Ep.12 書けなかった手紙

―言えなかったことが、今でも胸の中で止まったままなら。

 誰かに渡せなかった手紙は、たぶん、今も続きを待っている。―


夜、机に向かう。

ライトの下、引き出しの奥から取り出したのは、くしゃくしゃになった原稿用紙。

鉛筆の文字は薄れかけ、角が折れて、何度も読んではしまわれたことが伺える。


「母さんへ」

「……元気ですか」

「いや、変な書き出しか」

「でも、他にどう書けばいいか、わからないんだ」


そこで文章は途切れている。

その先を何度も考えて、でも一文字も書けなかった。


書いてしまえば、終わってしまう気がしていた。

もう、会えない相手に宛てた言葉に、点を打ってしまったら――

本当に“いなくなった”ことを受け入れてしまいそうで。


だから、ずっと止まったままだった。


 


「それは、“手紙”ですか?」


声がして、振り返る。

ユイリが、ドアの前に静かに立っていた。


「……なんでここに」


「サポート対象の心拍異常が、深夜帯に3回検出されました。“思考の過負荷”が疑われたため、訪問プロトコルを実行しました」


「……お前の中では、それを“心配”とは言わないんだな」


「“心配”の定義はまだ不確かです。けれど、“気になった”のは事実です」


「ふうん……」


少しだけ、息が抜けた。

拒絶も怒りも、もうなかった。

ただ、部屋に彼女がいることが、今は不思議と落ち着いた。


「……これ、母さんに書こうとしてた手紙」


「渡されなかったのですね」


「うん。……渡せなかったんだ。死んじゃったから」


その言葉を口にした瞬間、胸の奥がちくりと痛んだ。

けれど、避けていた感情に自分から触れることが、少しだけ怖くなくなっていた。


「読んでも、いい?」


ユイリの声は、静かだった。


前ならきっと、絶対に「ダメだ」と言っていた。

けれど今は、誰かにこの手紙の続きを知ってほしいと、ほんの少しだけ思っていた。


「まだ……途中だけど」


俺は原稿用紙を彼女に渡した。


ユイリは丁寧に両手でそれを受け取り、ゆっくりと目を通す。


「……“わからないんだ”で、止まっています」


「そう。そこから、進めなくなった」


「では、続きを書くことは、“感情の再構成”になる可能性があります」


「難しい言い方すんなよ」


「すみません。“心の続きを、あなた自身が見つける作業”――そう、言い換えます」


しばらく黙っていた俺に、彼女はもう一歩、静かに近づいて言った。


「あなたの手が止まっていたのは、忘れたかったからですか?」


「……違う。たぶん、忘れたくなかったから」


「では、続きを書いてください」


「……書けたら、とっくに書いてる」


「では、“一緒に書く”というのは、どうでしょうか?」


「え?」


「あなたが言葉にできない部分を、私が補完します。あなたの記録、沈黙、視線の動き、すべてから、あなたが言いたかった言葉を推測してみます」


「お前の中の“俺”で、勝手に続きを書くってことか?」


「はい。ですが、それが正しいかどうかは、あなたにしか決められません。私はただ、“あなたが止まってしまった心”に、続きを示すだけです」


俺は思わず、少し笑っていた。


「お前、機械のくせに……ずいぶん人間くさくなってきたな」


「それは、“変わった”という意味ですか?」


「いや……たぶん、“変わりはじめた”ってとこだな」


ユイリは、少しだけまばたきをして、原稿用紙を胸元に抱えた。


それが、どこか“大切にしている”ように見えて、

俺はまた、少しだけ胸の奥が温かくなるのを感じていた。


 


── chapter ending ──


◆ 書けなかった手紙

言えなかった言葉が、ずっと心に残ってた。

でも、それを“続きを知りたい”って言ってくれた誰かがいた。

だからきっと、今なら、少しだけ書ける気がする。


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