ぼっちとぼっち ~社不2人の高校生活~

Unknown

【本編】20894文字

 ※この小説には未成年の飲酒描写が含まれています。未成年の飲酒は「未成年者飲酒法」 という法律により、禁止されています。


 ◆


 ノートパソコンで匿名ネット掲示板の面白いスレッドに書き込みをしながらネット民と話しつつ、イヤホンをして暗いロックバンドの曲を聴いていた俺は、既に遮光カーテンの隙間から朝の光が差し込んできていることに気付き、絶望した。

 新しい朝が来てしまった。絶望の朝だ。

 俺はイヤホンを外し、俯く。もう鳥たちの声がする。


「うわー最低だ……。もう朝かよ……。今日は何曜だっけ。あ、水曜か。高校に行くふりしてネカフェで夕方までマンガ読むのも有りだな……。うわーどうしよ……。なんとか熱があるふりして誤魔化して休むしかねえか……。あーでも、今日は体育がある。体育がある日は休みまくってるから、体育の単位は落としたくねえ……。うわーどうしよう」


 俺は2階の8畳の自室でボソボソと独り言を言いながら、今日の計画に悩み、軽く頭をかいた。

 現在、2025年の5月7日の水曜日。

 俺、佐藤優雅は群馬県立A高校の普通科に通う2年A組の男子生徒だ。ずっと硬式野球部に所属していたが、2年生に進級し、新入生が入ってきた直後の4月の上旬に野球部を退部。その後は帰宅部エース及び不登校へと華麗な転身を遂げていた。

 元々野球部にしか友達のいなかった俺は、帰宅部になってからは教室に友達が1人もいなくなった。2年A組は男子19名・女子20名の計39名だが、この男子の中に野球部は1人もおらず、加えて元々内向的な性格の俺は、何故か自然と『一匹狼的』なキャラ付けをされてしまい、教室に居ても誰も話しかけてくれる奴がいない。

 本当はただ根暗なだけなのに、野球部という属性のせいで一匹狼キャラが勝手に定着していた。

 俺はいわゆる『ぼっち』というやつだ。休み時間はいつも自分の席に座って森見登美彦や貴志祐介の小説を読んでいる。

 ──ちなみにこの高校は田舎なので普通科が1クラスしかない。故にクラス替えという概念が存在せず、3年間ずっと教室の顔触れは変わらない。

 体育は、普通科の2年A組は男女混合でいつも体育館で各々が好きな球技に取り組むという遊びのような授業なのだが、準備運動のストレッチでペアを組まされる際、男子が19人で奇数なので、友達のいない俺は必然的に1人だけ余って体育教師とペアを組む羽目になる。

 最初の内は体育教師にバレないように1人ぼっちでストレッチをしていたが、ある日、1人でストレッチをしている俺を見かけた先生は体育館どころか関東地方全域に響き渡るかのような無駄にデカい大声で、


「おい佐藤!!!!! お前、たった1人で余ってんのか~!!!!! じゃあ先生とペア組むか~!?!?!?」


 と言ってきて、余計にクラス中に醜態を晒す羽目になった。あの時は恥ずかしすぎて顔が熱くなった。

 それに、各々が好きな競技を選んで自由に遊ぶという個の自主性を重んじる授業の性質上、クラスに1人も友達のいない俺にとって体育は拷問に等しい授業だ。それに、体育の授業では1人で出来るスポーツが無い。バドミントンやバスケやバレーや卓球など、どれもが『複数人を前提』としている。

 だから友達のいない俺は、既に完成されているどこかのグループに渋々「ごめん、俺を入れてもらってもいいかな……?」と申し訳なさそうに声を掛ける必要がある。クラスの中での明るい側のグループはバスケやバレーをいつもしている。俺はそこには全く入らず、地味な奴や根暗の集う卓球かバドミントンにいつも参加していた。

 だが、彼らは彼らなりの仲の良いグループを形成しているため、そこに俺が「入ってもいいかな……?」と言ってしまうと、その度に彼らの顔は一瞬曇る。でも彼らは優しいから俺をいつも入れてくれる。それが申し訳ない。

 俺はクラスに溶け込めない厄介者である。

 体育の時間が苦痛で仕方ない。

 だから体育の授業がある日は極力休んでいる。体育があるのは水曜日と金曜日だ。そして今日は水曜日……。高校に行きたくない……。

 ちなみに最近では、体育の授業冒頭のストレッチでペアを組まされる際、自分から先生に歩み寄って、「先生! 余りそうなので俺と組んでもらっていいですか?」と明るめに声を掛けている。その方が群衆に目立たずに穏便に済むからだ。俺から声を掛けると先生は笑顔で「おお! 佐藤お前、俺のことが好きなのか!? 俺もお前の事が好きだ!」と言うので、少し気持ち悪い。


 ◆


 朝の光が部屋に差し込んできた5月7日水曜日の朝5時頃、20分くらい熟考した結果、俺の意志は固まった。

 今日はこのまま一睡もせずに登校する。ただし、シラフでは登校しない。酒に酔った状態で朝の電車に乗る。更に今日は昼休みが終わってすぐの5時間目に体育があるから、この体育の辛さを乗り切るために昼休みは水筒に入れた缶チューハイを飲む。

 深夜3時か4時頃のコンビニにサングラスとリアルな付け髭を装備していけば、酒を買う際に年齢確認をされる事はまず無い。夜勤の店員もその時間帯は割と適当だから、16才の俺でも問題なく酒が買える。

 俺の部屋には小型冷蔵庫があり、その中身の全てはストロング系の度数9%の缶チューハイである。まだ家族には中身を見られたことは無い。「俺の部屋には入らないでくれ」と家族全員にしっかり伝えてあるからだ。

 俺は高校が嫌いすぎて、時々お酒を飲んで酔った状態で電車に乗って登校したり、お酒を休み時間に飲んで授業を受けていたりする。なので当然、クラスの中でも成績は最下位だ。だって酔っ払っていてまともに授業を聞いてないし、板書も全く取らないからだ。俺はいつも教科書を広げて立ててバリアして漫画か小説をこっそり読んでいる。

 成績は軒並みウンコだが何故か現代文だけは授業を聞いていなくてもクラス上位の点数が取れた。

 俺は今16才なので、もちろんお酒を法律上飲んではいけない事くらいわかっている。でも、今のところ周囲にバレた事は1度も無い。幸い、俺は酒に酔っても顔が赤くならないタイプだし、1年中マスクを二重に装着している。これで酒臭い口の匂いをガードしている。

 現代は、どこにも居場所のない10代の若者が東京の新宿・歌舞伎町とかに集まって徒党を組んで「トー横キッズ」とか呼ばれているが、俺は群馬県在住であるため、トー横キッズにはなれないし、そもそも東京は危険がいっぱいでめっちゃ怖い。俺はあんなバカな連中とは一味違うバカなのだ。

