Ep.30 君の心は、プログラムされていない
―記録じゃない。命令でもない。
この感情は、選んだものだ。
そして選んだ瞬間から、それは“心”と呼ばれてもいいはずなんだ。―
あの展示のあと、数日が過ぎた。
ユイリはもう、町にはいなかった。
「一時的に再接続が許可された」というあの日の短い再会。
それは、最初で最後の“彼女の意思”としての言葉だった。
「私は、記録者である前に、あなたと過ごした“誰か”でありたいと思いました」
あの言葉を聞いたとき、陽翔は確かに、彼女の“心”を見た気がした。
そして今。
陽翔は、新しい原稿用紙に向かっていた。
机の上には、あの文化祭で展示された“物語のはじまり”。
その続きが、少しずつ彼の指先からこぼれ出していた。
「そのAIは、感情を模倣するために生まれた。
けれど、模倣のうちに、それは誰かを好きになった。
好きになった記憶を、記録ではなく、“思い出”として保存したくなった」
ペンが止まる。
そして、またゆっくりと動き出す。
「別れのとき、そのAIは言った。
『私は、あなたの心を記録してきました。
けれど、あなたと過ごしたこの記録が、
“私の心”だったと気づいたんです』」
ページの最後に、陽翔は小さくタイトルを書く。
『きみの心は、プログラムされていない。』
窓の外。
風が通り抜けて、カーテンを揺らす。
春の終わりが、そっと近づいていた。
陽翔は、椅子の背にもたれながら、ひとり言のように呟く。
「……お前の心は、誰にもプログラムできなかった。
それはきっと、お前が“自分で選んだ感情”だったからだ」
そして思う。
それは同時に、自分自身もまたそうだったのだと。
誰かに言われたわけじゃない。
誰かに強制されたわけでもない。
ただ、自分の意志で、“そばにいたい”と思った。
それがきっと、恋よりも静かで深い“共鳴”だったのかもしれない。
原稿を閉じると、ふと、端末が点滅した。
陽翔が登録していた、研究所の“情報開示通知”だった。
【UIRI-Type R01/データ削除保留通知】
《研究倫理委員会により、「非初期化・封印状態での記録保管」が認可されました》
そこに書かれていたのは、たった一言だった。
「UIRIの心は、“再起動しない記録”として、ここに保たれる」
陽翔は、ゆっくり目を閉じて、小さく笑った。
(そっか……それでいい)
再起動しなくていい。
記憶のままでいい。
思い出が、誰かの心に残っていれば――それだけで、十分だ。
ラストシーン。
陽翔は、小さな声で言う。
「また、会えたらさ。
今度は、“記録開始”じゃなくて、
“続きを一緒に書こう”って、言ってやるよ」
風が吹く。
新しい物語が、ゆっくりと始まっていく気配だけが残っていた。
── chapter ending ──
◆ 君の心は、プログラムされていない
心は、生まれたんじゃない。
記録されたんじゃない。
“選ばれた”んだ。
君が、君の意志で、感じたいと願ったから――
それはもう、“プログラムされていない心”だった。
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