第5話 浸水都市のほとりで



少女と機械は、静かな森を歩いていた。

木々の間を縫うたび、濡れた葉が足元でやわらかく音を立てる。

風が枝を揺らし、遠くで羽音が消えていった。


湿った土と葉の匂いが、空気を満たしている。

どこにも、人の気配はなかった。


けれど──

森の奥には、名も知れぬものたちが眠っていた。

錆びた塊。砕けた殻。捻れた腕のような残骸。


いくつかはジジによく似ていたが、決定的に何かが違っていた。

それはまるで、“抜け殻”のようだった。


マキナは、一体の残骸の前で立ち止まり、つぶやく。


「……これも、ジジと同じ?」


「外見は類似していますが、稼働は不可能です。

 外郭は損傷し、内部バッテリーも完全に消耗しています」


“バッテリー”という言葉には、まだ馴染めなかった。

けれど──壊れて、もう動かない。

それだけは、はっきりと分かった。

その事実は、言葉よりも深く、静かに胸の奥へ沈んでいく。


誰のために作られ、なぜ壊れ、どうしてここに横たわっているのか。

マキナには分からなかった。


それでも、今もその姿を留めていることに、

何か意味があるような気がした。


蔦をかき分け、さらに奥へと進む。

湿った葉の先に、不意に光が差し込んでいた。

空が裂けたような、唐突な光だった。



──森の縁。



マキナは立ち止まる。

そこは、かつて文明があった場所。

今はその大半が、薄く張られた水面の下に沈み、静かに眠っていた。


崩れた建物群は、骨のような構造を晒し、蔦と苔に覆われている。

まるで、緑のヴェールを纏った骸のようだった。


陽の光が水面に揺れ、倒れた構造物を淡く照らす。


中でも、倒壊した高層塔の断面が目を引いた。

垂れ下がる蔓と、空洞の窓枠が額縁のように見える。


都市と自然は争うことなく、ただ静かに交わり、

長い時をかけて、この風景を彫り出したのだ。

 

さらにその奥。

靄の向こうに、より巨大な建造物の影がかすんで見える。



マキナの胸に、言葉にならない何かがふいに浮かんだ。

それは、痛みとも憧れともつかない感情。


誰かの過去、声、暮らし、願い──

それらが、この静寂の中に、確かに息づいている気がした。



都市は死んでいた。

けれど、その死骸は──美しかった。


水音とともに、ジジが隣に立つ。


「ここは都市の郊外のようです。

 人の気配が消失してから、数百年が経過しています」


「数百年って……どれくらい?」


「人間の世代換算で、十代から十五代ほどです」



実感はなかった。

けれど、とても長い時間が流れたのだと、マキナは思う。


水辺の右手。

森の外れに、崩れかけた別の建造物があった。

高く湾曲したアーチ、折れた鉄骨。


草と蔦に覆われながらも、かろうじてその存在を主張している。

都市とは異質なその姿に、マキナは目を細めた。


──あれだ。


船の上で、隙間から何かが揺れて見えた廃墟が、そこにはあった。


「ジジ。あの建物……何かがいた気がするんだ」


「可能性はあります。

 構造上、隠蔽された空間が多数存在します。

 接近して確認する必要があります」


マキナは、水辺を離れ、廃墟へと足を向ける。


都市はただ静かに眠っていた。

だが──静寂の向こうに佇むその建物は、

何かを密かに隠しているように感じられた。


やがて、かつての舗装道路の痕跡が現れる。

苔に覆われた石が、水辺から廃墟へと続いていた。

建物は折れ、傾き、骨組みを晒している。

草木がその隙間を縫い、風に揺れていた。


アーチ状の入口の前に立つと、空気が変わる。

湿った風に、鉄と苔、そして焦げた匂いが混じっていた。


「……ここ、何の建物だったんだろう」


マキナの声が、壁に吸い込まれていく。


「構造から高出力エネルギー供給の痕跡が確認できます。

 用途は不明ですが、防衛施設の外縁部、前線拠点、補給基地、

 あるいは軍事実験場だった可能性が高いです」

 

「実験場……?」


マキナの足が一瞬止まりかけた。

だが、すぐに進み出す。

 

回廊は薄暗く、照明は崩れ、蔦が壁を這っている。

水たまりに足音が反響するたび、空気がかすかに震えた。


「行こう、ジジ」


「はい、マキナ」


──その時。


きぃ、と鉄が軋む音が、遠くで微かに響いた。

マキナが息を止める。

ジジのセンサーが点灯する。


「動体反応、距離五十メートル。熱源多数。種類は不明です」


空気が、ふっと重くなる。

風のせいではなかった。

そこには、“何か”が、まだ残っていた。


それでも、マキナは振り返らない。

深く息を吸い、強く踏み出す。


その瞳には、恐れではなく──

知りたいという、強い意志が宿っていた。


「……見てみたい。ここに、何があるのか」


ジジは黙ってうなずき、背を守るように寄り添う。


かつての前線拠点。

この場所で、何が起き、何が終わったのか。


ふたりは、かつての真実と、自分たちの意味を知るために──

廃墟の奥へと、静かに足を踏み入れた。

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少女と機械と再起動の旅 ─RE:BOOTED SEA─ deyo @deyo

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