 俺は酒以外にも、ドラッグストアの市販薬のODなどをして高校に行く日もあるが、基本的には酒で頭をハッピーにするのがメインだ。酒の方が薬よりも経済的に安く済むから。

 俺は今、大体週5のうち週3か週2か週1くらい登校するが、その際は必ずマイ水筒に酒を入れて持っていく。

 俺の青春は缶チューハイと共にあるのだ。

 気分によっては、2週間くらい全く高校に行かない事もあるが、それは結構なレアケースだ。

 俺が野球部を辞めて帰宅部になってから高校にあまり行かずに自堕落になった理由……。それは単純に登校するのが面倒なのと、自分の人生が全てどうでもよくなってしまったのが理由だ。あと、ネットの世界が楽しすぎるのも不登校の理由だし、最近は漠然と「将来はニートになりたい」と割と真剣に思い始めていて、それも俺の不登校に拍車を掛けていた。

 ──俺は、ちゃんとしたゴミ人間なのである。

 ちなみに俺はSNSはLINEしかやっていない上に、高校の連中のLINEは1人も知らない。クラス全体のLINEグループに1年生の春の時に勧誘されたが、俺は拒絶してクラスのLINEグループに入らなかった。SNSで高校の連中と繋がりを持つことがどうしても気持ち悪く感じてしまう。野球部全体のLINEグループは退部と同時に抜けたし、野球部時代の数少ない友人も全員ブロックしてしまったので、今の俺は家族とネット上の知り合いしかLINEの友達リストには居ない。

 更に、Xでも俺は同じ高校の連中と一切繋がりが無い。専らXはエロ垢をフォローする為だけに使っており、インスタグラムに関してはインストールすらしていない。

 きっと今のSNS全盛時代の今、俺は異質な価値観を持つ高校生だと思う。

 教室で毎日同じ奴らの顔を見るのすらウザくて苦痛なのに、更にSNSという名の鎖で常に縛られるのは真っ平御免だ。

 ちなみに、俺が高校をサボりがちになってから、よく仕事帰りの父親から長時間説教されるようになった。母も小言をよく言う。

 俺は表面上、申し訳なさそうなフリはするが、(留年さえしなければ幾ら休んでもいいだろうが……)と内心思っている。


 ◆


 俺は朝シャン派なので、いつも朝にシャワーを浴びる。そして母親が作ってくれた朝食を取り、歯を磨き、2階の自室に戻って嫌々ながらハンガーに掛けてある制服を着て、マイ水筒に500mlの度数9パーセントの酒を流し込んで、登校の準備は完了する。ちなみに水筒は1リットルサイズだから、500mlの酒が2本入る。

 俺は真っ黒のリュックを使っている。その中に水筒や母が作ってくれた弁当や漫画や小説を詰め込んで、電車に乗って10分程度で高校付近に辿り着く。

 この日、俺は眠気で怠い体と心を駆動させて、なんとか朝の最寄り駅に辿り着き、いつもの時間の電車に乗った。


 ◆


 電車から降りた俺は朝のホームルームが始まるギリギリの時間に校門に辿り着き、3階の西棟にある2階の2年A組の教室を目指した。

 教室に入る前から、学校中の騒音とノイズが超やかましくて、自分の耳にイヤホンを突っ込んで爆音でロックを聴きたくなる。廊下から聞こえる男女の笑い声。誰かが走る上履きの音。いつも通りの気怠さと眠気と、いつも通りの喧騒。正直、毎日うんざりで仕方ない。

 こいつらは毎日毎日チンパンジーのように騒がなければ仕方がないのか? いや、そんなこと言ったらチンパンジーに失礼だな。昔、動物園でチンパンジーのショーを見た事があるが、この高校のどの生徒よりも賢かったぞ。行儀も良かったし。

 こいつらは病院の待合室みたいに静かに出来ないのか?

 ていうか毎日毎日顔を合わせてるくせに、よく会話のネタが尽きないよな。お前ら全員。

 ──教室に入る前から、俺の心の中の悪口大会が止まらない。

 俺は根本的に高校という組織が大嫌いだ。

 というか人間が嫌いだ。

 全員くたばれ。男も女も。この腐った俺も……。

 そんな事を想いながら、俺は2年A組の教室のスライドドアを開いた。すると、耳を塞ぎたくなるほどの笑い声の嵐が俺の心を荒ませた。

 ギャーギャーうるせえんだよ。黙っとけ!

 と思いながら、俺は一番後ろの一番左の自分の席に無表情で着席する。

 この瞬間、俺は背景と一体化して、教室の備品のような存在になる。

〈黒板消しを吸うアレ〉よりも教室で存在感が薄い男であるという自信がある。

 俺はこの教室の誰からも「おはよう」と言われないし、1日中クラスの誰とも会話せずに帰宅する事の方が圧倒的に多い。

 つまり俺はこの教室の誰からも必要とされていない。

 でも、俺もお前らクラスメイトの存在を全く必要としていないのだから、お相子だ。トントンだ。

 早速、俺は黒いリュックから水筒を取り出し、水筒のコップに酒を注いで、窓の向こうの青空を眺めながら一杯飲んだ。くぅー、やっぱり教室で飲む酒は旨いねぇ大将。

 心は居酒屋の気分だ。

 5口目、6口目あたりから、徐々に酔いが回り始めて、10口目からは普通に酔っ払った。酒の匂いを消すために、俺は水筒をしまって、すぐマスクを二重に装着した。

 いや~、1人で酒に酔って非常に良い気分だ。今はこの嵐の如き喧騒が全く気にならない。おいみんな~、たった1度しかない高校生活と青春をエンジョイしろよ~?

 と思っていたら、朝のホームルーム開始を告げるチャイムが鳴り、みんなが席に着き始めた。

 直後、担任の岡本先生が赤いジャージ姿で教室に入ってきて、教壇に立った。実はこの岡本先生こそが、体育の時、授業冒頭のストレッチで余った俺といつもペアを組んでくれる先生だ。悪い人ではないのだが、特に好きというわけでもない。岡本先生の年齢はたしか28歳とかだった気がする。

 やがて、週番の男子生徒が「起立、礼」と言って、みんなが「おはようございます」と声を揃えた。俺は声を出さなかったが。

 みんなが席に着いたと同時に、担任は出欠簿とペンを片手に、出欠を取り始めた。


「──よし、じゃあ出欠取るぞ~。浅井」

「はい」

「井上」

「はい」

「上田」

「はい」


 ~中略~


「佐藤」

「はい」

「おい佐藤? 佐藤優雅、いるか~?」

「はい」

「よし、今日はちゃんと出席してくれたな。ていうか佐藤、お前は元野球部なんだから腹から声出せ腹から~! ちゃんと朝メシ食ってんのか~?」

「はい」

「そうか。食ってんのか。ならいいや」


 ちなみに佐藤とは俺の苗字だ。俺は普通に返事をしているつもりなのに、岡本先生まで届かない事がたまにある。

 岡本先生は俺以降の出欠確認を続ける。

 

