「っていうか、犬ってしゃべれるんだ」

月野志麻

「っていうか、犬ってしゃべれるんだ」

 西日が差す、夕暮れの図書館。

 あと十分ほどで閉館という館内アナウンスに押され外に出ると、犬がいた。

 柴犬か、秋田犬か、どちらかは分からないけれど、日本らしい焼きたてのパンのような色をした犬だ。

 犬はエントランス前に貼られた張り紙をじっくりと見ると、小さく爪の音を鳴らしながら館内へ入ろうとする。


「あ、もう、閉館ですよ」


 思わず、そう声をかけた。犬の足が止まる。犬は、僕のほうを振り向いて、


「え、そうなんですか」


と、驚いたように目を丸くさせた。


「はい。17時で閉館なので。もうあと、10分もないです」

「それじゃあ、本を探すのは難しいですね」


 また爪を鳴らしながら、引き返してくる。


「時計はまだ、読めないものですから」

「そうなんですね」


 照れたように笑う犬に相槌を打つ。


「なんの本を探しに来たんですか?」

「愛について、書かれている本を」


 反芻するように「愛」と僕も繰り返した。

 犬は夕日に目を細める。しばらく黙ったかと思うと、犬は不意に僕を見上げた。


「あなたなら、大切な人に愛をどうやって伝えますか?」

「ええ? 急ですね」

「お願いします、あまり時間がないもので」


 ううん、と僕は腕を組んで、思案する。


「愛してる、とか?」


 犬は、鼻に皺を寄せて僕に鋭い犬歯を見せた。


「うわっ、怖い顔しないでくださいよ」

「本当に、そんな風に伝えますか?」


 もっとリアリティのある言葉をください、と犬は言った。

 しゃべる犬にリアリティを求められていることに、思わず苦笑いが漏れる。

 僕はもう一度、「ううん」と唸って、頭の中にある言葉の引き出しをひっくり返した。

 そうしていたら、急に母さんの顔が浮かんだ。電話で話すたびに、会うたび、別れ際に言われる言葉が頭の中で響く。


「……『ご飯、ちゃんと食べるのよ』かなぁ……」


 そう言えば、犬はハッとしたように目を輝かせて、それから「なるほど!」と大きな声を上げると、「ありがとうございます!」と深く頭を下げてくる。


「え、こんなんでいいの?」

「ええ。私が伝えたい愛は、その言葉に全て詰まっています。良い言葉を知りました」


 犬は、もう一度僕にお礼を言って、それから何度も何度も僕を振り返っては頭を下げながら、帰って行った。


 その焼きたてのパンのような背中を見送る。赤い首輪の金具が、西日に照らされてキラキラと輝いていた。


 そして、「あ」と気付く。

 そういえば今日は、母の日だ。


「犬も、愛を伝える時代だもんなぁ」


 たまには僕から、母さんに愛を伝えてもいいかもしれない。

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「っていうか、犬ってしゃべれるんだ」 月野志麻 @koyoi1230

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