyuri12

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