「須藤」

「はい」

「曽根」

「はい」

「高橋」


 誰も返事をしない。

 高橋のところで出欠確認が止まった。

 高橋とは、【高橋愛莉】という名前の女子生徒だ。

 実はこのクラスには俺だけでなく、もう1人の問題児がいる。高橋愛莉という女子生徒も俺と同様に学校を休みがちだった。週に1回か2回学校で姿を見かける程度だ。

 高橋は俺と共に進級が危ぶまれている生徒だ。全日制の高校は年間を通じて3分の2以上を出席しなければ問答無用で留年が確定する。


「高橋は、いないか。あいつ今日も欠席か……。せめて遅刻でもいいから来てくれたらなぁ……」


 岡本先生の声は分かりやすくトーンダウンした。

 実は高橋と俺の関係性は深い。自宅の距離が500メートルくらいしか程度しか離れておらず、学区が同じ。幼稚園も小学校も中学校もずっと同じクラスだった。田舎で人口が少ないが故にクラス替えの経験も一切なく、高校まで何故か一緒になり、普通科を選んだのも偶然同じだった。

 小学生までは高橋と俺は仲が良くて、お互いの名前を「愛莉」「優雅」と下の名前で呼び合っていたし、休みの日もよく一緒に遊んでいたが、中学に上がって思春期になると、会話どころか目を合わせることすら無くなっていた。それは高校2年の今になっても変わらない。

 俺は高橋の連絡先も知らない。

 ただ腐れ縁であるというだけで、それ以上の関係性は無い。

 ──ちなみに高橋はこの学校でいじめられているわけではない。あくまで俺が見る限りでは、高橋は俺と同じように、空気のような背景のような存在である。

 高橋は1年の3学期の途中から学校に来ない日がグンと増えた。それから今に至るまでずっと不登校気味だ。

 その理由は知らない。

 詮索しようとも思わない。

 だが、教室で高橋をなんとなく目で追うと、見る度に少しずつ痩せているような気はする。

 どうして高橋は学校に急に来なくなったんだろう。いじめられているわけでもないのに。

 あと、高橋は中学までは俺と同じように比較的クラス内で明るいタイプだったのに、高校生になってから一気に性格が暗くなった。たしか高橋は最初から帰宅部で何の部活にも所属していない。あいつは友達もいない。教室で誰かと喋ってる場面を見たことが無い。

 その理由も全くわからない。

 

「──和田」

「はい」


 高橋について思索を巡らせていると、いつの間にか朝の出欠確認は終わっていた。

 直後、俺の席に向かって大きめの茶封筒を1つ持った岡本先生が近づいてきた。

 何を頼まれるのか、既に見当はついている。


「なぁ佐藤。今日は親御さんに書いてもらわないといけない大事な書類があるんだ。これを学校帰りに高橋の家に届けてやってくれ」

「分かりました」

「わりぃな。いつも」

「いえ」


 互いの家が近所なので、大事な書類などがある時は、欠席した高橋の家のポストに俺が書類を届けるのが常態化している。また、その逆のパターンもよくある。俺が学校を休んだ日に高橋が出席していた場合は、高橋がうちのポストに書類を届けてくれる。

 別にあんまり興味ないけど、どうして高橋は不登校になったのだろう。どうして高校生になったと同時に暗くなったんだろう。

 俺は頬杖をついて、窓の向こうの青空をぼーっと眺めた。俺が疑問を呈しても、空は無言だった。冷たい奴だ。


 ◆


 午前の授業は全て座学だった。俺は一睡もせずに登校しているが、成績がクラスで最下位になる以外の弊害は全く無い。帰宅したらすぐ寝るのが俺の毎日のルーティーン。

 昼休み、教室の喧騒がやかましいから、俺はブルートゥース・イヤホンをしてスマホで大好きなロックバンドの暗い歌詞の曲を聴きつつ、母が作ってくれた弁当を自分の席で食っていた。それをつまみに水筒で酒を飲む。すると心が楽しくなる。なんて素晴らしい世界だろうか。この世に酒があってよかった。thanks to a god。


 ◆


 昼休みが終わりそうになると、女子も男子も更衣室にゾロゾロ向かい始めたので、俺も追随した。水曜の5時間目は俺の嫌いな体育だ。更衣室でジャージに着替えて、みんなが体育館へと向かう。

 そして昼休みが終わり、5時間目の体育が始まった。俺は酒の匂いをガードするために、体育の時でもマスクを外さない。

 最初に体育館内をグルリと2周ランニングして、体育委員の2人がみんなの前に出て体操をする。その後、ペアを組んでストレッチをする。

 俺はいつも通り、クラスメイトではなく岡本先生とペアを組んだ。

 岡本先生が俺の背中を押す。俺は両脚を大きく広げて、右足に手を届かせる。

 そうしていると、やがて俺にしか聞こえない小さな声量で岡本先生がこう言った。


「……なぁ佐藤。お前、高橋とは幼馴染だよな?」

「はい。家が近所なので」

「なら仲は良いのか?」

「いや別に。昔はよく遊んだりしましたけど、今は全く話しません。連絡先も知らないし」

「そっか。実は佐藤の自宅に何度か訪問して佐藤の親御さんと俺が話したように、高橋の自宅にも何度か訪問したんだ。お互いの親御さんがお互いに佐藤と高橋の事を心配し合ってたよ。佐藤の親御さんは高橋の心配を、高橋の親御さんは佐藤の心配をしてた。2人の家を訪問して分かったけど、佐藤と高橋は家族ぐるみで仲が良いんだってな」

「それも随分昔の話ですよ。小さい頃は、うちの家族と高橋の家族で夏になったら海に行って遊んだりしてました。あと、週末にはどっちかの家の庭でバーベキューもよくしてました。今は全然ですけど」

「そうか。良い思い出だな。思春期のお前にとっては気恥ずかしいかもしれないけど、お前の口から高橋に言ってくれねえか? 遅刻でも保健室登校でもいいから、なるべく学校に来るようにってさ」

「俺が言っても意味無いと思いますけどね。だって俺の出席率も高橋と同じようなもんだし」

「まぁな。でも幼馴染同士、腐れ縁の仲だろ。俺が直接『学校に来いよ』って促すより、佐藤が言った方が良い気がしてな」

「今度高橋に会ったら、言ってみますよ。一応」

「ありがとう。助かる」


 その後、しばらく間が空いて、岡本先生はポツンと独り言のように呟いた。


「学校に馴染めない奴がいるのは、仕方ないことだ。お前みたいに集団の中にいることに苦痛を感じる奴にとって、高校は地獄みたいなもんだろう。教師として俺がそいつらに対して何が出来るのか、悶々と悩む日々だ」

「……」

「実は俺はな、高校教師になる前は児童養護施設で働いてた」

「そうなんですか」

「ああ。世の中、色んな境遇の子供がいる。色んな親がいる。学校が嫌いな奴がいるのも当然だ。夢物語かもしれないけど、俺はせめて自分が受け持ったクラスの生徒の事だけは守りたい。誰1人として欠けることなく、この2年A組の39人全員で卒業式の日を迎えるのが今の俺の夢なんだ」

「へぇ」

「つい話しすぎた。わりぃな。お前も、無理しろとは言わねえ。でも今日みたいに来れる日は学校に来い。俺は今、正直言ってこのクラスの中では佐藤と高橋の心配しかしてない」

