第8話 堂諭、判決のとき

「そんな……!」


 しかし精華はあくまで冷静に、大きめの欠片を一つ手に取ると……さもたのしげに高笑いする孟淑妃へと、突き付ける。


「この欠片も、贋物ニセモノですね。底に溜まる青がにぶく、貫入もございません」


「孟淑妃、よもや朕を前にしてたばかりおるとは!」


 皇帝がさらなる怒りの声を上げると、孟淑妃は慌てたように言った。


「ちっ、違います! わたくしめは陛下の御為おんために、銘品を相応しくない者から陛下のもとへ取り返そうとしたのでございます……」


 焦るように媚態びたいを作る孟淑妃へ、皇帝は冷ややかな目を向けた。


「もうよい、そなたには失望した。温徳嬪より奪った茶碗は、即刻返却するように」


 だがそこで玉座を立とうとした皇帝を、それまで黙って成り行きを見守っていた珞王が呼び止めた。


「お待ちください陛下、それは民事のみのお話でございましょう。まだ刑律けいりつの審議が終わっておりませぬ」


「なるほど、申してみよ」


 再び深々と玉座に座り直した皇帝に、珞王は言った。


「は。恐嚇取財の罰は窃盗の罰に一等を加え、取りたる財が百十貫以上であれば杖刑じょうけい百回、および三千里の流刑るけいとされております。あの茶碗は、百十貫より高価でございましょう」


 冷めた顔で珞王は言ったが、それを止めるように温徳嬪が声を上げた。


「お、お待ち下さいませ、わたくしめは刑罰を望んではおりません! ただ、あの茶碗が無事に戻ってくればよいのです。だから……!」


「分かっている。淑妃は大夫たいふ(高官)に相当する身分であるから、罪を問うには勅許ちょっきょがいる」


 珞王は苦笑いを浮かべると、自らの父親である皇帝に、うやうやしく拝礼しながら言った。


「陛下に奏聞そうもんいたします。淑妃孟氏へ賜る罰を、どうぞご聖断くだされますよう」


「……淑妃は杖刑二十ののち、冷宮れいきゅうに送る。重々、頭を冷やせ」


「そんな……!」


 冷宮とは、妃嬪の入る監獄だ。

 孟淑妃は青ざめたが、珞王は皮肉げに笑った。


「陛下の厚きご恩情に感謝せよ」


「そんなのうそ、うそよ……」


 その場に崩れ落ちたまま小さく呟き続ける孟淑妃に、皇帝は忌々しげに言った。


「朕を前にしてあの莫迦ばかげた小芝居を打つほどに、前朝の至宝を所有したいと思うたか。浅ましい……そなたには、存分な褒美を与えておったはず。それでもまだ、足りぬ足りぬと申すのか!」


 その言葉に答えたのは孟淑妃ではなく、皇后だった。


「孟淑妃の実家は、前朝では権門のお家柄だったとか。しかし今や庶人の身となったゆえ、前朝の栄華えいがを思わせる銘品に目が眩んだのでしょう」


 だが皇后の言葉を聞いて、孟淑妃は低くわらった。


「違うわ。わたくしは、温徳嬪を……明珠めいしゅを、悔しがらせたかっただけ」


「……どういう意味だ」


 訝しげに問い返す皇后に向かい、孟淑妃は嘲るような笑みを浮かべて、顔を上げた。


「だって明珠ってば、いくら陛下の寵愛を自慢してやっても、笑顔で『それは良かったわ』と言うばかりなんだもの。余裕ぶって偉そうに、ちっとも羨ましがりも、悔しがりもしやしない。だから大事にしている物を奪ってやれば、自分の無力さを思い知らせてやれば、心の底から悔しがらせてやれると思ったのよ。本当に、大成功だったわ……!」


 そうして彼女は自棄になったかのように、高らかに笑い始めた。


 温明珠と孟三娘の二人は、同じ年の秀女として入宮した。寝所が同室になった二人は、初めはいつも一緒にいるほど仲が良かったのだという。だがあるとき、ひょんなことから明珠に先に皇帝の手がつき、妃嬪としての位と個室が与えられた。抜け駆けされたと嫉妬に身を焦がした三娘は、あらゆる手練手管を駆使し、寵妃へと登りつめたのだった――。




