第5話 行動の代償

ノアは12歳でアララト王国の軍の養成施設へと入隊した。

焦げた村の匂いも、あの夜の叫びも、まだ胸の奥に焼きついて離れない。

「二度とあんな光景を見たくない」――その一心で、彼は剣を握り、魔法の基礎を叩き込まれていった。


訓練は苛烈だった。身長も筋力も他より劣るノアは、初めの一年こそ「足手まとい」と笑われた。

だが、日々の努力と折れぬ意志によって、仲間たちとの距離は少しずつ変わっていく。


「お前さ、根性だけは騎士長級だよな」

ガイルは笑いながらノアの肩を叩いた。筋骨隆々の剣士で、仲間内では兄貴分だ。


「でも魔力制御はまだまだ。ほら、また弾かれてる」

リナが冷ややかに指摘する。槍を得意とする少女で、どこかノアにだけは気を許していた。


「目は良いんだけどな。体が追いついてない」

メガネを直しながら言うのはエルド。策略に長けた参謀タイプで、ノアとはよく軍人とは正義とはで喧嘩していた。


3年間、ノアは彼らと共に過ごし、剣や魔法をそして「命令に従う」という軍のルールを学んだ。

卒業式の朝、彼は静かに決意を新たにしていた。


「俺は……守れる力が欲しい。人を救うための力が」


配属先は王国南部の辺境防衛部隊。そこには、名門貴族出身の冷徹な中隊長として有名なドラガス・アステリオがいた。


「命令は絶対だ。たとえそれが“民を見捨てよ”という命令でも、だ」

最初の訓示でそう語ったドラガスに、ノアの心は早くもざわめいた。


数週間後、ノアたちの部隊に出撃命令が下る。

隣国境付近の村に、魔族の兆候。確認と警戒任務のはずだった。


だが途中で王都から急報が届いた。

「王族第三子が近隣の別荘に滞在中。即時護衛に向かえ」


ドラガスは即座に進路を変更し、村の救援を打ち切った。


「……民はどうするんですか」

ノアの声は震えていた。

ドラガスは目もくれず命じた。


「貴族の命は国の柱だ。民の命など、代わりがいくらでも利く」


仲間たちは言葉を失った。

だが、ノアだけは動いた。


「だったら、俺は自分に従う」


剣も装備もそのままに、ノアは一人で馬を走らせ、村へ向かった。


焼け跡に響くのは、崩れた家屋の軋みだけだった。

人影も、声も、すべてが黒く染まっていた。


――また、間に合わなかった。


涙すら出なかった。拳を握りしめ、ただその場に立ち尽くしていた。


焼け落ちた村から戻ったノアが隊舎に足を踏み入れた瞬間、そこには腕を組み、薄暗い廊下の奥で待ち構えていた中隊長の姿があった。


「……貴様」


鋭く名を呼ばれ、ノアは足を止めた。


「どこに行っていた」


その声には、怒りも、焦りもなかった。ただ淡々と、冷え切った氷のような響きがあった。


ノアは真正面から中隊長を見据える。


「予定通り村に救援に向かいました。自分に従ったまでです。」


「命令は“王族の護衛に向かえ”だった。貴様はそれを拒否し、独断で部隊を離れた」


「……はい」


「なぜ命令を無視した?」


ノアの拳が、わずかに震える。


「俺は家名も持たない。地位も権力もない平民です。村のみんなも魔族に殺されて運良く自分だけ助かって……だからこそ分かるんです。

見捨てられる側の苦しさを。誰も助けてくれず周りが死んでいくあの絶望を!あの地獄を変えたくて軍の門を叩きました。自分の行動は、間違っていると思っていません」


ドラガスの目がわずかに細まる。


「平民の感情を正義と勘違いするな。軍とは、国家の秩序を守る組織だ。

秩序を守るのは、地位ある者を守ることに他ならん」


「じゃあ、民は秩序の一部じゃないんですか!?魔族に滅ぼされた村の人達は?自分の故郷の村のみんなだって、救われる価値すらないんですか」


ノアは叫んだ。


「王族や貴族が、亡くなれば国や領地の機能が麻痺して魔族だけではなく、隣国や盗賊にだって攻め込まれる可能性だってある。それは分かる。わかっているけど、それでも自分は村で1人泣いてた子供も、家の下で死んでた女の人も、燃えて性別が分からなくなった人だって俺には同じ“国”の民です!」


ドラガスは一歩前に出る。


「身の程を弁えろ。貴様のような家名も持たぬ小僧が、“正義”など語るな」


「家名なんてなくても……人を守りたいと思う心に、身分は関係ありません!」


一瞬、沈黙が流れた。

隊舎の奥で見ていた何人かの兵士が、思わず息を飲む。


やがて、ドラガスは静かに言い放つ。


「命令違反。軍規第十一条に基づき、貴様を本日付で除隊とする」


その言葉に、ノアは一切動じなかった。


「望むところです」


それだけ言って、ノアは敬礼すらせずに踵を返した。

その背に、ドラガスの声が重く響く。


「平民が正義を語るなど、勘違いも甚だしい。貴様に守れるものなど、何もない」


「それでも、俺はもう見捨てない」


ノアは振り返らなかった。

ただ、背筋を伸ばし、夜の星空の下へと歩いていった。


その返事に、迷いはなかった。

ノアはもはや、“軍”という組織に期待していなかった。


その夜、訓練所での日々を思い出した。

仲間たちと語った、「正義」の話を。


『正しいことって、なんだろうな』

『……人を見捨てないことじゃねぇの?』

『俺は、あのとき誰かが助けてくれるって信じてた。でも、誰も来なかった。だから』


星を見上げ、ノアは呟いた。


「だから俺が、誰かを助ける。今度こそ――」


彼の歩みは、王国の自由都市エルマグナへと向かっていた。

そこには、命令ではなく、己の信念で動く者たち――ギルドがあった。

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転生したら宇宙怪獣でしたが、惑星の破壊判断が仕事です @nega0119

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