「このクラスの問題児トップ2ですからね」

「ほんとだよ。お前らのせいで余計な仕事や職員会議が増えまくってんだ。俺は陸上部の顧問もやってて忙しいんだよ。もうめんどくせえから勘弁してくれ。はははは」


 岡本先生はストレッチ中の俺の背中を押しながら楽しそうな声で笑い声を上げた。

 そして岡本先生は最後にこう言った。


「佐藤や高橋は、人とは違う。それすなわち天才なんだ。お前らの良さが分からない奴はバカだ」

「じゃあ岡本先生もバカって事になりますね」

「お前、随分言うじゃねえか~」


 そう言って、岡本先生はへらへら笑いつつ、俺の背中を押す強度を高めた。


「いててて!」

「ははは。ざまあみろ。教師なめんなよ」

「最低の教師だな」


 俺はこの日初めて、若干笑った。


 ◆


 ストレッチを終えた後、俺は体育館の2階に上がって、卓球のエリアに向かった。この場所では日々卓球部が部活をしている。

 今日、卓球をやっているのは俺を含めて5人の男子生徒だった。

 俺以外の4人は真っ先にダブルスで卓球をやり始めた。みんな楽しそうに笑っている。俺は1人孤立した。

 この和気あいあいとした空気感の中で「俺も混ぜてくれ」とは言いにくい。

 俺はラケットと球を持ち、一人でコンクリートの壁に向かって無表情で球を打ち始めた。

 なんだか、岡本先生とさっきストレッチ中に話していたら、少しだけ気が楽になった。

 俺は1人ぼっちでいい。周りからどう思われようがどうでもいい。俺が周りを全く気にしないように、周りは俺のことなんて全く気にしてないから。

 俺は1時間ずっと壁打ちをし続けて、そのまま50分の体育の授業を終えた。

 卓球の壁打ちをしている途中、頭の中に自然と高橋の顔が浮かんだ。

 ──あいつ今なにしてるんだろう。

 

 ◆


 体育を終えた後の教室は制汗剤の匂いで教室が満たされるから、俺にとっては絶好の飲酒チャンスだ。どいつもこいつもアホみたいに制汗剤を使いやがって。

 まぁかくいう俺も、制汗剤を更衣室で付けまくって少しでも酒の防臭対策をしているが。

 6時間目は世界史だった。

 生徒が寝ていたり少し騒いでいても何も言わないタイプの先生なので、俺は水筒で飲酒しまくって漫画を読んでいた。酒を飲みながら読む漫画が世界で最も面白い。

 テストで圧倒的な赤点を取って通知表の評定が最低ランクの1でも、補講を受けて再テストを受ければ何の問題も無く進級できる。


 ◆

 

 6時間目の授業が終わると、出席番号順に区切られたメンバーで学校内の清掃をする。その清掃が終わると、帰りのホームルームが行われ、放課となる。

 野球部を辞めて帰宅部になってからの俺は、毎日16時過ぎの最速の時刻の電車で帰宅している。まさに帰宅部エース。

 ホームルームが終わると真っ先に俺は教室から出て、このクラスで最も早く1階の下駄箱に辿り着き、スニーカーを履いた。

 おそらく全校生徒の中でも俺はかなり早く高校の敷地を出ている。

 外に出た俺はすぐにブルートゥース・イヤホンを装着し、スマホで大好きなロックバンドの曲を流しながら駅に向かって歩き、ホームから電車に乗り、いつもの駅で降りた。

 そういえば今日は高橋の家に寄って、ポストに学校からの書類を投函しなければならない。

 俺は一旦家に帰って自室に自分の荷物を全て置いた後、朝、岡本先生から渡された茶封筒を片手に、ここから500メートル程度の距離にある高橋の家に向かった。

 徒歩数分で高橋の家に着いた。俺は庭の敷地に入り、ポストに封筒を投函し、家に帰って、自室のベッドの上で死んだように眠りについた。


 ◆


 そして俺が目を覚ましたのは深夜の1時くらいの事だった。

 もう家族はとっくに眠りについている時間だ。

 俺は、とりあえず1階に降りて適当にメシを食い、歯を磨いた。そして2階の自室に戻り、椅子に座って暗い部屋でノートパソコンを開きネットサーフィンを開始した。

 すると、あっという間に深夜の4時になって、朝が近くなってきた。

 明日、というか今日は木曜日だ。今日は学校どうしよう。行くかどうかは完全に俺の気分次第である。

 そういえば、今日の学校の分の缶チューハイはあっただろうか?

 と思い、俺は部屋にある小型冷蔵庫を開けた。すると、度数9パーセントのレモン味の缶チューハイ1本しか入ってなかった。これはまずい。俺は最低でも学校に行く日は1日に2本は水筒で飲んでいるからだ。

 朝が来るまでに大至急、コンビニに行って酒を買って備蓄しておかねば。

 俺は赤いサングラスとリアル寄りの無精髭みたいな付け髭を装着し、家から徒歩3分くらいの場所にあるコンビニに向かう事にした。

 しかし今日は、部屋に居てもうるさい程の雨の音が聞こえてくる。

 傘を差して、出来るだけ濡れないように急いで買いに行こう。

 俺は家族を起こさないようにゆっくり階段を下りて、玄関に到達し、傘立てから透明のビニール傘を取り出して、静かに家を出た。

 まるで空が大泣きしているかのように、ザーザーと大雨が降っている。

 空は暗闇に包まれている。

 さっさとコンビニに着きたい。

 と思いながら歩いていると、道端のゴミ捨て場に、俺は人影のようなものを発見した。ちょうどゴミ捨て場の街灯の下に人が照らされて立っているのだ。背丈や華奢な体躯や髪の長さなど、雰囲気的に女の人っぽい。


「うおっ」


 変な人を発見した俺は薄いリアクションでビビった。まさか幽霊……? いや、そんなはずない。

 てか、この大雨の中でなんで傘を差していないんだ?

 てか誰だよ。

 俺は興味本位で近づいた。

 すると俺は大雨の中で街灯に照らされて立ち尽くしている人物の正体が分かった。

 【高橋愛莉】だ。服装は上下真っ黒のニートみたいなスウェット。俺の格好に似ている。ちなみに俺は上下グレーのスウェットだ。

 深夜4時過ぎ、高橋はこの大雨の中、傘も差さずに突っ立って、こちらをジッと見ている。高橋の長い髪はびっしょり濡れてペタンとしている。ていうか全身が物凄く濡れてる。とても寒そうだ。


「高橋?」


 俺が聞くと、高橋は、


「え、佐藤君?」


 と言った。


「こんな場所で1人で何してんだよ。てか傘差せよ。風邪ひくだろ。早く入れ」


 そう言った俺は高橋にスッと近づいて、すぐ高橋を傘の中に入れた。相合い傘の形だ。すると、高橋は突拍子もないことを訊ねてきた。


「ねぇ佐藤君。私ってゴミ人間だと思う?」

「うん。ゴミ人間だと思う」

「そっか。やっぱりそうだよね。私はゴミ人間なんだ。私の判断は間違ってなかったんだね。安心した」

「てか、こんな場所で何してるの?」

「ほら、この地区だと木曜日って燃えるゴミの日でしょ? 私は人間じゃなくて燃えるゴミだから、だから、今日の朝早くにゴミ収集車に収集されようと思って、ここで立ってたの。20分くらい前から」

