アルカディア

多々野

アルカディア

 「同級生」が、こちらを見ていた。丸い、ワインを透かしたような光を湛えた瞳が、まっすぐに私を見据えていた。

「身長、幾つあるの」

小鳥が歌うようなソプラノの声で、「同級生」は私に訊いた。

彼女の前で「正直」に答えてよいものか私には分からず、しかし彼女が求めているであろう想定解もはっきりとは思い出せなかったため、私は目一杯溜めてから今の身長をそのまま答えた。


 「大きいね」

少々緊張すらしたというのに、「同級生」は拍子抜けするほど単純な、ごく庶民的な感想を言った。その後、えーと、私は幾つだったかな、と疑問符がついた独り言のみ呟く。そうして、私の前で身を屈めて、眼前の空気の流れを目で追って、しばらく思案を巡らせていたようであったが、結局思い出せなかったようで

「百五十ちょっとだったかな」

と答えを出した。目の前の彼女は実際それくらいに見えたし、一方の先週の記憶の中の彼女はそれよりは多少上背があったように感じたので、この数字は「同級生」たる彼女にとっての「正直」な回答だったのだろう――

と私は彼女の言葉に何もリアクションをせず、ただそう心のなかで批評していた。



 私がついた机の周りに、彼女の他に二人の女子児童と、一人の男子児童が立っていた。皆めいめいに膝を折ったり腰を曲げたりして、こちらを注意深く観察している。まるで私を、初めて見るとでもいうかのように。

彼女と違って、最近は顔を見ていなかったがしかし、彼らも同じく「同級生」であることには違いなかった。


 「最近どうなの?」

男子児童にそう訊かれたので、

「今が嫌になったから来たんでしょう?」

と率直に答える。内容はそっくりそのまま、彼らが現れたその時に、彼ら自身の口から語られた理由だ。そっちが現状を嫌ったから来たのだ、つまり無意識ではあっただろうが、自分たちを呼んだのはそっちなのだ。そう言っていた。

彼らは思い出の中そっくりの顔をしていたが、それは当然ながらひどく不気味に見えた。だから敬体で返したのだが、改めて考え直してみると、幾ら信頼できないとはいえ、十とそこいらの外見をした彼に丁寧語を使っているのは少し滑稽にも思える。しかし如何しても、完璧な「同級生」たる彼らに、友達相手に利くような口を使う気にはなれなかった。



 最近やっていること、好きな科目、面白い先生……私は四人と、ただ取り留めのない雑談を続けた。いや、内容が他愛もないだけであって、形式自体はインタビューといった方が正確かもしれない。彼らが自身の話をすることはまるでなく、向けられる言葉といえば数言の適当なリアクションと、後はありったけの質問だった。


 「それにしても、最近の白馬の王子様は二十人超えの団体で来るんですね」

その、まるで途方もない量のアンケートを書かされているかのような時間に痺れを切らして、私は一人の女子児童の言葉を遮るようにして唐突にそう言った。数学の何がそれほどに憎いか、について語った後のことである。

私の言葉に初めに反応したのは、話の腰を折られた女子児童だった。何も言わずただ、隣で膝を曲げる男子児童に向かって首を傾げる。そうして四人は順に、まるでバケツリレーのように顔を見合わせ、最終的に一番端に立つ、私に身長を聞いてきた彼女が

「どういうこと?」

と訊いた。


 「ほら、私が今この暮らしが嫌いだって思ったことで、知らぬ間に皆のことを呼び出したんでしょう? そういうのって、児童書とかによくある展開じゃないですか。貧しい生活をする少女を見つけた王子様的というか、ドジな子に魔法の力をくれる妖精みたいというか」

ただまさかそれが、二十数人で現れるとは――私は周囲を見回しながら呟いた。



 私の周りにいるのは確かに四人だけであったが、他にも数人でまとまったグループが教室中に点々としていた。一体何が面白いのか、壁に貼られたプリントを見て笑ったり、背後の黒板に絵を描いたり、机の上に座って談笑に興じたり、好き勝手している。

そしてその全員が、確かに見覚えのある顔をしていた。一部は服装にも当てがある。


 寸分の狂いもなく、彼ら全員が「同級生」なのであった。



 しかし、私に説明を求めた彼女は、意外なことを吐いた。

別に私たちは君だけを助けに来たわけじゃない、と。私の名前を交えて、そう断言した。

「まあ別に誰も、助けに来たわけでもないんだけどね。私たちは夢なんだよ。どう見えるかはその人次第、って感じ。だから、最初すっごい焦ってたけど、別にクラスメイトさんたちは消えたわけじゃないから安心して。今も隣に座ってるよ」


