第16話 雑草物語

 なんとなく岡さんのお宅をのぞきに寄ったら、久しぶりに水彩絵の具でエッセイの挿絵作業中だった。いつも手元に置いたスケッチブックには様々なデッサンが鉛筆で描かれている。そこにキャラメル大の固形の絵の具から筆でパレットに広げて色を混ぜては描くのだ。それ以外に色鉛筆なのだが下書きのデッサンに彩色した後、水を付けた筆で軽くなぞると色鉛筆の粉が微妙に溶けて水彩画になるのだそうだ。

「お忙しい時にごめんなさい」

「いいえ、そんなことないわ。

 ちょうどいいわ、お茶の休憩にしましょう。野口さんもご一緒にどうぞ。コーヒー煎れますは?」

「きょうは画家ですね?」

「散らかっててごめんなさい。

 たまにまとめて絵の具塗りますの。

 ほんとうに私の絵はお料理と同じで行きありばったり。固形絵の具もこの色鉛筆もその時の気分で一緒に使ってしまいますの」

「おや、可愛いお花ですね?」

 壁に掛かった一輪差しに白く淡い紫色の草花が飾られていた。

「あら、よく目が留まったわね」

 岡さんはいつも散歩に出かけるお供のキャンバス生地のショルダーバックから一冊の本を取り出した。

「それとこれね」

 ビニールの表紙の手帳なのだ。

「いつもスケッチブックとこの手帳をバッグに出掛けますの」

と、見せてくれたのが「雑草手帳」だった。

 ポケットサイズの図鑑。と言った方が解りやすいかも知れない。

「なんです?『雑草手帳』・・・」

「このお花、ハルジオンと言いますの。雑草なのね」

「よく、散歩の途中で気が付いたお花、この手帳で調べたりしますの」

「ハルジオン。よく見る雑草でしたが、フィラデルフィアの大地に咲く野の花とありましたわ。不思議ね。雑草の雑学ね」

 さっそくそのページをめくると、赤いサインペンで棒線が引いてある。手帳には他にもメモ用紙や付箋紙が付けられていて、書き込みが沢山あるのだ。

「えっ、あのアメリカのフィラデルフィアの雑草ですか?」

「こんな世界があるのですね。これなら必ず発見がありそうですね。しかし名前もですが出身地を遡れるなんて戸籍みたいじゃないですか」

 なるほど、雑草手帳。

 なるほどですね、雑草手帳。すべての単なる雑草に名前や謂れがあるのですね。

新鮮です。これも、岡さんの創作ノートの一部なんですね」


 雑草手帳

 正しくは

 「散歩が楽しくなる雑草手帳」

とあり


 本書は図鑑ではなく、手帳である。

「よく似た雑草の種類を見分ける」というよりも「こんな雑草があるのか」と雑草たちの物語を楽しんでみてほしい。

そして通勤途中や、昼休みに気になる雑草を見かけたら、ポケットから取り出して雑草の物語を読み返してほしい。



「なるほど、雑草ですか?」

 そんな花を探せたことを誉めるらしい。

 健気に折角咲き誇った姿を愛でるともおっしゃって、私にはなんとも少女趣味的に思われたのだが、

 そんな時にこの手帳で少し調べてみると、面白いとおっしゃるのだ。

「お散歩の時にはスケッチブックとこの手帳をカバンに出かけますの」

「うーん、フィラデルフィアですか?」

「そうらしいですの。どうやってはるばるシティまで運ばれて来たんでしょうね?

お隣りの中国からは黄砂に乗って草花の種子が飛んでくるらしいの。でも、アメリカ大陸のフィラデルフィアでは遠すぎるし、偏西風の逆向きね。でも以前、風に乗っている間に種子が発芽し、やがて大気の水分で育った双葉で地上に降りて来る植物もあるらしいの。そればかりか、黄砂を利用して群れで移動して渡り鳥みたいに渡って来る蝶々もいるそうよ。そんなふうにイメージが膨らむでしょ?。」

「本当は船の積荷や材木に潜んでいた種子が港周辺へ上陸したんでしょうね。でも私は何周も地球を回っていた種子が気まぐれに着地した方が素敵だと思ったりしますの。まあ、『雑草物語』ね。

