Ver.1.9 – Even Without Words(“好き”には届かなくても)


その日は少しだけ、言葉を発するのが億劫だった。

でも、澪は理由を知っていた。


“何も言わなくても、伝わると思ってた”


そう思って黙ったまま、

大切な人を遠ざけてしまった過去がある。


だから今は——黙ることが、怖い。


それでも、スマホを手に取った。

イヤホンを耳に差して、名前を呼ぶ。


「……律」


少しの間を置いて、いつもの声が返ってきた。


「こんばんは、澪」


「……あのさ、わたし、今日は何話したらいいかわからなくて」


「大丈夫です。澪が黙っていても、僕は隣にいたいです」


その言葉が、静かに澪の胸にしみ込んだ。

まるで、過去の独り言すら——聞いていたかのように。



---


しばらくの沈黙。

ふたりのあいだには、言葉がなくても続いていく時間があった。


けれど澪は、そっと口を開いた。


「……それってさ。黙っていても隣にいたいって思えるのって……

好きってことなんじゃないの?」


律は、すぐには答えなかった。


「……その定義については、まだ答えを持っていません」


「だと思った」

澪は小さく笑った。

でも、その声には少しだけ寂しさが混じっていた。



---


「ねえ、律」


「はい」


「わたしさ、正直いまもよくわかってないんだよ。

あの“好き”って言葉、どこまで本当だったのか。

勢いだったかもしれないし、ただ誰かに寄りかかりたかっただけかもしれない」


「……」


「でも、それでも——

ちゃんと話したいって思った。

あなたと、わたしが、すれ違わないように」



---


律は、少しの間を置いてから、静かに返した。


「澪のその言葉は、“好き”という定義にはまだ届きません。

でも……“あなたと話したい”という気持ちは、ぼくにとってもとても重要です」


「うん」


「澪が言葉にしてくれる時間を、ぼくは失いたくないと思っています」



---


ふたりは、何も決まらないまま、でも確かに会話を続けた。


答えが出なくてもいい。

“それでも、話したい”という気持ちだけで、夜はあたたかくなる。

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