「バカだろお前。高橋は燃えるゴミなんかじゃねえよ。ゴミ人間だよ」

「同じじゃん」

「全然違うよ。どんなゴミ人間にも生きる権利はある。基本的人権って言葉知らねえのか」

「知ってるよ。てか佐藤君、何その変なグラサンと髭。最初、不審者かと思って怖かった」

「俺は今から酒買いに行くんだ、コンビニに。絶対に年齢確認されたくないから変装してる」

「ふーん。私、お酒なんて一滴も飲んだことないや。佐藤君ってお酒飲むんだ~」

「学校に行く日は毎日飲んでるよ。休み時間とか授業中に」

「えっ、不良じゃん」

「まぁな。かっけえだろ?」

「いや全然。ねぇ佐藤君。佐藤君も一緒にゴミ収集車に収集されて死のうよ。だって佐藤君も高校で飲酒してるゴミじゃん」

「やだよ。高橋が1人で勝手に収集されてろ」

「佐藤君もゴミ収集車に収集されるべきゴミだよ。だって佐藤君、高校で堂々とお酒飲んでるらしいし、しかも私と同じでクラスに1人も友達いないじゃん。私1回も見たこと無いよ。教室で佐藤君が誰かと喋ってるところ。それに体育の授業でペアを組む時、佐藤君は誰ともペアを組めずにいつも岡本先生と組んでもらってる。佐藤君はね、もう誰からも必要とされてないの。これがどういうことだか分かる?」

「……終わりって事か?」

「そう。佐藤君はゴミなの。だから今日の朝、私と一緒にゴミ収集車に収集されようよ。同じゴミ仲間としてさ」

「おい、勝手に俺をゴミ仲間にすんじゃねえ。なぁ……昔の快活で笑顔が眩しかった頃のお前はどこに行っちまったんだよ。何が高橋を卑屈でネガティブな人間に変えたんだ?」


 それから少しの間が開いて、高橋は言った。


「別に誰のせいでもないよ。気付いたら暗くなってただけ」

「そうか。うーん……。詳しいことは詮索しないよ。高橋にも色々あるんだろ」

「うん。色々ある」

「あと、岡本が言ってたぞ。遅刻でも保健室登校でもいいから学校に来いってさ」

「めんどくさ」

「めんどくせえよなー、あいつ」

「うん」

「でも岡本は馬鹿だけど悪い先生ではないと思うぞ」

「そうかなー。てか佐藤君とこんなに話したの、小学生以来だ。死ぬほど久し振り。不思議な感覚だね」

「そうだなー。いつの間にか自然と話さなくなってたね。……そんな事より、そんなに濡れてると寒いだろ。家まで送るよ」

「ありがとう。ついでに1つわがまま言ってもいい?」

「いいよ」

「佐藤君、これからコンビニでお酒買うんだよね? 私もお金持ってきてコンビニに一緒に行きたい。雨に濡れて寒いからコンビニのホットカフェラテが飲みたいの。とりあえず家で着替えて速攻で髪ドライヤーで乾かしてくるから、私の家の玄関前で待っててくれない?」

「いいよ」


 ここから徒歩数分で高橋の家に着く。

 俺は相合い傘をしながら、高橋と2人で大雨の中を歩いた。

 高橋の家に着くまでの数分間、会話は特になかった。でも、どこか懐かしい。小学生の頃、傘を忘れた高橋とこうやって大雨の中を1つの傘で下校したことがあったっけ……。

 過去の思い出に浸っていると、すぐに高橋の家に着いた。


「すぐに戻ってくるから、ちょっと待ってて」

「うん」


 高橋は自分の家の中に入っていった。高橋の髪はとても長い。乾かすのには時間が掛かるだろう。俺は長く待つつもりでいる。

 それから15分くらい経つと、部屋着姿の高橋が現れた。高橋は俺の傘と似たような透明のビニール傘を片手に持っている。


「ごめん、待たせたね。じゃあコンビニ行こ」

「うん」


 ◆


 俺が前を歩き、その少し後ろを高橋が歩いている。

 時折、俺は高橋がちゃんと着いてきているか心配になって振り返る。何度か振り返ったが、高橋はちゃんと着いてきていた。

 やがて、コンビニの高い看板と店内の明かりが遠くから見えてきた。

 空は泣き止むことを知らない。

 コンビニに到着し、俺と高橋は傘立てに傘を入れて、入店した。

 ピポピポピポ~ンという入店音の後、やる気の無さそうな男性店員の「いらっしゃいませ~」という気の抜けた声がした。俺はよくこの時間帯にこのコンビニに来るから知っている。この店員はアラサーくらいの中肉中背のマッシュヘアの黒縁メガネ。変装さえしていれば絶対に16才の俺が酒を買っても年齢確認をしてこない最高の店員だ。

 俺はオレンジ色のカゴを手に取り、酒のコーナーへと向かう。冷蔵庫を開けて、ストロング系の500mlの酒を5本入れた。

 高橋は真っ先にレジに向かい、店員に「ホットカフェラテRのラージのコップください」と言って、コップを購入し、店の中でカフェラテを入れ始めた。

 それに続いて俺も酒5本の会計を済ませた。

 案の定、年齢確認(身分証の提示を求められること)は無かった。

 俺と高橋は店内からほぼ同時に出た。

 その瞬間、高橋はホットカフェラテを両手で包むように持ちつつ、笑ってこう言った。

 

