第30話

 翌日からは、部活以外の時間も気が抜けなくなった。どこに、どんなミルイがいるか分からない。鞄と自分の机に類本を忍ばせ、参照レファレンスに使う本は常に携帯。

「……参照せよrefer to。」

 教室前の廊下で、私は『単位のずかん』のページに指を滑らせながら小声で唱える。轟君が怪我をしてから今日で三日。既に図書室の外で参照レファレンスを六回、類本を十回使った。気にしてはいられないが、やはり「変な奴」という目線は感じる。

 轟君と狗上さんが転落した話も広まっていた。狗上さんは今日から登校したが、すっかり前と雰囲気が変わっていた。生気のない顔で「私のせい、私のせい……」と一日中呟いている。時々思い出したように私を罵り、先生が無理矢理、保健室に連れて行く、の繰り返し。「狗上さんがおかしくなったのは春野のせい」と陰で言われ、私への嫌がらせも相変わらず。 

 一方部活では、部員が校内で見つけ、「000」で封じたミルイを無力化する作業に追われている。

「これ、汰端さんから預かった類本だよーぅ。二人、ちょっと対処してくれるかなーぁ?」

「分かりました。春野さん、行きましょう。」

「はい。」

 地下にはいつも通りミルイがいるけど、そっちまで手が回らない。ここ数日は校内で見つけたミルイを、地下一階で無力化し、その間に霧品先生が一人で地下二階のミルイと戦っている。

「―お疲れ様でした。仕上げは僕がやっておきます。」

「手伝いますよ。」

「いえ。春野さんには……、ミルイ対処に注力して欲しいので。」

「―分かりました。」

 私が答えると、先輩は一人上に上がって行く。このところ、鴻先輩は私に戦闘を任せ、自分は類本の仕上げや修理をやっている。私の測量の力はどのミルイにも効くから、出来るだけ戦闘に回って欲しいらしい。戦略としては正しいと思う。でも……

「しんどい、な。」

 私は地下の安全な部屋で独り、呟く。疲れているのではない。この図書部にいるのが辛いのだ。転落事件の後も、鴻先輩は私と必要最低限しか話さない。嫌悪されている、という感じはないけど、私と話すのを避けている。

「どうすれば、良かったのかな。」

 拒絶されて泣いて、初めて恋心に気付くと同時に、実らない事も悟った。それでも、助けてもらった感謝だけは伝えないと気が済まなかった。けど、そこから先輩はますますよそよそしくなった気がする。

「私、ここにも居場所無いんだ。」

 もう、泣く気力も無かった。

 

「げんげ。無理して登校しなくてもいいんじゃない?」

 転落事件から一週間、よっちゃんが深刻な顔で私に言った。

「駄目。お化けはまだいるし、何なら増えるかもしれないから。」

「でも、クラスは危ないよ。この間は画鋲が机に入ってたじゃん。その前はノート切られてたし。」

「いやー、古典的だよね!ホントにあるんだって思ったよ。」

「笑い事じゃない!」

 よっちゃんが頬を膨らますが、私は正直、類本や参照レファレンス用の本が被害に遭わなくてほっとしてた。辛くても、ミルイと戦うのをやめるわけにはいかない。

「保健室は狗上が来ちゃうから……あ、図書室は?あそこなら勉強できるしエアコン完備!」

「でも……」

「お化けと戦うなら、まず自分の安全確保しな。」

 そう説得され、私はその日から図書室登校を始める事になった。六月下旬、強い雨が窓を叩く音を聞きながら、私は一人、宿題をやったり本の修理をしたりした。

「図書室でご飯っていうのも新鮮だわー。」

 お昼休みにはよっちゃんが来てくれた。

「げんげ、お化け退治は分かるけど、クラスの近くを歩くのは止めな。」

「気味悪がられるから?」

「手を出すバカがいるの。今日だって後ろから水かけようとしてたんだよ?」

「気づかなかった。」

「気を付けて。お化けより人間の方が、よっぽど怖いんだからね?」

 分かったよ、と私は頷いた。


「……春野さん?」

「あ。鴻先輩、おはようございます。」

 放課後。鴻先輩は私の顔を見て少し驚いたようだった。

「早いですね。」

「はい。今日から、図書室登校を始めまして。」

「え。」

「例の本破り事件と、轟君転落事件で、クラスに居場所無くって。あ、先生には許可を頂いています。」

 私は事務連絡のように言った。先輩は「そう、ですか。」と短く言って頷くと、修理室に入って行く。私も部活に行こうと、宿題を片付けていたら、鴻先輩が再び出て来た。

「少し、お時間良いですか。」

「何です?」

 私が訊き返すが、鴻先輩はなかなか唇を切らない。先輩にしては珍しいな、と思っていたら

「……すみません。」

 先輩が急に深々と頭を下げた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る