サラリーマンと月夜の蛍

クロノヒョウ

第1話




 月が輝きだした頃、静かな小川にたくさんの蛍が集まっていた。

「やあ、今夜も月が綺麗だね」

 月に負けじと体を光らせながら一匹のオスがメスの蛍に近づいた。

「ねえ、もしかして、それって口説き文句のつもり?」

 メスはあきれるようにしてため息をついた。

「やっぱり君は聡明だ。このセリフの意味を知っているとはね」

 嬉しそうに体を光らせるオスに対してメスは少し冷めた様子で答えた。

「私、まわりくどい男は嫌いよ。それにしつこい男も嫌い」

「そんなっ、きのうもおとといも、僕はちゃんと君を愛してるって言ったのに君が返事をくれないから、だからちょっと思考を変えてみただけじゃないか」

 オスは慌てるように羽を動かしながらメスのまわりを飛び回った。

「ふふ」

「もしかして、おととい君に求愛してきたあのデカいオスが気になってる?」

 メスのすぐ目の前で止まったオス。

「さあ、どうかしら。あ、ねえ、見て。またあのサラリーマン来てるわ」

「え?」

 二匹は小川のまわりへと目を向けた。

 普段は誰もいないのに、この時期は蛍を見るためにと人だかりができるのだ。

「本当だ」

 スーツを着てビジネスバッグを持っている男はカップルだらけの観衆の中でひときわ目立っていた。

「もう三日連続よ。なんだか気になるわ」

「何が気になるのさ。仕事の帰り道なだけだろう? もしくはよほど蛍が好きなのか」

「だからって三日連続で人がいなくなっても夜おそくまでああやって立ったままずっとこっちを見てるのも変よ」

「そうかな。あ、ほら、写真も撮ってる。やっぱりただの蛍好きのおじさんだよ」

「そうかもしれないけど」

「それよりもさ、そろそろ返事を聞かせてよ。僕は君を愛してる。僕と一緒になろう」

 オスはさらに体を光らせながらメスを見つめた。

「わかったわ。あなたと一緒にいる」

「本当に!?」

「ええ。この月を、ずっとあなたと一緒に見たいわ」

「やったぁ! 僕たちはずっと一緒だ! 明日も明後日も、ずっと一緒にこの月を見よう!」

 オスの蛍は嬉しさのあまり、メスのまわりを蛇行しながら何度も何度も飛び回っていた。




 (やっぱり蛍は綺麗だよな)

 道路沿いに流れる小さな川。

 普段は人が歩くことはなく車しか通らない場所なのだが、草木が生い茂った一画だけはこの時期になると人が集まっていた。

 (こんな都会の真ん中に蛍がいるなんてな)

 スーツを着た男はもう三日連続でここに来てはこの光景を眺めていた。

 ――ここを埋め立てて歩道をつくる。

 そんな案を会社が出したものだからと男は何度かこの場所を訪れていた。

 確かにここに歩道ができれば閑散とした近辺のスーパーや飲食店などの施設はもっとにぎわうだろう。

 調査を終えて報告書をまとめようと思っていた時、男はネットでこの場所の口コミを目にしたのだ。

 半信半疑で夜に訪れてみれば、なんとも美しい幻想的な光景。

 男は初めて見る蛍の光に魅入っていた。

 本当にこんな場所を埋め立ててしまっていいものなのか。

 蛍を守るか、それとも上司の案に同意して埋め立てを後押しするか。

 男は悩んでいた。

 そして三日目のこの日、男はとにかくこの美しい光景を写真におさめようと思っていた。

 綺麗な写真が撮れたらSNSで拡散しよう。

 もっともっとこの場所が有名になれば、上司も諦めてくれるのではないか。

 男は蛍にスマホを向けて何度もシャッターをきった。


「ただいま」

「お帰りなさい」

「パパおかえりっ」

 この日は早めに家に帰って愛する妻と三歳になる息子と夕食を食べ、風呂に入った。

 息子を寝かせてから男はリビングでさっき撮った蛍の写真を見てみた。

 蛍をうまく撮るのは難しいのか、納得できる写真がなかった。

「おっ」

 だが男の指は一枚の写真で止まっていた。

「何見てるの?」

 その様子をみていた妻が男の隣に腰をおろしてスマホを覗き込んだ。

「見て、これ」

 男は妻にその写真を見せた。

「わあっ! ハート?」

「うん、ハートだ」

 男は思い出していた。

 さっきすごい勢いで蛇行しながら飛び回っていた蛍のことを。

「かわいい、綺麗ね」

 その飛び回る蛍の光が残像を残し、写真に綺麗なハート型となって写っていたのだ。

「ああ、綺麗だったよ。そうだ、週末、三人で見に行くか」

「週末じゃ、もう蛍はいなくなってるんじゃない?」

「そうか、もう見れないのか」

 妻の言うとおり、蛍の寿命は短い。

「ねえ、だったら来年行きましょうよ」

「来年?」

「うん。来年、四人で」

 妻はそう言うと自分のお腹をなでていた。

「まさかっ」

「ふふ」

 男は嬉しさのあまり妻を抱きしめていた。

「あはっ、そうだな。来年、四人で蛍を見にいこう!」

「ええ」

 男は腹をくくっていた。

 妻と息子とまだ見ぬお腹の子と、来年必ずあの場所で蛍を見よう。

 そのために必ず蛍を守ってみせると。



           完




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