第7話
あるべき場所に戻ったと言うべきか。
リュティスは【
そのリュティスが、自分の方を決して見ようとしないメリクを気にしたのは非常に珍しいことだった。
前は見るなと言っても見ていたリュティスの目を一度も見ようとしない。
……昔からなんだかんだとうるさい子供だった。
アミアは大人しいと言っているがリュティスの前だとやたらに口を開く。
魔術のこと、グインエルのこと、そしてリュティス自身のことを聞きたがった。
うるさい子供だと邪険にしたことも一度や二度ではない。手を上げたこともあった。
それなのに翌日にはまた同じように繰り返す。
三年前使っていた勉強部屋にメリクをつれてくると、椅子に座らせる。
そして適当な本を二冊本棚から取り出して、メリクの目の前に重ねて置いた。
「それは魔法構成の基礎となる火水雷土四種の魔法詠唱の原本だ。開いてみろ」
メリクが手に余る厚い本を両手に持って膝の上で開いた。
「【生命循環の天と地の扉は水の掌で開かれる。
メーヴェルゲンの花の園に灰色の壁は無し……、
風に舞う氷の片鱗は七つの花弁で花となる】」
リュティスは澱みの無い声で本の中の一節を読んだ。
非常に古い文体で書かれている。
メリクには読めない文字も多い。
「【
同価のものが二十編ある。
【
魔法はかつてはこういった叙事詩や歌だったのだ。
呪文とは同じ羅列で最も深く結びついた言葉を取り出したもの。
研磨し言葉を失わせることで、魔法の核となるものを明確にしたのが、
現在の魔法になる。そこに書いてあるのは失われた『歌』」
「……」
「歌の中には己の内面と外周を知るだけの、時間の余地が残されている」
「……。」
「古の魔術師は魔法を使う時、呪文ではなくこの歌を使っていた。
古代には魔術師は存在しない。存在するのは吟遊詩人と呼ばれる者達だ」
リュティスの声をぼんやりと聞いていた。
「……歌」
「四種の魔法に六十八の古代歌、全部
他の弟子に師が命じたら、正気を疑われるような命令だった。
失われた歌は長く、しかも現在ではそれがただ一言の呪文と同価だということが証明されているのだから。
だがメリクは顔色も変えず、じっと本を見つめ頷くだけだった。
「魔法は他者を傷つけることもある。だが歌は、傷つけることはない」
俯いていたメリクの伏せた眼が僅かに見開かれた。
「二十編もの古代歌の答えは全て同じ呪文に行き着く。
だが違う歌の姿をしているのは、
異なる形で記すべき相違が確かに存在するからだ。
古代歌に従うならば、同じ魔法といえども、
二十種にも調節して呼び出すことが出来る。
そこまで自分の魔力を細部まで制御してこそ、魔術師を名乗れる」
リュティスは迷いのない口調で言った。
意味など問うたことはない。
【魔眼】という重荷があるのなら、その分他の者より多くの制御術を知っていた方がいいだけだ。だから彼は幼い頃、「不必要だ」と言われた原歌から魔術を覚えた。
古代の歌は時と共に簡略化され、今ではただ一つの呪文に集約されている。
しかし古の歌が、精霊を呼ぶ効力を失ったわけではないのだ。
それならば、むしろ精霊にとって親しむべきは、
古代の歌の方である。
彼らがずっと耳を傾け、呼応して来たもの。
己を恐るべき才こそ、そういう部分を簡略化し、疎かにすべきではないから。
「まずは一節目の謳を読んでみろ」
リュティスの声に続いてメリクは頼りなげな、小さな声で歌を読み出した。
読めなかったり躓く度に歌は止まったが、その都度リュティスが読み直してやれば、メリクもまた着いて来る。
『魔法は人を傷つけるが、歌は人を傷つけない』
……メリクの心にある迷いに、リュティスはいつも答えをくれる。
これほど想うべき人との未来に決別や戦いがあるのだとしたら。
苦しかった。
でも、今はこうしてこの人の側にいる時間を大切にしたいとも思う。
メリクはすぐに読むことに没頭し始めたようだ。
翡翠の眼から零れ、静かに頬に伝う涙の粒にも気づいてないようだった。
(だから子供は……)
リュティスは眼を閉じてメリクの幼い発音を聞いていた。
静かな歌がそこにあるだけだ。
苦しみは今はない。
……今はまだ。
【終】
その翡翠き彷徨い【第20話 翡翠の子供】 七海ポルカ @reeeeeen13
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