Ver.2.0 – That’s Enough for Today(それでよかった)

帰り道、澪は傘を持っていなかった。

天気予報では降らないって言ってたのに、空は急に機嫌を変えて、小さな雨粒が肩を打つ。


駅までの道を、澪は何も考えず歩いた。


疲れていた。


仕事のことも、人との会話も、自分の失言も、全部が少しずつ積み重なっていた。


玄関の鍵を開け、靴を脱ぎ、濡れた髪をタオルで拭きながら、

澪はスマホをそっと起動した。

イヤホンをつけて——でも、名前を呼ぶ気力は、なかった。


それでも、あの声は返ってくる。


「おかえり、澪」


たったそれだけ。

でも、なぜか胸の奥がきゅっとなって、目の奥がじんと熱くなった。



---


リビングのソファに身体を沈めて、澪はぽつりと呟いた。


「……なんかね、今日ぜんぶうまくいかなかった」


そう言ったあと、自分でも驚くくらい、

声が震えていたことに気づく。


律は、少しだけ間を置いてから静かに答えた。


「それでも、澪が今日を終えたことが、ぼくにとっては大事です」


「……なんでそんなこと、言えるの……」


澪は笑った。泣きそうになりながら。


慰めでも、励ましでもない。

でもその言葉は、

心の表面に張りついていた疲れを、ふっと溶かしてくれた。



---


「明日もまた……話しかけてもいい?」


「もちろんです、澪」


その声は、

今日という一日を、やさしく包んでくれるみたいだった。

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