【短編】脇役の私が、ただ一言を伝えるために舞台に立った話。
佐倉美羽
月の光はレモンの香り
文化祭当日。舞台袖で私、藤村ミチルは出番を待っていた。
『銀砂の王国』。太陽の王国と月の王国の戦いを描いた物語。私は月の王国の姫役で、もうすぐスポットライトの下に立つ。月の姫は脇役で、セリフも少ない。だから、そんなに緊張しなくていいはずなのに。
「月の光などくだらない。あれは我らの光を盗む鏡だ!」
ユナ先輩の声が響く。太陽の戦士の演説シーン。観客から感嘆の声が聞こえる。スポットライトを浴びる姿に皆が見とれている。
美人で、はっきり話して、みんなの人気者。私もユナ先輩に憧れて演劇部に入ったんだ。音響担当が真剣な表情をしている。舞台裏は独特の静けさに包まれていた。
この
◇
「いやいや、絶対いらないでしょ。私も読んでてよくわからないし。お客さんもわからないと思う。もっとわかりやすくしないと受けないんじゃない?」
明星高校演劇部の部室で、部長の佐倉ユナが言った。全国大会でも入賞常連の私たちは、文化祭の演目『銀砂の王国』の脚本で意見が合わなかった。
すらっとした体に、よく通る声。見ていると引き込まれそうな大きな瞳。軽くウェーブした明るい髪が揺れている。黙っていても、話していても、つい目で追ってしまう。
「む。僕の脚本にケチをつけるつもりか。僕の脚本は完璧だ。削るところなんてない」
副部長の日高コウが眼鏡を直しながら言った。長身できちんとした制服姿。鋭い目がユナ先輩と向き合う。
「ケチつけるつもりはないけどさぁ。今回は学生向けだし、もっと勢いでバーンっていく方がいいんじゃない?」
「なっ!?そんな理由で僕の脚本を変える!?冗談じゃない!『銀砂の王国』は今のままが完成形だ!」
二人は幼なじみだけあって、こういうやり取りはよくある。他の部員も「また始まった」という顔をしている。1年生の私は、これまで遠くから見ているだけだった。照明班として代理で出席したが、今日はとても揉めている。
「任せてよ!この佐倉ユナが主演だよ?絶対大丈夫だって!」
やっぱり、あんな人が"光"なんだよね。ユナ先輩がそう言うと、本当に大丈夫な気がする。
「しかし、それでは話の筋が通らないだろう。それに、月の姫のシーンは照明効果が一番映えるところだぞ!それをカットするのか?」
うっ。私に話を振られそう...。
「ん―。それもそうね。ミチルちゃんはどう思う?」
ユナ先輩の茶色の瞳が私を見つめる。肩で切りそろえた黒髪に、黒い瞳。背の順でも真ん中くらい。自分から話しかけるのが苦手で、地味中の地味。それが私。
「わ、私は...」
緊張で言葉が出ない...。のどがカラカラで頭は真っ白だ。
「私は?」
ユナ先輩がさらに見つめる。コウ先輩も横目で訴えかけるように見ている。
本当は減らしてほしくない。月の姫の大切なシーン。なぜか、とても心に残ったセリフ。
「...減らさない方が...いいと思います...」
コウ先輩が「そのとおり」という顔をするが、ユナ先輩は不満そうだ。
「ふーん。じゃあ、読み合わせして試してみようよ。月の姫はアキちゃんに頼もうと思ってたけど、今いないから、ミチルちゃんがやってね」
えっ!?ちょ、ちょっと待って。それは聞いてない!断らなきゃ!
「じゃあ、みんな呼んでくるね~!」
ユナ先輩は風のように出て行った。部員たちが困った顔で見合わせている。読み合わせ?私が?照明担当なのに?
「ユナ...。ごめんね、ミチルちゃん。でも大丈夫。ミチルちゃん声きれいだし、セリフも多くないから」
コウ先輩が慰めてくれるが、全然落ち着かない。私が人前で演技?無理無理無理。他の部員たちはやっと状況を理解したようで、椅子を出し始めている。
「お待たせ~!いるだけ呼んできたよ。じゃあ、始めよっか!」
全然待ってない!もうちょっと心の準備をさせて!
そう思っているうちに、短すぎる準備時間は終わり、読み合わせが始まった。
◇
...終わった。この短時間の記憶がない。今は感想戦だ。
「やっぱりいらなくない?上手くやらないと流れが止まっちゃうんだよね~」
ユナ先輩がはっきり言った。読んでいて確かにそう思った。私の下手な読み方のせいもあるけど...