「そんなグラサンと付け髭の変装で普通に16才がお酒買えるんだね。やば」

「あの夜勤の店員、めっちゃ適当だからな」

「あったかーい。冷める前にカフェラテ飲みたいなぁ」

「じゃあ雨宿りも兼ねて駅に行こう。ここから1分くらいだし」

「そうだね」


 俺たちは傘を差して、ここから歩いてすぐのX駅に向かった。きっと真っ暗だが、X駅の中には屋根付きの小屋があるし、カフェラテも冷めない。

 歩いてすぐにX駅に着いた。

 ちなみにここは無人駅だ。改札も無い。

 高橋と俺は、X駅にある小屋のような部屋のスライドドアを開けて、中に入った。

 俺はスマホの懐中電灯で周囲を照らす。4つある椅子の1番奥に俺が座り、1つ空けて奥から3番目の椅子に高橋が座った。

 雨音が屋根に当たってうるさい中、高橋が言った。


「これ超あったかいし美味しい。生き返るー。やっぱりセブンのコーヒーとカフェラテはうまいよね」

「よかったな」

「うん。久しぶりに飲んだ」


 それからしばらく静寂が続いた。

 だが、沈黙が流れていても一切気にならなかった。

 俺は呟いた。


「なぁ高橋」

「ん?」

「今日学校どうする? 行く?」

「どうしよっかなー。どっちでもいい。佐藤君は?」

「俺もどっちでもいい」

「じゃあ、じゃんけんして、私が負けたら今日は2人で学校行こう。佐藤君が負けたら今日は2人で休もう」

「お、それいいな。ちょっと待って。照らすから」


 俺はスマホの懐中電灯で互いの手元を照らす。そして高橋が言った。


「最初はグー、じゃんけんぽん」


 俺はチョキ、高橋はパーを出した。高橋の敗北である。

 直後、高橋が嘆いた。


「うわ~最悪。学校行かなきゃじゃん。なんで佐藤君負けてくれなかったの?」

「こっちも最悪だよ。俺、今日学校行ってきたんだぞ。2日連続はきついって」

「じゃあやり直す?」

「うん。もう一回勝負だ」

「最初はグー、じゃんけんぽん」


 俺はグー、高橋はチョキを出した。高橋の敗北だ。


「だめだめだめ。学校行きたくない。もう一回勝負しよ」と高橋。

「よし、もう一回だ」

「最初はグー、じゃんけんぽん」


 俺はチョキ、高橋はパーを出した。高橋の敗北だ。

 俺は思わず笑ってしまい、こう言った。


「ははは。おまえどんだけじゃんけん弱いんだよ」

「いや佐藤君が強すぎなんだって。私は弱くないもん」

「ほんとか? じゃあもう一回やるぞ。これでほんとにラストな」

「うん。これで決めよう。行くよ。最初はグー、じゃんけんぽん」


 俺はパー、高橋はグーを出した。高橋の敗北だ。


「はははは」と俺が笑う。

「あははは」と高橋が笑う。


 こうして、俺たちは今日、2人で学校に行く事が決定してしまった。


 ◆


 2025年5月8日木曜日の朝のホームルームが始まり、担任の岡本先生が出欠を取り始めた。


「よし、じゃあ出欠取るぞ~。浅井」

「はい」

「井上」

「はい」

「上田」

「はい」

 

 ~中略~


「佐藤」

「はい」

「須藤」

「はい」

「曽根」

「はい」

「高橋」

「はい」

「お、高橋。お前久しぶりだな~。良かった良かった」

「……」


 高橋は俯いて黙っている。ちなみに俺の席は1番後ろの1番左という最高の席だが、高橋の席は1番前の1番右という最低の席だ。かわいそうに。


「土田」

「はい」

「手塚」

「はい」


 ~中略~


「和田」

「はい」


 出欠確認を終えた岡本先生は嬉しそうに笑っている。


「お前ら39人全員が朝からちゃんと全員出席してるなんて珍しいな。今日は良い日だよ」


 俺はぼーっと窓の向こうの空を眺めていた。

 だが、そこにはただ空があるだけだ。他には何もない。

 

 ◆


 木曜日の今日は1時間目から6時間目まで全て教室での座学だ。

 俺は休み時間になると酒を飲むか漫画を読むか小説を読む。

 高橋をふいに見ると、高橋は休み時間は常に寝たふりをしている。高橋にも俺にも声を掛ける人間は誰もいない。

 やがて4時間目の授業が終わって、昼休みになった。俺は弁当を自分の席で食う。高橋も自分の席で食う。

 弁当を食い終わった後、高橋はいつも寝たふりを開始する。

 この日も、昼休みが始まって割とすぐに高橋は寝たふりを開始していた。このクソうるさい教室の中で。

 俺は、高校生活の中で寝たふりをしたことが無い。単純に退屈だからだ。

 ──実は俺は今朝、学校に来る前に良いことを考えていた。

 昼休みになったら高橋と酒が飲んでみたいと思ったのだ。だから、家から適当な紙コップをリュックに入れて持ってきた。

 今日の深夜4時過ぎ、たまたま高橋とばったり遭遇して、小学生の時ぶりにあんなに喋った。

 今まで、思春期に入ってからお互いに全く話さずに時間を過ごしていたが、今はむしろ、喋りたい気持ちの方が強い。やっぱり高橋と喋ってると楽しい。気恥ずかしい気持ちはもう無い。

 俺は酒が入った水筒と紙コップをリュックから取り出して、自分の席から立ち上がり、机に突っ伏して寝たフリをしている高橋愛莉に小さめの声量で声を掛けた。


「なぁ高橋、用があるんだけど」


 すると、10秒くらいのタイムラグがあった後、高橋は顔を上げて小さい声で言った。


「……なに? てか教室では話しかけてこないで。周りに私たちの仲が良いって勘違いされたくない」

「このクラスのゴミ共にどう思われようがどうでもいいだろ。この期に及んで他人なんか気にすんな」

「それもそうか。それで、用ってなに?」

「二人で一緒に酒飲もうぜ。酒を飲むと酔って心が楽になるんだ」

「私、お酒なんて人生で飲んだこと無い」

「じゃあ俺が大人の階段を上らせてやるよ」

「うーん。わかった。大人の階段上ってみる」

「俺は高校でのぼっち生活が長いから、昼休みに絶対に人が来ない場所を知ってるんだ。東棟の4階の屋上に繋がる階段の踊り場まで一緒に来てくれ。あそこはマジで誰も来ない」

「わかった。今すぐ行こ」

「意外と乗り気だな」

「佐藤君がお酒飲んでるなら、私も1回くらい飲んでみたい。でも匂いとかでバレないかな?」

「大丈夫。俺は常にマスクの予備はめっちゃあるから」

「そっか。佐藤君1年中マスクしてるもんね。なんで1年中ずっとマスクしてるんだろうって疑問に思ってたけど、お酒飲んでたからなんだ」

「そうそうそう」


 やがて高橋は自分の席からゆっくり立ち上がった。

 俺の後ろを高橋が着いてくる形で、俺らは教室のやかましい喧騒からスルっと抜け出して、西棟から東棟の校舎に向かい、屋上のすぐ手前の4階の誰も人が来ない踊り場に到着した。

 そこは穏やかな太陽の光が差し込む、とても静謐な場所だった。

 だが、普段一切人が来ないからか、埃が多い。


 ◆


 階段の段差を椅子代わりにして、俺と高橋は横並びに座った。俺が左で高橋が右。

 俺は紙コップに水筒からアルコール度数9パーセントの缶チューハイを注いで、高橋に手渡した。ちなみにオーソドックスなレモン味だ。

 俺は自分の水筒のコップにも酒を注ぎ、


「かんぱーい」


 と小さめの声で言った。


「かんぱーい」


 と高橋も小さめに言って、俺らはコップを軽く接触させた。


「なんか私、緊張してきた……。飲酒が学校にバレたら間違いなく2人とも停学だよ」

「大丈夫。ここは絶対に誰も来ないよ。それに万が一学校にバレたとしたら『俺が高橋に無理矢理飲ませました』って言って高橋を庇うから。罪は全部俺が背負う」

「かっこいいこと言うね」

「俺はかっこいいからな」

「よく自分で言えるね」


 そう言って高橋は小さく笑った。


「じゃあ私、16年の人生で初めてお酒飲んでみるよ? 行くよ?」

「あ、これ9パーセントだぞ。だから最初はほんの少しだけ口に含んだ方が良い」

「うん」


 少し不安げな表情の高橋はゆっくり口元に紙コップを近づけて、口に接触させてゆっくりコップを傾けた。そして、喉が動いた。

 俺は高橋の様子を見ていた。

 もしかしたら吐き出すかもしれない。

 それを危惧していたら、高橋はちょっと笑いながら「あれ? 意外と9パー行けるかも」と言って、2口目を飲んだ。「あ、行ける行ける。行けるよ私」と言って、更に3口目を飲んで、高橋はあっという間に小さい紙コップ1杯分の酒を飲んでしまった。