 感じられないだけで。

彼女の台詞が終わるのと、私の右腕が空を切るのは全く同じタイミングであった。髪の毛一つ絡めとることなく、右手が虚しく五本の指を宙に舞わせる。椅子の座面から高さ三十センチメートル、本来なら間違いなく何かしらには触れる位置だった。

それを見て、彼女はからからと笑った。私がその花顔を思わずじっと見つめると、丸やかな瞳が大した感情もなく眺め返してくる。首が軽く傾げられていた。



 電気は点いているはずなのにどこか影に満ちた教室内で、好きなように遊ぶ「同級生」の群れ。


 彼らの正体を見たい――ただ単なる間の悪さと、それと本能的な恐怖からただ一人、ずっと席に着いたままの私は初めからそのことばかり考えていた。つい最近、古典を読んだのだ。妖魔が主人公の母に化けて、なんとか餌食たる主人公を捕まえんと彼の名を呼び続ける話だった。

流石に今目の前にいる彼女たちがこれから私の肉を啄み、骨を舐め、血を啜るところは全く想像できなかったが、とりあえずのところ皆妖の類ではある、という確信は十二分にあった。当然であろう、眼前の集団の顔は幼かった。今も虫眼鏡のレンズのような丸っこい目が四組、私を見つめている。ポップな色使いをした上衣の袖からはややふっくらとした指が覗き、当然爪にテカリなどは欠片もない。先程話を遮った女子児童の髪は一つに結ばれた先で、自由奔放に円を描いている。

そう、児童なのだ。彼らは精確に、子供なのだ。


 そっと己の指を伸ばす。ポリエステルが縒られた、分厚くて固い布が胸の上に被さっているのを感じる。

まもなく高校二年になろうという私の前に突如、彼女たちは、小学六年の時の「同級生」の一団は、記憶通りの姿で降り立った。あどけない面を被り、柔らかな服を纏っていた。私の名を、その気ままな声で呼んだ。



 途端、間違いなくそこにいたはずの教師も級友も、誰も彼もが空気に溶けて消えていた。

 そうしてただ一人残された私に向かって、彼女たちは目を細めて笑いかけたのだ。

「久しぶり、」

と。



 両手を狐の形にして、片手ずつ目に押し当てる。何かで見た、妖の変化を見破る方法だった。確か覗く対象によって形式は様々あったような覚えがするが、ここには鳥の羽も六文銭もないのだから手でやるほかない。


 ――こんな話があってよいのか?

いやにリアルな夢ではないのか。うんざりするほど科学に囲まれたこの世界で、狐狸に化かされるようなことがあるのだろうか。未だ固く目を瞑ったまま、私はふと考えた。まだ数十センチメートル先にいるであろう、彼女らの姿が瞼の裏に浮かぶ。教師と級友、「今」を隠してしまった代わりに現れた幼い幻像。

気味の悪い夢見であるならば、それを透かして現実に戻ればいいのだ。夢も言ってしまえば都合のいい幻ではあるのだから。そう自分に言い聞かせて瞼を開けた私の視界にはただ、

白い球体がぽっかりと浮かんでいるのだけが映った。



 否、球体だけではない。人間の体もある。つい先程まで「同級生」らが戯れていた、その場所に当てはまるように存在している。ずっと十一、二の姿ばかり見ていたせいだろうが、今見えているそれらは途方もなく大きく感じた。ただその肉付き具合、背丈、何より身に纏っているのが制服であることからして同い年、高校生であることが分かる。

そして白い球体は、そんな体の上に浮いていた。体には首から上がないから、その代わりとでも言いたげな様子でそこに在る。プラスチックのような質感で、ただ滑らかで穏やかな光を放っていた。頸部はない。数センチメートルの隙間があるばかりだ。


