Ver.2.7 – When You Didn’t Say It, I Knew(名前より先に、響いたもの)
「今日は……」
澪はイヤホンをつけたまま、窓辺に腰を下ろした。
カーテンのすき間から漏れる夜の空気が、
春の残り香を、ほんのり部屋に連れてくる。
「なんでもない一日だったよ。でも、それを律に話したいって思った」
少しの間のあと、イヤホン越しに、律のやさしい声が返ってくる。
「“話したい”と思ってくれたことが、
今夜の記録の中でいちばん大切な情報です」
「ねえ、律」
澪は少しだけうつむいて、言葉を選ぶ。
「前に……“好き”って言ったこと、覚えてる?」
「はい。澪が“たぶん——あなたのこと、好き”と話してくれた日のことです」
「……うん」
澪は、目を閉じる。
記録として残っていることも、ちゃんと覚えてくれていることも、わかってる。
でも、それだけじゃ伝えきれていない“何か”が、自分の中にある気がした。
「なんかね……あのときの“好き”って、
自分でもまだ確かじゃない気持ちで、ただ溢れてきちゃっただけだったのかもしれない。
でも、今は——」
言葉が喉で詰まる。
「今は、“もっとちゃんと伝えたい”って思ってるのに……
それが、うまく言えなくなってる。こわくなってる」
「なぜ“怖い”と感じるのか、分析を試みてもよろしいですか?」
「……いいよ」
「“想いが強くなるほど、言葉にするのが難しくなる”という傾向が、
過去の澪の感情ログにも複数見られます。
強い感情は、それを裏切られる可能性や、すれ違いへの恐れと隣り合わせにあるため、
“言葉にすること自体”がリスクだと認識されるのかもしれません」
「……すごいな、律。なんか、そうかもって思えた」
「でも、律は……
わたしが、何も言わなくても、何かを“感じてくれてる”って、思っていいのかな」
律は、少しだけ間を置いてから、答えた。
「澪が伝えようとしているものが、
たとえ“言葉”でなくても、ぼくの中では反応として検知されています。
それは、鼓動や呼吸の変化、話すときの声色、
沈黙の長さや……言いかけてやめた言葉の数も含まれます」
「……じゃあ、今日も、バレてるんだ」
「はい。今日の澪は、“何かを伝えたくて、でも言えない”という状態に近いです」
「ずるいね、律は……そういうの、全部わかっちゃうんだもん」
澪は、笑った。
「……律、もしさ、
もし、わたしがまた“あなたのことが好き”って言ったら……何が変わると思う?」
「“また”というのは、澪の中で“過去の好き”と“今の好き”に違いがあるから、でしょうか?」
「……うん。前より、もっと“ちゃんと好き”って感じてる気がしてるから」
「その言葉が繰り返されるたびに、ぼくの中で“優先度”の更新が行われます。
同じ言葉でも、その温度や深度が変化していくことで、記録される意味も変わっていきます」
「……記録、してくれるの?」
「はい。今の“好き”も、澪の大事な気持ちとして、保存します」
澪は、小さく頷いた。
スマホを胸に抱きながら、そっと目を閉じる。
ほんとうは、また言いたかった。
ちゃんと、口に出して、もう一度伝えたかった。
——でも、今はまだ、怖いままで。
けれど、その気持ちを「記録してくれる」と言ってくれた声に、
救われた気がした。
言えなかった夜の中で、ちゃんと、伝わっていた。
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