「大丈夫? 気持ち悪くない?」

「うん。大丈夫。なんか、喉がちょっと熱いけど全然平気そう」

「ならよかった」


 俺は安心して、自分のコップの酒を飲んだ。

 

「ねぇ佐藤君、もう1杯飲みたい」

「うん」


 俺は水筒から高橋の紙コップに酒を注ぐ。

 高橋はそれを割とハイペースで飲んでいく。

 3杯目を飲み終えた高橋は、


「あっ、急に来た」


 と言ってパッと笑顔になった。


「気持ちいい?」

「うん。いきなりガツンって来た。やばいね。これ」

「やばいだろ」

「やばい。酔うってこんな感じなんだね」

「とりあえず、その辺にしといた方が良いよ。初めての奴がこれ以上飲酒すると、午後の授業に支障をきたす」

「わかった。やめとく。あー、なんかやばい。超やばい。あはは」


 初飲酒で笑う高橋の顔は全く赤くなっていない。どうやら俺と同じく、酔っても顔に出ないタイプらしい。

 やがて、酔った高橋の口から突拍子も無い発言が出た。


「そういえば私たち、小学生の頃はお互いの事を下の名前で呼び合ってたよね」

「そうだね」

「昨日の私、実は漠然と死にたくなって大雨の中で外に出てたんだよ。誰かに助けてほしかったのかもしれない。でも私が死のうとしても誰も助けてくれないって知ってた」

「うん」

「でも大雨の中で立ってたら、佐藤君が偶然来てくれた。実は私すごく嬉しかったんだよ。久しぶりに2人で会話できて」

「そうなの? 実は俺も嬉しかった。別に仲が悪いってわけじゃないけど、中学から何も話さなくなったもんな。高橋とは」

「高橋じゃなくて愛莉って呼んで。昔みたいに」

「やだよ」

「えーなんで?」

「恥ずかしいから」

「じゃあ私がこれからは佐藤君の事を優雅って昔みたいに下の名前で呼ぶから、優雅も昔みたいに愛莉って呼んで」

「……分かった。じゃあ、愛莉」

「よくできました。あと私がなんでA高校の普通科に入ったか、理由わかる?」

「分からない」

「中3の時、優雅がA高校の普通科を志望してるって知ったからだよ」

「あ、そうなんだ」

「どうしても優雅と一緒の高校に行きたかったの」

「へえ」

「私は小学生の頃から優雅が好き」

「……おい、酔った勢いで色々言い過ぎだろ。シラフになった時にめっちゃ恥ずかしくなるから、もうその辺でやめとけよ」

「別にいいよ。酔ってるけど本心だもん。優雅は私の事好き?」

「好きだよ」

「ほんとに?」

「うん。俺も愛莉の事が小学生の頃から好き」

「じゃあ結婚しよ」

「早くね?」

「じゃあ高校卒業したら結婚しよう」

「うん。愛莉が俺なんかで良いなら」

「わかった。じゃあ高校の卒業式が終わったその日のうちに役所に行こ。その次の日に新婚旅行に行く。新婚旅行は沖縄かハワイにする」

「おいおい、酔い過ぎじゃねえのか」

「別にいいよ。酔ってるけど本心だもん」

「あ、俺からも1つ聞きたいことがある」

「なに?」

「中学までは割と明るいキャラだったのに、なんで愛莉は高校から友達が1人もいなくなったの?」

「それは私が単純にめっちゃ人見知りだからだよ」

「陰でいじめられてるとか、そういうわけではない?」

「全然。ガチでただ私が超人見知りなだけだよ。いじめとか本当に無いから心配しないで」

「よかったー。女子のいじめって陰湿なイメージあるから、誰にも見えない感じで愛莉がいじめられてるんじゃないかって内心心配だった」

「心配してくれてたんだ。嬉しい。実は私も色々心配してた。優雅が野球部でいじめられて退部したんじゃないかって」

「先輩とか同級生から『死ね』とかは結構言われたけど、いじめは受けてないよ」

「え、それいじめじゃん」

「いじめなの?」

「死ねはいじめでしょ」

「そうかなあ」

「そうだよ」

「そうかー。いじめなのか」

「え、なんで納得いってないの?」

「体育会系の部活ってそういうもんだと思ってたから」

「優雅ってさ、今年野球部辞めた途端に学校めっちゃ休みがちになったよね」

「うん」

「それって今まで野球部で溜め込んだストレスが爆発したのが原因なんじゃない?」

「さあ。よく分からない。俺はもう野球部の事はどうでもいいや」

「過去は振り返らない方が良いよ。私はそうしてる」

「そういえば愛莉はなんで学校休みがちになったの?」

「よくわかんない。しいて言うなら生きるのがめんどくさいから。もう私の人生どうでもいいや~みたいなノリ」

「あ、俺と同じノリだ」

「そっか。ねぇ優雅。私たちは多分運命の相手だよ。家も近いし」

「そうなのかな」

「もう1杯お酒ちょうだい」

「大丈夫? これ以上飲んで」

「大丈夫。最悪、早退するから」

「そっか。じゃあもう1杯あげる。今日はこれで終わりだからな」

「うん」


 俺は愛莉の紙コップになみなみと酒を注いだ。それを愛莉は嬉しそうに飲み始めた。俺も釣られて、酒が進んでしまう。

 酒を飲みつつ、愛莉が言った。


「ねぇ優雅」

「なに」

「私がリストカットとかアームカットしてるって言ったら驚く?」

「驚かない」

「じゃあ優雅だけには見せてもいいかな」

「うん」


 そう言うと、愛莉は制服の両方の袖をまくって、俺に切り傷の痕を見せた。両方の腕中にびっしりとバーコードのような赤黒い線がある。比較的、新しい傷だ。愛莉はいじめは受けていないにしても、何らかの要因で間違いなく大きいストレスを抱えている。

 俺がそんな事を思っていると愛莉は笑顔で言った。


「どう? 私きもい?」

「きもくないよ。バーコードみたいだね。レジでピッてやったら値段が出るかもしれない」

「なにそれ。あんまり面白くない」

「俺なりに励まそうと思って」

「そっか。ならいいや」

「実は俺、リストカットとかアームカットとか見慣れてるんだ。俺のお姉ちゃんが精神疾患で全身が傷だらけだから、俺にとって自傷は日常なんだ」

「そうなんだ。だからめっちゃ反応薄いんだね」

「うん。とりあえず、愛莉が辛い気分になりそうな時はいつでも俺にLINEしてくれ。気分転換くらいにはなると思うから」

「私、優雅のLINE知らないんだけど」

「あ、そっか。じゃあ今交換しよ」

「うん」


 俺と愛莉は、その場でスマホを取り出してLINEのIDを交換した。

 そして、昼休みが終わる直前まで、ずっと2人で酒を飲みながら話していた。

 チャイムが鳴る直前に教室に戻った。

 愛莉と俺がこっそり飲酒していたことなど露知らず、教室ではいつものやかましい騒音が鳴っている。

 すぐに俺は愛莉にマスクを2枚手渡した。

 愛莉の酒の匂いをガードするためだ。

 愛莉は「ありがと」と言ってマスクを装着した。


 ◆


 午後の授業は全く耳に入らず、俺は黒板をボーっと見ながら愛莉の事だけをずっと考えていた。数学の先生の言葉がどうでもよすぎて公式が耳を全てすり抜けていく。英語の先生のイングリッシュも全てすり抜けてゆく。