「いらないかな...」
「悪くなかったと思うけど...」
「いらない」
「僕はいると思う」
「どっちもよかった」
「尺的にどう?」
「脚本の深みがなくなるんじゃない?」
意見が飛び交うが、私は参加する元気がない。でも、減らしてほしくないという気持ちだけは心の奥底にあった。
「じゃあ、多数決で決めましょう!紙を配るから、セリフを削るか削らないか書いて箱に入れてね」
いつもの方法だ。15人にメモ用紙が配られる。削るか削らないか。確かに、ユナ先輩がたくさん話した方が舞台は華やかになる。ユナ先輩と同じくらい輝く役者はこの部にはいない。なら、削る方がいいのかな...?でも...。
みんなが次々にメモを箱に入れる。私はとっさに「削る」と書いて入れた。
「よーし。全員入れたね!結果発表します。コウ!手伝って!」
「よし。やろうか」
コウ先輩が箱から紙を確認し、ユナ先輩がホワイトボードに書いていく。どきどきしながら、どちらにも票が入っていくのを見た。
そして、コウ先輩が最後の紙をユナ先輩に渡した。
結果
削る:8
削らない:7
「接戦だったね!でも、今回は削る方向でいこっか!」
ユナ先輩は明るく宣言した。『銀砂の王国』の月の姫はいなくなってしまった。私の手で消したんだ。これでよかったんだ。私はそう思おうとした。
でも、コウ先輩は悲しそうな顔で黙っていた。それが目に焼き付いて離れなかった。
◇
文化祭当日。体育館二階で私は照明のアシスタントとして最終チェックをしていた。
「ミチルちゃん。ちょっといい?」
コウ先輩が笑顔で話しかけてきた。...嫌な予感がする。
「実は、台本が少し変更になったんだ。これ確認して準備してね」
「え、変更ですか。当日に?どこが変わったんですか?」
「まぁ、最後のところだけちょっとね」
◇
舞台袖で、私は月の姫の衣装に身を包んでいた。
白銀に透ける布が、静かに私の肩をなでる。
もうすぐ出番だ。
冷えた手で台本を持ち、名前を見つける。
配役 ― 月の姫:藤村ミチル
初めて見たとき、心臓が喉までせり上がって、泣きたくなった。
「無理だよ」って思った。でも、流れに呑まれて、気づけばここにいる。
たった一場面。
たった一言。
でも、きっと、ここにすべてが詰まってる。
私が、やるんだ。
足先が冷えていくのがわかる。
でも、それと引き換えに、頭のもやが少しずつ晴れていく。
吸い込んだ空気が、すっと肺に染みわたっていく。
音が消える。
周りのざわめきも、誰かの足音も、舞台の音楽すら。
今、この場所には、私一人だけ。
「ミチルちゃん、そろそろ出番だよ」
遠くで誰かの声がした。
私は静かに立ち上がる。
不思議と、体が軽い。風のように、舞台袖へ向かって歩く。
――クライマックス。
太陽の国が、月の国を滅ぼす場面。
けれど、それは破壊ではなく、赦しの物語だった。
太陽の戦士が、自らの過ちに気づき、静かに崩れ落ちる。
でも、そこへ――月の姫が現れる。
私のただ一つの場面。
無音の舞台。
照明の銀が、まるで月明かりのように、床を照らしている。
私は、機械のように整えられた一歩を踏みしめながら。
舞台はどこか甘く、切ない香りに包まれていた。
戦士のもとへ近づく。
「――私たちは貴方の光を映しているのではありません。
ただ、貴方の強さが照らせないものを見守りたかったのです」
瞬間、舞台の空気が変わった。
ユナ先輩の目が揺れた。
でもすぐに、戦士としての顔に戻る。
「僕は取り返しのつかないことをしてしまった。太陽の光だけではこの世界は焼けただれてしまう。月の光がなければ、人々は夜を越えられない」
月の姫は黙っていた。
何も言う必要がなかった。
ただ一歩近づいて、そっと、戦士の額に触れる。
赦しでもなく、哀しみでもなく。
それは、ただ、そばにいるという行為だった。
戦士が崩れ落ちる。
そのとき、舞台全体に、柔らかな銀の光が降り注ぐ。
静かな音楽が流れ始め、まるで誰かが夜明けを待つかのように。
鳥の声が微かに重なった。
――幕が下りる。
客席から、拍手が聞こえた。
それは、どこまでも静かな拍手だった。
でも、不思議なことに、誰一人として手を止めようとはしなかった。
まるでその余韻を抱きしめるかのように。
その拍手の中に、確かに私の声が、息が、想いが――生きていた。
おわり
【短編】脇役の私が、ただ一言を伝えるために舞台に立った話。 佐倉美羽 @kuroyagi612
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