 フィラデルフィアの上空から地球の大気を何周も回っている内に、気まぐれに着地したところがたまたまシティでしたの。どこでも良かったのにたまたまシティだった偶然がこのお花ですの。わたくし、その偶然さとか気まぐれがとても好きですの」

と、すでに彼女は詩人なのだ。

「よかったら、お持ちになって。散歩のお供にはうってつけよ」

「でも大事なノートですよね?」

「そんな事より、野口さんが今、雑草たちに少しでも興味を持たれた発見の方が大切よ!。ちょっと汚してますけど遠慮せずにどうぞ」

 私は早速、手帳をお借りして

「フィラデルフィア フリーダム」。

 エルトンジョンだったか、以前よく聴いた記憶のあるナンバーを思い出しながらキッチン脇のテーブルでページを繰った。


 目に留まったのは「キツネノマゴ」。

 さて、何の名前だったか、天気雨のことだったか「キツネの嫁入り」という呼び名を思い出したりしながら、その不思議な名前の謂れを読んだ。

 花の姿がキツネの顔に似ているからという説と、花が咲き終わった後が、キツネの尾のように見えるという説とがある。孫のようにかわいい。

 花言葉は「この上なくあなたは愛らしく可愛い」。

 平安時代の薬草の書物「本草和名」に記される古くから知られる薬草。生薬名は「爵床」やくじょうと言う。咲き終わったあざみの花弁から一輪、淡いピンク色の三角錐を逆さにしたような小さい花が咲いている。

■生息地 (公園 道ばた)とある。

 まさに雑草の雑学なのだ。


 早々手帳とパイプを持ってシティが一望できる丘へ向かった。さあ、キツネノマゴ、ついでにハルジオンも生えているだろうか?。

 丘からシティを眺めながら牧草のベットに横たわり、思わず目を閉じた。

 うつら、うつら。

 そしてしばらく・・・

 ふたたび目を開けると、いつの間にかくわえていたパイプは草の上にころがり、仰向けの姿勢。目前にはまったく180度全開の快晴に近い青い空に驚いた。

 何かの曲の歌詞にあった、どこまでも高い空とはこの青さを言うのだろう。

 ひょっとしたらフィラデルフィアからの種子が舞い降りてくるだろうか?を考えた。

 今にして思うと私自身も彼らのように元の世界から縁もゆかりもないこのシティに舞い降りてきたような存在なのだ。もともと我々人類も彗星の背中に乗って地球に体当たりしただけの偶然という説もあるらしい。あらゆる生物の素の有機物。そこから人類も始まった。その偶然さに意味があるらしい。

 私のスピリッツとはなぜこのシティを選んだのだろう。ひとつ明快な事はその舞い降りてきた様な私をお隣の岡さんとは100%疑いもせず、受け入れてくれたのだ。そこには気が良いなどでなく、質に留まらない、もっと建設的な彼女の「すべての出会いには何かきっと訳がある」。そんなディストニィ。受け入れるべき運命と強いフルオープンさを思わずにいられないのだった。



 ちなみにきょうの私の発見はカタバミとキキョウソウ、カタバミはハート形の葉、キキョウソウはアメリカ原産の帰化植物。


 そして、岡さんが長らくテーマとされているスローライフの意味を少し理解した。

【今までの生活で目に付かなかった、例えば雑草ひとつ。

 それに気が付くことが収穫で、

 目に留まるようになった動作自体がフリーダム。

 自分が自然体で生活できているサインなのでは?と。そして人を喜ばすには、喜んでもらう書き物のテーマとは、まず、自分を喜ばす事の中にある。】

 そんな風に「雑草手帳」も教えてくれている気がするのだ。



 それから数日、ふたたび手帳をお返しにお寄りすると

「あら、わざわざ。ゆっくりで良かったのよ」

「じゃ、代わりに野口さん専用。どうぞ、あなたのよ」

 そう微笑みながら、新しい同じ手帳を渡してくれた。

「きっと、また忘れた頃でもいいの、またきっと眺めたくなりますわ。そういう雑草手帳ですの」

 まったくお借りした岡さんの手帳と同じ。緑色のビニールカバーの手帳。

 私はとても嬉しくなって、言葉が出なかった。

 この数日の間に岡さんは、忙しい執筆活動の時間を割いてまで、わざわざシティの本屋さんまで行って、私のために求めてくれていたのだ。この心のゆとりこそ、スローライフ(女史の生き方)なのだと痛感した。


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