 ――あれから。ようやく長い審訟を終えてへやへ戻るなり、温徳嬪は珍しく皮肉げな笑みを浮かべて言った。


「まさか茶碗を奪った動機が、わたくしを悔しがらせたかったから、なんてね……」


「世俗の欲にまみれた孟淑妃は、きっと温徳嬪さまのように高潔な御方の存在が理解できなかったのでしょう」


 精華は軽く憤然としながら言ったが、温徳嬪は苦笑した。


「これって高潔、に見えるのかしら。……そもそも、陛下のご興味が三娘へ移るよう仕向けたのは私なの。だから、悔しがるはずがないだけなのよ」


「それは一体、なぜ……」


 驚いて聞き返す精華に、温徳嬪は「今の話は二人だけの秘密ね」と意味深に声をひそめて言ってから、少しだけ困ったように微笑んだ。


 その後、冷宮行きで無人となった淑妃の寝宮が、改めて捜索された。温徳嬪は無事に戻った茶碗を手に取ると、喜びの涙を流したのだった――。




 ――後日。温徳嬪と共に改めて皇太后の寝宮へ礼に行くと、皇太后はうんざりとした顔で出迎えた。なんでも温徳嬪の勝訴を受けて、我も我もと訴え出る妃嬪たちが後を絶たず大変なのだという。


 そこへ、皇太后から呼び出された珞王が現れた。皇太后は、ただでさえ忙しい身。だから後宮で起こった訴訟を事前に吟味する役目を、閑人ニートである珞王に任せるという。


「この無能の私に、そんな大役なんて務まりませんよ」


 大げさな身振りで嘆く珞王を、皇太后はじろりと睨み付けた。


「だれが無能か。八つの頃には全てそらんじておった大安律令を、よもや忘れたとは言わせまいぞ」


 さらに大理寺からは、あの崔仁潔さいじんけつ録事を補佐に付けるということらしい。不承不承うなずく珞王へ精華が改めて先日の礼を述べると、彼は肩を竦めて言った。


「他人事のように言うが、そなたも仕事が増えるのだぞ」


 精華がきょとんとしていると、皇太后は意地悪げに笑った。


「そうそう、訴えに参った妃嬪たちには『審訟してほしくば訴状を用意せよ』と言っておいたのでな」




 精華たちが房に戻ると、そこには十数名の妃嬪が詰めかけていた。なんでも訴えたいことがあるから、勝てる訴状を作って欲しいのだという。精華が困ったように顔を向けると、温徳嬪はにっこり笑って「助けてあげて」と言った。


 ――そうだ、ここで訟師を続けたら、きっと後宮内での人脈が広がってゆく。そうすれば、陽清を探す手がかりが掴めるかもしれない!


 さらに妃嬪たちの訴訟を助けていれば、また皇帝の興味を引く案件を扱うこともあるだろう。そうすれば、権力による一方的な断罪ではなく律令にのっとった裁判の価値を、わずかでも皇帝に見直してもらえるかもしれない。


 とはいえ今回の訴訟では、皇后に、珞王に、証拠集めで助けてもらうばかりだった。精華には、まだまだ訟師として足りないものが多すぎる。逆に失望されてしまわぬように、これからもっと研鑽を積んでいかなければ。


「……分かりました。正直者が泣き寝入りをせず済むように、微力ながらお手伝いいたします。ただし、誣告ぶこくはいけません。誣告の罪は、刑律けいりつ第三五九条より『いいかけたる罪より二等を加えて罰を行う』と定められております」


 精華が真剣な目で見まわすと、人がさざ波のように引いてゆく。だがそれでも残った妃嬪たちは、みな思い詰めたような顔で頷いた。


 ――場所は変わってしまったけれど、ここに必要としてくれる人がいるならば……!


 精華は決意を新たにすると、愛用の筆を手に取った。







 判例(一)形見の茶碗 《了》


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後宮法廷録~女訟師は逆転の刀筆を振るう~ 干野ワニ @wani_san

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