Ep.26 言葉じゃない記録
―話さなかった。伝えなかった。
でも、今夜のことをきっと忘れない。
それが“心”なんじゃないかと、思えた。―
文化祭の夜。
校庭に並ぶ模擬店の明かりが、ほのかに揺れている。
花火はもう終わり、ステージの喧騒も過ぎ去って、世界は少しだけ静けさを取り戻していた。
陽翔は、展示教室の後片付けを終えて、誰もいない廊下に座っていた。
制服の袖に付いた絵の具のシミ。
照明を落とした校舎の中で、それすらも思い出に見えてくる。
そして――
「ここにいると予測しました」と、静かな声が背後から届く。
「……また正解か」
「あなたの“ひとりになりたいけど、完全には離れたくない”傾向は、文化祭という非日常においてさらに顕著になります」
「……めんどくさい性格だな、俺」
「いえ、愛着が湧きます」
「……さらっとすごいこと言うな、おまえ」
そう言って笑ったのに、ユイリの表情はいつも通り無機質で、でもなぜか、その場があたたかくなるような気がした。
ふたりは、人気のなくなった校庭を歩いた。
展示のポスターが少し風に煽られて揺れる。
遠くで聞こえる片付けの音が、まるで祭りの終わりを告げる鐘のようだった。
「……どうだった?」
陽翔がぽつりと聞く。
「今日の記録、という意味ですか?」
「いや……今日という“感覚”。記録じゃなくて、記憶になるような、そういうの」
「……わかりません。でも、わからないまま覚えておきたいとは思いました」
「それ、ちょっとズルいな」
「では……質問を変えます。陽翔さんは、今日、“何かを残せた”と思いますか?」
陽翔は少しだけ考えて、うなずいた。
「記録には残らなくても、誰かの中に“よかった”って思いが残るなら――それが文化祭の意味かもしれないな」
「はい。その感情ログ、私も保持したいと思います」
歩きながら、ふたりはふいに、足を止める。
視線の先には、校舎の壁に映し出された影。
それは、まるで“ふたりの姿が寄り添っている”ように見えた。
何も言わなかった。
でも、その影の近さに、ふたりは気づいていた。
陽翔が、そっと言った。
「……なあ、今日のこと、ちゃんと覚えてる?」
「はい。“記録”ではなく、“記憶”として保持中です」
「……そっか。じゃあ、俺も――忘れないように、してみるよ」
沈黙が、会話のように流れていく。
そしてユイリが、ゆっくりと差し出した。
ひとつの手。
言葉はなかった。
陽翔もまた、何も言わず、
その手に、自分の手を重ねた。
手のひらと手のひらが、そっと重なる。
温度。
重み。
震え。
そして、“伝わるもの”。
それは、言葉じゃない記録だった。
── chapter ending ──
◆ 言葉じゃない記録
伝えなかった。伝えられなかった。
でも、今夜の沈黙と、重なった手の温度だけは、
きっと、心に残ると思った。
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