第18話
「最近気付いたんです。本や紙が散乱して、バサって音がすると、手が震えて、息が苦しくて。多分……初めて遭ったミルイのせいかなって。」
「ここに迷い込んだ時に遭った個体ですか。」
「はい。あの時、最初ミルイは私に気づいてなかったんです。でも……手に持ってた本の、中身だけ落ちて。」
「それで、見つかったのですね。」
私は頷きながら、また震えて来た手を握りしめる。すると、鴻先輩の手が上に重なった。
「……怖かったですよね。」
「……っ!」
鴻先輩の静かな声に、止まった涙がまた溢れ、嗚咽する。
「あ、あの、ミルイの、眼が、こっちに、来る音が、耳でずっと―」
「ゆっくり、ゆっくりです。息を吸って、吐いて。」
また呼吸が速くなった私の背中を先輩がさすってくれる。深呼吸を繰り返して、やっと話せるようになった。
「戦ってる時は必死過ぎて感じないんです。でも、授業中は―」
「良くないですね。」
「はい。だから何とか恐怖を消し」
「ダメです。」
「え?」
私が驚いて顔を上げたら、先輩は怒った顔をしていた。
「何も怖がらない人は、自分や周りの危険を顧みなくなります。だから、怖がって下さい。」
「で、でも。怖がってばかりいたら戦えないです。」
「はい。ですから、正しく怖がりましょう。」
正しく?
「僕も一年の頃は、クラスメイトの借りた本がミルイになるのではないかと毎日怖くて仕方がありませんでした。」
「ええ!先輩が!?」
「驚くことですか?」
先輩のちょっと不服そうな声。「……その時に相談した先輩が、僕にこんな問題を出したんです。」
鴻先輩がそう言って、ルーズリーフを取り出す。
「一分で幽霊とミルイの違いを出来るだけ書いて下さい。」
「一分!?」
何だろ?普通の人には見えない!はどっちもか。人より凄い力持ってたりする!……両方だなあ。結局、幽霊は白くてミルイは黒い、しか書けなかった。
「ではヒントです。もしミルイが幽霊と同じなら、僕は施錠をうるさく言いません。」
「……あ!ミルイは、床や棚をすり抜けられない!」
私が言うと、先輩が頷いてミルイの絵の下に「すり抜け出来ない」と書いた。
「もう一つ。旧校舎時代に、ミルイに襲われる事件が多発したのを知ってますか。」
「はい。先生に聞きました。」
「最初にミルイの被害者が出たのは?」
「今の地下二階です。昔は図書室で、全てのミルイの発生源だと。」
「それです。」
「え?」
「ミルイの発生源は、地下二階にある損傷した本です。クラスメイトがここにある本を借りる事は出来ません。ですから、生徒が持っている本から、ミルイは絶対現れない。僕の不安は、杞憂だったわけです。」
「あ、そっか!」
私はルーズリーフの下に「生徒の本からは出ない」と書き加えた。じゃあ、ミルイは地下から出る事も、地上で発生もしないんだ。ということは、
「……私のトラウマも杞憂なんだ。」
ノートを落とした時に耳で反響する、ミルイの足音。でも、実際には来る心配は無い。
「知っていると、トラウマが消えはしなくても、少し楽になるかと。」
「はい。ありがとうございます。……私、何にも知らなかったんですね。」
自分で自分がおかしくなった。敵の正体も知らないまま戦ってちゃ、怖いに決まってるよね。
「『幽霊もミルイも、分からないから怖い。』とその先輩は言いました。正体が掴めないから、対処が分からず、怖くなります。なら、探ればいい。今だって安全地帯が分かりましたよね。」
先輩がルーズリーフを指さした。
「敵の輪郭が少しでもはっきりすれば、闇雲に怖がる必要がなくなりますし、逆にどう危ないかも分かります。」
「危険度?」
「ここは元図書館ですから、目録があります。ミルイの元は本ですから、どんな本があるか見れば、ミルイの傾向が掴めます。」
「4類が多めだったら、毒クモが出て来るかも、とか?」
「はい。……本当にクモが苦手なのですね。」
「あ!?先輩今笑いました!?」
「笑ってません。とにかく。敵の正体を少しでも知ったうえで、怖がる。これが正しい怖がり方の一つ目です。もう一つが」
「何ですか?」
「怖い、と口に出す事です。」
「……それだけ、ですか?」
「さっき春野さんは出来ていませんでした。」
う。確かに我慢しようとしました。
「怖いと言えば、必ず誰か助けてくれます。部活の仲間をもっと頼って下さい。」
いっつも無表情の先輩が、ほんの少し笑っていた。にっこり、とは言えないほど硬い笑顔だけど、なぜか私は見とれていた。
「……どうしました?」
「へ、あ、いえ何も!」
我に返ったら、急に体温が上がって来た。
「あ、あの!お手洗いに!」
「どうぞ。」
私はバタバタとトイレに走った。なかなかほてりは取れなかった。
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