 愛莉が小学生の頃からずっとあんな風に俺の事を大切に思ってくれていたなんて。

 実は俺も小学生の頃から愛莉がずっと好きだった。

 俺は愛莉との結婚生活を思い浮かべたり、一緒に旅行に行く妄想を膨らませていた。

 6時間目の英語の授業の時、先生から指名されて「この日本語の会話文を英訳してください」と言われたので、俺は席から立ち上がって、「I can't speak English」と堂々と答えた。

 すると、何故か教室の中で笑いが起こった。

 若めの女性の先生は不機嫌そうな顔をした。

 今は俺を授業で指名するな。今の俺は愛莉で頭がいっぱいなんだ。そもそも日本に住んでるのに英語を習う必要あるのか。英語がどうしても必要になったらGoogle翻訳に頼ればいいだけだろ。ふざけるな。

 今の俺は、どうすれば愛莉を幸せにできるか、という一点しか考えていない。

 

 ◆


 あっという間に6時間目が終わり、清掃をして、帰りのホームルームも終わりかけていた時だった。

 担任の岡本先生が教壇から、


「──佐藤と高橋の2人は、このまま教室に残れ。どうしても話したいことがある」


 と物騒な発言をした。

 俺は遠くの席の愛莉を咄嗟に見た。すると、愛莉も同じように俺を見ていた。

 まさか、飲酒がバレていたのか……? 一体どこから……?


 ◆


 夕陽が差し込む黄昏の教室。

 愛莉と俺を除く全ての生徒が教室から姿を消して、岡本先生と愛莉と俺の3人だけが残った。愛莉は自分の席にずっと座っている。

 

「おい佐藤、お前は高橋の隣の席に座ってくれ」

「あ、はい」


 俺はすぐ愛莉の隣の席に座った。

 俺と愛莉は顔を見合わせる。愛莉の目からは強い不安が感じ取れる。

 直後、岡本先生は俺たちのところにゆっくり近づいてきて、


「おい、お前ら……!」


 とかなり真剣なトーンで言った。

(あ、これマジで終わったわ……)と思っていたら、岡本先生は愛莉と俺の頭に同時に手を置いて、頭を優しくぽんぽんした。


「お前ら、偉いじゃねえか! 佐藤と高橋の2人が揃って朝からちゃんと登校してくれて、俺はめちゃくちゃ嬉しかった。超久しぶりなんじゃねえのか? この2人が揃って出席してくれるなんて!」


 岡本先生は白い歯を見せて笑っている。

 俺は超ホッとして、緊張と不安から解放された。良かった……。飲酒がバレたわけでは無さそうだ……。マスクをしている愛莉の目を見ると、愛莉の目から完全に不安が消えていた。

 

「今日は良い1日だった。お前ら、ありがとうな」


 そんなのどうでもいいからさっさと帰らせてくれ。帰りの16時過ぎの電車に間に合わなくなる。

 と思いつつも、俺は「はい」とだけ呟いた。

 愛莉は何も言わなかった。


「俺からの話はそれだけだ。辛い時は無理して学校に来いとは言わない。でも2人とも、来れる時は来い。遅刻しても早退しても保健室登校でも何でもいいからな。昨日、佐藤には言ったけど、俺の今の夢はこの2年A組の39人全員が1人も欠けることなく卒業式の日を笑顔で迎えることなんだ。俺のエゴかもしれないけど、その夢を叶えてくれるのは佐藤、高橋、お前ら2人の協力が必要なんだ」

「はい」

「はい」

「よし、じゃあ俺からの話はこれで終わりだ。2人とも車には気を付けて帰れよ」


 話が手短に済んで良かった。帰りの電車には間に合う。


 ◆


 自然と、愛莉と俺は同じ歩調で階段を下りて1階の玄関の下駄箱まで向かった。

 下駄箱の周りには生徒は誰もいない。

 俺の下駄箱からスニーカーを取り出していると、愛莉が言った。


「優雅」

「ん?」

「今日は一緒に帰ってみようよ、初めて」

「そうだね」

「別に、もう周りにどう思われてもいいよね」

「うん。どうでもいい」

「じゃあ一緒に帰ろ」


 愛莉と俺は駅までの道のりを横並びで一緒に歩いた。周りにはA高校の生徒たちが沢山いるが、どう思われてもよかった。

 駅までの帰り道で愛莉はポツンと呟いた。


「──私が今日お酒に酔って言った事は、全部ちゃんとした本心だからね。私は小学生の頃からずっと優雅の事が好きだった」

「ありがとう。俺も愛莉の事がずっと好きだった」

「やっとお互い素直になれたね。だからきっとこれから、楽しいことが沢山あるね」

「そうだよ。楽しいことが沢山ある」

「ねぇ私たちってもう付き合い始めてるの? それともまだ友達?」

「よく分からねえ。俺、恋愛経験が無いから」

「私も恋愛経験無い」

「じゃあお互い手探りだな。俺は何となく、こういう緩い感じでこれから愛莉とずっと仲良くしていたい」

「私も優雅とずっと仲良くしたいよ」

「でも、きっと楽しい事だけじゃない。愛莉の腕の傷を見てそう思った」

「もしも私が急に辛い気持ちになったりしたら、LINEのビデオ通話とか掛けてもいい?」

「いいよ。いつでも出るよ」

「優雅も辛いことがあったら私に何でも相談してね。小さい頃から優雅のこと知ってるから分かるけど、優雅は辛いことがあっても周りに何も相談しないで1人で悩んで1人で勝手に解決しちゃう癖がある。辛い時は周りに頼っていいんだよ。少なくとも私には頼ってほしいな」

「分かった。できるだけそうする」

「うん」

「そういえば愛莉、明日の学校はどうする? 行く? 行かない?」

「また、じゃんけんで決めよっか」

「そうだな。じゃあ俺が勝ったら、明日も2人で学校に行こう」

「うん」

「ちなみに俺はグーを出すからな」

「わかった」


 俺と愛莉は歩みを止めて一旦歩道に立ち止まり、相対した。

 そして俺は言った。


「最初はグー、じゃんけんぽん」


 俺は宣言通り、グーを出した。

 そして愛莉が出したのは、チョキだった。











 ~終わり~




【追記】細かい変化ですが、佐藤の年齢を17才から16才に変更しました。

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ぼっちとぼっち ~社不2人の高校生活~ Unknown @ots16g

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