第二章 : 異変 3

目を開けると、そこはもう公園ではなかった。

「どこだ…ここは?」

一樹は目の前に広がる光景に言葉を失った。彼らが立っていたのは、小高い丘の上だった。眼下には、中世ヨーロッパの童話から抜け出したかのような街並みが広がっている。石造りの建物、石畳の道、そして何より驚いたのは、空中をゆっくりと浮かぶ巨大な水晶のような建造物の存在だった。

トーマスは興奮のあまり言葉を失っていた。彼は何度も目をこすり、現実かどうかを確かめるように周囲を見回した。

「信じられない…これは…別の世界だ…」

彼の言葉を裏付けるように、空には二つの月が浮かんでいた。一つは地球の月によく似ていたが、もう一つは小さく、淡い青色に輝いていた。

「杖は?」

一樹は慌てて自分の手を確認した。魔法の杖はまだしっかりと握られていたが、その光は以前より穏やかになっていた。

「うわっ!」トーマスが突然叫んだ。

振り返ると、彼らの背後には先ほどまで通ってきた次元の裂け目が、徐々に小さくなっていくのが見えた。

「戻れなくなる!」一樹は本能的に裂け目に向かって駆け出した。しかし遅かった。裂け目は光の粒子となって消え、彼らの帰り道は閉ざされてしまった。

「どうしよう…」一樹は膝から崩れ落ちそうになった。「俺たち、帰れなくなっちゃったよ…」

しかし、トーマスの表情は恐怖よりも好奇心で満ちていた。

「まあ、冷静になろうよ。もし来れるなら、帰る方法もあるはずだ。それより、一樹、分かってるか?俺たち、歴史的な瞬間に立ち会ってるんだぞ!異世界への第一歩を踏み出した人間になったんだ!」

その熱狂的な様子に、一樹は半ば呆れながらも、少し心を落ち着かせることができた。確かに、恐れているだけでは何も解決しない。

「とりあえず、あの街に行ってみようか」一樹は町の方向を指さした。「何か手がかりがあるかもしれないし」

二人は丘を下り始めた。草の匂いは地球と似ていたが、どこか甘い香りが混じっていた。道端に咲く花々も見たことのない形や色をしており、この世界が地球とは全く異なることを実感させた。

「待って」トーマスが突然立ち止まった。「その杖、隠した方がいいんじゃないか?あんな強力な魔法の杖だぞ。変な奴に狙われたら危ないかもしれない」

一樹は頷き、杖を再び縮小させようとした。しかし、杖は反応せず、元のサイズのままだった。

「変だな…昨日は勝手に小さくなったのに」

「たぶん、この世界では魔力が豊富だから、自然なサイズを保てるんじゃないか」トーマスは推測した。「まあ、服の中に隠すしかないな」

一樹は長い杖を自分のシャツの下に隠そうとしたが、明らかに不自然だった。二人が困っていると、突然の声が背後から聞こえた。

「そこの二人、動くな!」

振り返ると、銀色の鎧を身につけた数人の兵士が、彼らに向かって走ってくるのが見えた。兵士たちの手には輝く光の剣が握られていた。

「逃げるぞ!」

一樹は咄嗟にトーマスの手を引いて駆け出した。しかし、彼らが数メートル走ったところで、前方にも兵士が現れた。二人は完全に包囲されてしまった。

「観光客じゃないよな?」リーダーらしき兵士が一歩前に出て言った。「あの次元の歪みは何だ?お前たちが起こしたのか?」

一樹とトーマスは言葉に詰まった。何と説明すれば良いのか見当もつかなかった。

「すみません、私たちは…」

一樹が言葉を探していると、突然、兵士たちの後方から別の声が聞こえた。

「待ちなさい!彼らに手を出さないで!」

声の主は、銀色の髪を持つ美しい少女だった。彼女は兵士たちを押しのけるように前に出て、一樹とトーマスを見つめた。

その瞬間、一樹の手の中の杖が強く脈動し、青い光を放った。少女の目が見開かれ、彼女は驚きの表情で杖を指さした。

「あなたがその持ち主…?」

少女は一樹の顔をじっと見つめ、そして深く息を吸って言った。

「彼らは私の客人です。連れていきなさい」

兵士たちは躊躇いながらも、武器を下げた。少女は一樹とトーマスに近づき、小声で言った。

「私についてきて。すぐに。質問は後でするわ」

彼女の眼差しには緊迫感があり、二人は言われるままに彼女の後を付いていった。兵士たちは不審げな表情を浮かべながらも、彼らを通した。

少女は彼らを街の外れにある小さな館へと案内した。扉を閉めると、彼女は厳しい表情で二人を見つめた。

「あなたたち、どこから来たの?そして、なぜその杖を持っているの?」

一樹は困惑した様子で杖を見つめた。「僕たちは…地球から来たんです。この杖は空から落ちてきて、気づいたら…」

少女は彼の言葉を遮った。「地球?聞いたことのない名前ね」

彼女は一樹の持つ杖を注意深く観察し、ため息をついた。

「信じられないわ…伝説の『調和の杖』を、よりによって異世界の者が…」

少女は窓の外を見て、何かを確認するように周囲を見回した後、再び二人に向き直った。

「私の名前はリリア。リリア・クリスタル。あなたたちの名前は?」

「佐藤一樹です」

「クラーク・トーマスだ」

リリアは頷き、そして真剣な表情で言った。

「よく聞きなさい。あなたたちは今、とても危険な立場にいるわ。その杖を持っているだけで、多くの者に命を狙われることになる」

彼女の言葉に、一樹とトーマスの顔から血の気が引いた。

「ここはエルディア、魔法世界。あなたたちの言う『地球』とは次元を隔てた世界のはず。そして、その杖は…」

リリアは言葉を選ぶように一瞬黙り、そして続けた。

「…300年前の大魔法戦争で失われた『調和の杖』。伝説によれば、世界の調和を守るために作られた強力な魔具。それを持つ者は、世界の運命を変える力を持つとされているわ」

トーマスは息を呑み、一樹は信じられない思いで杖を見つめた。リリアは窓際に移動し、外の様子をうかがいながら言った。

「魔法評議会があなたたちの存在に気づくのも時間の問題。その前に、ガレン・ワイズのところへ連れていかなくては」

「ガレン・ワイズ?」一樹は聞き返した。

「かつての魔法評議会の賢者。今は隠居しているけど、その杖について一番詳しい人物よ」リリアは答えた。「明日の夜明けに出発するわ。それまでここで休みなさい」

リリアは奥の部屋から毛布と枕を持ってきて、二人に渡した。

「質問があるのは分かるけど、今は休んで。明日は長い旅になるから」

彼女は別室へと去っていった。一樹とトーマスは、与えられた毛布の上に座り込み、お互いの顔を見つめた。

「信じられないな…」一樹はつぶやいた。

「ああ」トーマスは興奮を抑えられない様子で答えた。「でも、これが俺たちの冒険の始まりなんだ。この世界、エルディアか…」

一樹は杖を見つめ、リリアの言葉を思い出した。世界の運命を変える力…。彼は本当にそんな重大な役割を担えるのだろうか。

窓の外では、二つの月が静かに輝いていた。そして、そのはるか遠くで、何かが彼らを見つめているように感じられた。

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三日月の影 @kaido_shigure

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