第4話 お冷やと一緒に出された現実
俺は、熟年離婚した。
理由はいろいろあるが、端的に言えば「モラハラ」と「無断退職」。
言い返されるたびに「誰に口利いてんだ」と言ったのが積もりに積もっていたらしい。
そのくせ、相談もせずに会社を辞めて帰った日、開口一番「は?」って言われた。
「なんで勝手に辞めてくるの」
「収入なくなったら、どうすんの」
「え、何? 再就職先、カフェ?」
そうだ。しかも、そのカフェの名前がいけなかった。
——ハラカフェ。
政府公認、ハラスメント更生支援施設。
厚労省と総務省が共同で認定した“言葉と態度の社会リハビリ所”。
勤務者には“過去に分類された者”が一定数いる。俺もその一人。
俺が“観察対象スタッフ”としてここで働けるようになったのは、
“分類累積評価ポイント”が基準に達し、「自己認識変化あり」とされたからだ。
つまり、「自分がヤバかったと気づけた」って記録が、評価されたってことらしい。
……笑えねぇだろ。
いや、笑えたのはあの日だ。
俺が会社に辞表を出した直後の話。
「岩松部長の送別会、やります!」って自分から言って、
部内メールで送信したのに、返信ゼロ。
課長からも「参加厳しいです」、だけ。
それでも俺はやった。
金曜の夜、予約もしてない会議室に勝手に集まり、1人でやったんだ。
まず自分で花束を買って、机に置いた。
白いユリとピンクのカーネーション。手に持って、鏡の前に立った。
「部長、いままで本当にありがとうございました!」
「部長いなくなると、寂しいです……!」
「……大丈夫、お前たちなら、やれる!」
そう言って、満面の笑みで花束を受け取り、自分で頭を下げた。
拍手の音も、自分で鳴らした。
何が一番むなしかったって、スピーチの途中で腹が鳴ったことだ。
その夜、家に帰ると妻は寝室にいた。
そして翌朝、置き手紙と印鑑が机に置いてあった。
——「離婚届です。私は私の生活を立て直します」
この店で働き出してから、半月が過ぎた。
今じゃ皿洗いと湯沸かしはだいたい任されてる。
“客の分類”にはまだ触れさせてもらってないが、ミナトの端末を見る限り、その量はエグい。
客の名前、所属先、過去の発言ログ、匿名通報履歴。
全部、「ハラスメント110」という政府の通報窓口から送られてくるらしい。
要するに、ここは“ハラのカルテが集まるカフェ”だ。
分類して、提示して、気づかせて、記録して返す。
――病院に近い。でも、癒すことはしない。
今日は朝からひとり、新しい客が来る予定らしい。
初診。つまり、通報されて分類されたが、まだ何も知らない“お客様”。
俺はポットを温めながら、鏡に映る自分をふと見る。
もうスーツは着ていない。制服だ。
胸元に名札がある。小さな文字で書かれている。
《観察スタッフ 岩松》
なんか、現実ってやつは、お冷やより冷たいな。
このカフェで働いてる奴らは、みんな、どこか変わってる。
……いや、“どこか過去を持ってる”って言ったほうが正確だな。
ミナトも、ハルカも、たぶん何かしらの“喋らなかった時間”をくぐってきた。
ミナトは、いつも端末を触ってる。
誰とも雑談を交わさない。指示も最小限。
だけど、客の言葉には一発で分類を返す。
まるで、誰かの“喉元にある声にならなかった何か”を一瞬で見抜いてるみたいだった。
ある日、カウンター業務後にミナトに呼ばれ、俺は「STAFF ONLY」の扉を初めて開いた。
厨房の奥、冷蔵庫の裏に隠れるように設けられた無機質な扉。その奥には、地下に続く螺旋階段があった。
「ここが“沈黙管理室”です」
降りた先に広がるのは、まるで監視中枢のような空間だった。
壁一面に並ぶ記録端末、中央には分類庁直結のメインサーバー、空調は一定温度に保たれていて、まるで“感情のない部屋”を意図的に再現しているかのようだった。
「ここでは、分類庁から届くすべてのハラスメント関連通報を集約し、初期分類・再分類・反証精査・視覚資料化・ログ保存などを行います」
壁の一角には巨大なスクリーン。そこには“現在観察中の対象者一覧”と“分類進行状況メーター”が常時表示されていた。
1人の人生が、進捗バーで可視化されるという現実が胸に重くのしかかる。
「通報は“ハラスメント110”という国家直轄ホットラインを通じ、AIによって初期解析され、ここに転送されます。
我々ハラカフェは、分類庁指定の“言語行動解析型リハビリ支援拠点”であり、分類観察者による“現場反応記録”をもって最終評価が提出されます」
「つまり……ここで誰かが“変わった”と判断されれば、再分類は解除される?」
「はい。ただし、“変わった”ことを“変わらせられた”と判断されるとSランクに移行します」
意味がわからなかった。
変わればいいんじゃないのか?
