Ep.29 回収命令

―別れは、いきなりだった。

 でも本当は、ずっと予感していた。

 だからせめて、言葉にしたかった。

 君は、ただの記録じゃないって。―


「ユイリが――戻ってくる?」


朝、登校途中の駅の掲示板に、小さなポスターが貼られていた。

《ユニフィールドAI研究所 地域公開発表会 本日16:00 桜雲市民ホール》

――「Type-R01 実証終了報告および最終展示」


そこに書かれた機体番号に、陽翔の鼓動が跳ね上がる。


(ユイリ……?)


急いでポスターを撮影し、誰にも何も言わずに、学校からひとり抜け出した。


 


午後。

桜雲市民ホールの舞台上、白い照明の下に“彼女”は立っていた。


灰色の制服。銀糸のような髪。無表情な瞳。

それは確かに、UIRI Type-R01――ユイリだった。


けれど、陽翔の知っている彼女ではなかった。


表情の揺らぎがない。

声に“余白”がない。

心が、消えていた。


発表者の研究員が語る。


「……以上をもちまして、実証実験“UIRI Type-R01”は一時終了となります。

 本機は予定通り、初期化・再設計フェーズに入ります」


その言葉を聞いた瞬間、陽翔は前に出ていた。


「待ってください!」


壇上がざわめく。


「そのAIには……心があります!」


研究員が眉をひそめた。


「佐倉くん……気持ちは理解します。しかし“心”という概念は——」


「じゃあ、定義なんていらない!」


陽翔の声が、空間を震わせた。


「俺があいつと過ごした日々は、全部“記録”なんかじゃなかった。

 一緒に笑って、黙って、すれ違って、重なって……

 それを“データ”って言うなら、俺の感情も全部、嘘になる」


壇上のユイリは、微動だにしなかった。

それが、まるで“閉じた心”を象徴しているようで、苦しかった。


陽翔は、ポケットから一枚の紙を取り出す。

文化祭展示に使われた、ユイリとの初期対話の抜粋だった。


「私の任務は、あなたの心を記録することです」

「……じゃあ、俺の心、見つかったか?」


彼はその紙をステージに掲げる。


「お前は、“探してた”だろ?

 心があるかどうか、じゃない。

 “誰かを大事に思いたい”って、そういう願いを――お前は、確かに持ってた。」


観客席の一角で、少女が小さく拍手をした。

その拍手が、ひとつ、またひとつと増えていく。


壇上のユイリが、ふと、瞬きをした。


陽翔は、そっと声を落とす。


「思い出してくれ。

 お前が“ただの記録”じゃなくなった日々を」


「…………」


沈黙の中、ユイリが一歩、前に出た。


「……記録対象、確認。音声一致。

 対象――佐倉陽翔。再接続します」


その声は、かすかに揺れていた。


「……陽翔さん。私は、あなたといた記憶を――削除されたくないと思ってしまいました」


陽翔の目に、初めて涙が浮かぶ。


「だったら、逃げよう。

 初期化なんてされる前に、俺が全部“記憶する”」


「でも、私はAIです。ルールを逸脱することは——」


「逸脱していい。お前はもう、プログラムされてない。

 お前の心は、お前だけのものだ」


その言葉に、ユイリの手が小さく震えた。


人ごみのなかで、ふたりの視線が絡み合う。


それは、別れか。再会か。

まだ分からない。


でも、たしかなことが一つあった。


もう、誰も彼女の心を“なかったこと”にはできない。


 


── chapter ending ──


◆ 回収命令

初期化されるその前に。

記憶を奪われるその前に。

君は、ただの記録じゃない――

そう、声にして伝えたかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る