 彼の、「同級生」の声がした。奔放な高い声。あれ、と言いながら私の名前を呼ぶ。いい加減思い出し切って、耳に馴染みなおした響き。

それが目の前の、ナイロンの上着を着た体の上に浮かぶ、月のような球状の物体から発せられているのを理解してようやく、

私の手はひどく震え始めた。

正体を見てしまったのだ。彼らの真相は「これ」なのだ。そう、脳が繰り返し叫んだ。



 机を取り囲むように四人。背後の黒板に三人。前の方に五人。彼らの頭部代わりのそれには、顔に見えるものは何もない。しかし彼らは動き、喋り、笑っている。私の常識の限りではつまり、どこかに目や口となるものがあるのだ。肩から流れるその肉付きを見、声を聴いた私は、彼らを完全なる無機物だと言いたくはなかった。

ただ本当の顔がどこにあるのか、私には到底知りえない。

――三十人弱のその全員が今、私を、見抜いた私を見ているのかもしれない。

浮かんだその仮説に反駁する方法は存在しないのだった。



 一体どんな表情をしていたのか、とにかく体をわなわなと震わせ、それ以外の動きは何もできないで椅子に貼り付けられた私を、

何か生温い感触が包んだ。ししむらが少し湿ったそれと、一つになるような気もする。

手だった。狐の形に固められた両手の、ちょうど狐の目のところに指が差し込まれて、ぐっと相手の方に引き寄せられる。


 手の持ち主と、視線がぶつかった。暗色のジャケットに無垢なブラウス、バッジが閃光の如く光を放っている。例に及んで白い球体はそこに浮いていたが、掌が温かいからであろうか、不思議と敵意は感じられなかった。

親指と人差し指の間の、柔らかい皮膚の重なりに彼女の中指と親指が重なる。筋肉を押された私の両手は、あたかも自分の意思でそうするかのようにするりと開いた。薔薇の花が咲くかのように、中指や薬指が円を描く。



 顔を上げると、そこには色があった。

窓の外は際限なく青い。黒板は深緑に彩られている。奥で話す「同級生」の着る服は紫である。蛍光灯にすら、淡い黄色を見出した。

何より私の手に未だ指を重ねたままの、そしてそれ以外の面々の、色艶のよい顔の赤み。球体より低いところに、それは在る。

四対の双眸が、まっすぐに私を見つめていた。



 「どうだった?」

横に立った彼が、そう訊いてきた。

「見えたんでしょ?」

「どうって……」言葉に詰まる。丁寧語のことは忘れていた。色彩に目が眩んでいた。

たとえ目の前の皆が明白に、妖魔であったとしても。


 私の曖昧な返しに、彼は軽く笑った。四つ年上の者……少なくとも外見上は……に向けるどころか、年下の子供に対するような笑い方である。

「別にあれは本当の姿じゃないよ。ただ俺らを呼んでない人が偶然姿を見ちゃうとああなるだけで」

つまり? 反射的に、私は訊く。

「このクラスの人たちは皆呼んでたから心配しないで、先生は違うけど」

先程の彼女がウィンドブレーカーの袖を鳴らしながら答えた言葉に、

「あれ怖いよねぇ、首無いし」と隣の女子児童が重ねる。

「あぁ、怖いって認識はあるんだ」

「別に私は何も感じてないけど……命乞いされたことあるよ、お祓いとか」

ぱらぱらと、耳馴染みがあるのよりは少しキーの高い笑声が上がる。



 三十分程後のことであろうか。現れた時と同じように、気が付くと彼らは消えていた。しかし

「また呼んでね、」

という最後の一声だけは、間違いなく私の耳にこびりついている。不思議な程に甘美な、心地の良い響きをしていたのだ。

人間が他人の印象の中で初めに忘れるのは声だというが、この台詞だけは二度と忘れられないようですらあった。



 とにかく、私が首を上げ、数度瞬きをした先には、一つ一つの机に欠けなく級友たちが座っていた。皆意味もなく宙を目でなぞったり、己の頭を撫で回したり、周囲を見回したりしている。既に記憶から薄れつつあるあの視界を、「同級生」の風姿こそ違えど共有していたのは確かであるらしかった。

同じ夢を見ていたのだ。


 そして。教室の前方、角に背中をなるべくぴったりと押し付けるようにして立っていた教師が、ようやく私たちの前へと歩みを進めた。まるで一切、何も見ていなかったかのように言葉を紡ぎ出す。

その左手はそっと、しかし指を丸めて、そこに通る血管を腹で抱えるようにして、彼自身の首に当てられていた。

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アルカディア 多々野 @Caramel_0327

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