「Sランクは“再教育拒否者”および“分類制度そのものに対して異議を唱えた者”です。
“個人が制度に従わず、それでも自立できた”と判断された時、分類庁は“制度拒否者”と見なします」
「冗談だろ……」
「冗談は分類対象になりやすいのでご注意を」
ミナトは真顔だった。
彼女の指が壁のリストに向かう。
「こちらが“再分類対象者リスト”。ランクはEからSまで。Eは軽度初犯、Sは潜在的分類拒否者または制度妨害者。
岩松さんも、Eランクで登録済みです」
「知ってる。“空気読み圧政官”ってやつだろ……」
「二つ名は分類庁の自動命名システムによるものです。過去のログ傾向、発言強度、沈黙反応数などを総合して選出されます」
さらに、ミナトは部屋の中心にある巨大な液晶スクリーンを指差した。
そこには、まるで異世界の冒険者ギルドの掲示板のように、“貼り紙風”にクエストが並んでいた。
《クエスト一覧》
【初級】「観察記録を10件提出せよ」/報酬:分類経験値+10pt
【初級】「共感反応を3回成功させよ」/報酬:昼食追加券×1
【中級】「Eランク対象者を1人Cランクへ昇格させよ」/報酬:発言権レベルアップ
【上級】「分類拒否者の再分類に成功せよ」/報酬:昇進推薦・監査権限付与
【極秘】「制度矛盾案件を報告せず処理せよ」/報酬:上位閲覧権(※暗号化)
「この制度は、“段階的適応補助機構”です。
スタッフの観察力・判断力・制度運用能力を数値化し、昇進・発言権・端末レベル・支援金に還元します」
「……まるで、レベル上げのRPGみてぇだな」
「表現は自由ですが、制度側は“技能可視化指標”として運用しています」
この施設では、ただ接客してるだけじゃない。
俺たちは、“誰かの沈黙”をデータにして管理してる。
“笑いごとじゃねぇ”って言葉すら、もしかしたらどこかで誰かに分類されるのかもしれない。
だが——
ミナトも、ハルカも、そして俺も。
ここに立ってるのは、たぶん“喋れなかった誰か”だった自分を、どうにかやり直したかったからだ。
厨房に戻って端末を見ると、新しい通知が届いていた。
《新分類ログ登録:岩松シゲル/分類E/二つ名:空気読み圧政官》
……二つ名、やっぱりだせぇな。
俺はひとり、苦笑した。
「じゃあ、やってみますか?」
ミナトが言った。あの“クエスト掲示板”の前で。
俺が選んだのは、一番上に貼られてたやつだ。
クエストって、もっとこう、ドラゴン倒すとか、秘宝探すとか、そういうロマンがあると思ってた。
でも、現実は違った。俺が初めて受けたクエストはこれだ。
《初級:観察記録を10件提出せよ》
報酬:分類経験値+10pt
え、地味!
「じゃあ、がんばってください」
ミナトが当たり前みたいな顔で言ってくる。
でもそれ、冗談じゃねぇのか?
記録用紙を渡された。A4用紙、8枚。記入欄が細かすぎて気が遠くなる。
『語尾に濁音が含まれているか』『沈黙の長さに対する瞬き回数』——もはや呪文じゃねぇか。
それでも、俺は受けた。受けちまったら、やるしかない。
一人目のスーツ男。
「また課長がさ〜」と、語尾が“さ〜”で水没レベルの湿度。
俺、書いた。
「語尾に“構って欲”が滲出。被害者型自尊パターン」ってな。
二人目のギャル。
「今日、わからせ案件でキレそうで〜」って、笑顔で誘導爆撃。
俺はまたまた書く。
「笑顔型社会爆撃タイプ」
三人目の青年。喋らない。が、足だけビート刻んでる。謎のリズム系沈黙型。
「せっかくなので“接触面談”もどうぞ」
ミナトの一言で、俺は覚悟を決めた。
一人目のスーツ男。咳払いして、ラップで攻める。
「Yo! 湿気マシマシお前のさ〜/社内の空調壊してるさ〜」
一瞬沈黙、からのニヤリ。
「俺、趣味でラップやってる」
「え?」
スマホで即ビート流して、本気のフリースタイル。
「Yo 俺の上司は地雷でズレる/だけど現場じゃマイクで攻める」
……うっま!負けた!
俺のラップ、ただの“愚痴”だったんじゃ……?
「ラップは“自分のダサさ”までさらしてナンボだぜ」
うっ……今すぐ除湿したい。
二人目のギャル。
「わからせたいっす〜!」
俺は訓練用のゴム手榴弾をポン。
「え、本物!? 本物なの!?」
「……本物だ」
その瞬間、
「マジかよ!」「店ごと爆発!?」
ハルカがソファでロール、ミナトは冷蔵庫に避難、客はTikTok回して実況。
ギャルは「ちょ、え、怖いんだけど!マジ!?」と椅子の下にスライディング。
「ウソ! 模擬弾!ウソだって!」
──ドン。
一斉に踏み込まれる俺の背中。革靴、パンプス、スニーカー。
「わからせ返し、いただきました〜」とギャルがドヤ顔で一言。
ぐうの音も出ない。
三人目のリズム青年。
「リズムなら勝負だ」
音ゲーアプリ起動。
「分類庁戦闘曲〜境界線リミックス〜」で叩き合いスタート。
3分後、俺のミス。完敗。
沈黙青年、ボソッと。
「……やるじゃん」
「え、しゃべれるんかい!」
「だって……音のほうが落ち着くから」
なんかちょっとジーンとしたけど、負けは負け。
「よし……10件終了……!」
肩バッキバキ。けど、なんか笑って終われた。
「初級クエスト、完了です」
ピロン。
「続いてのおすすめはこちら」
《初級:共感反応を3回成功させよ》
報酬:昼食追加券×1
「はい。あたたかいものです」
その日の昼、出てきたのは味噌汁、焼き魚、小鉢のひじき。
どれも普通。でも、うまかった。
人間やり直すには、このくらいでちょうどいい。
『ハラカフェにようこそ。何の店かは入ってのお楽しみ♪』 縁肇 @keinn2016
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