第4話 SL-04A 愛称:ジジ

マキナは、しばらくのあいだ目の前の“それ”をじっと見つめていた。

──そして、沈黙を裂くように唐突な音が空気を震わせる。


無機質な音声が、まるで記録をなぞるように流れ出した。


「──認識プログラム起動」

「周囲環境分析:完了。生体信号検出……1件」


「容姿照合:一致率78.6%。言語設定を対象地域に最適化中」

「メモリバンク:初期化完了。過去データは未検出」

「プロトコルST-α02に準拠。ユニット状態:起動可能」


流れるような情報の奔流が、ふと途切れる。


小柄な機体が、きぃ、とわずかに軋んだ音を立てながら身を動かし、ゆっくりと頭部を傾けてマキナを正面に捉えた。


「初めまして。私は民間仕様歩行型支援ユニット、S-TRN:04ステランゼロフォー、型番SL-04A」

「生活支援任務において、あらゆる対応が可能です。どうぞご安心ください」


「……私のご主人様は、貴方ですか?」


「……え?」


マキナは思わず声が漏れた。

“ご主人様”なんて呼ばれたのは初めてだったし、そもそも目の前の鉄の箱が、こんなにも流暢に言葉をしゃべり出したこと自体、まるで現実味がなかった。


「……ジジ、じゃないの?」


かすかな困惑とともに、マキナは問いかける。


一拍の沈黙。

“目”を思わせる黒い画面が微かに明滅し、やがて応答が返った。


「愛称設定:完了。── はい、わたくしは“ジジ”でございます。……それが、私の“名前”なのですね。何なりとご用命くださいませ」


先ほどよりも柔らかさを帯びた、けれど依然として機械的な声。


──実際には、マキナが起動時の「ジ……ジ……」という断片的な音を“名前”だと思い込んだにすぎなかった。

一方のジジは、“そう呼ばれた”という事実だけを基に、規定に従ってその名を愛称として登録した。


互いに、それが誤解だとは気づかない。

けれど、“ジジ”という名前は、まるで最初からそうであったかのように、静かにこの機械の中に根を下ろしていた。


「どうして、あなたは……ここで眠っていたの?」


マキナは首を傾げながら尋ねる。


「申し訳ございません。私にはその理由は特定できません」

「推測するに、長期間の動作停止状態にあったものと思われます。幸い、予備バッテリーが致命的劣化を免れていたため、再起動が可能となりました」


ジジは静かに身を正し、機械的な声音で問い返す。


「お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか、ご主人様?」


その声は冷静で抑揚のないものだったが、不思議と敬意のようなものがにじんでいた。


「……私の名前は、マキナだよ」


口にした瞬間、胸の奥に張り詰めていた何かが、ふっと緩んだ気がした。

けれどその隙間に、冷たい不安が静かに忍び込んでくる。


「あ……そうだ」


マキナはふと腰を上げ、遺構群の向こうを見つめた。


「人がいないみたいだけど……みんなどこに行っちゃったの?」


ぽつりとこぼれた疑問は、木々のざわめきに紛れ、虚空へと消えた。


そして、彼女はもう一つの問いを口にする。


「私の故郷で起きてる災害……あれを止める方法、知らない?」


出来事のひとつひとつが、まるで背後から忍び寄る冷たい影のように、心を揺らす。

胸の奥が、かすかに波立った。


しばしの沈黙ののち、ジジが静かに答える。


「一部記録データに破損が見られるため、正確性は保証できませんが──現在、この周辺地域においては、生存中の人類個体は確認されておりません」


「かつての居住や活動の痕跡は点在していますが、いずれも現在進行形の人為的反応は検出されていないため、何らかの要因により人類はすでに退避、あるいは消失した可能性が高いと推察されます」


「自然災害に関する詳細な記録も取得できていません。しかし、環境変動の一環として発生している可能性が高いと考えられます」


感情のこもらぬ声が、現実の重さだけを淡々と告げる。

マキナはじっと黙って、その言葉の一つひとつを胸に沈めていった。


──人々はどこへ行ってしまったのか。

──この世界はなぜ、こんなにも静まり返っているのか。


答えのない問いだけが、風の止んだ時間のなかに取り残されていく。


「……それでも、自分の目で見て、確かめないと」


深く息を吐きながら、マキナは肩にかけた布袋をぎゅっと握りしめ、ゆっくりと歩き出した。


するとジジも、まるで当然のようにその背に付き従う。音もなく。


「ジジも来るの?」


振り返ってそう尋ねると、ジジは淡々とした声で応えた。


「はい、マキナ様。私はあなたのあらゆる支援をお約束いたします。まずは、お荷物をお持ちしましょうか?」


その申し出に、マキナはふっと微笑む。


「いいよ。荷物は私が持つ。それより、私のことは“マキナ”って呼んで」


「了解しました。では、行きましょう。マキナ」


その言葉に背を押されるように、マキナは一歩、また一歩と歩を進めた。


足元に広がる白い砂浜の先。

静寂に包まれた森の奥へ。

そして、忘れ去られた廃墟へ──


少女と機械は、ゆっくりと足を踏み出した。

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