第17話 月の裏で
シティに天体観測の元教授先生がおられる事を知ったのはつい最近の事でした。
なんでも昼間はほとんど睡眠時間で、夜間にしか活動しない。大学の教授引退後、山岳圏の博物館に勤め、プラネタリウム業務にも励んだらしいが、やはりどうしても昼間は居眠りになってしまい、辞職したらしい。もう定年後の生活。細々と食べれれば良しとふん切りをつけ、空気の良い高原エリアとして夜間の研究に没頭しながら暮らしている。だから日中お会いする機会はまずないのだった。
これが僕の夢でした。そんなご本人からの説明があった。
私はシティの図書館でその先生の天文学講座があると聞いて参加したのだ。
「こんばんは。小清水と申します。もうここのシティに暮らして2年程になります」
「ぼかぁ星を見るのが好きなんです。
学生時代、初めて遠い銀河の渦を見た時、これは宇宙は広いとわかりました。
あの渦の中にたくさんの星々があって、川の流れの様な水の粒、ひとつひとつが地球よりも大きな惑星なんだと教わりましたから。
それと、今見ている渦は本当は約10,000光年という、光のスピードで一万年前の姿を見ているんだと知ったからです。だから、ぼかぁ一万年前のアンドロメダ銀河の姿を見ていて、本当はもう無いのかも知れないと思ったです。こんなマクロな秘密に興味を持ったのが天文学者になった動機なんです。
それから、ぼかぁ、月を眺めるようになりました。アンドロメダが気が遠くなるくらい遠すぎるのと、月で新しい発見があった事を知ったからです。
1969年7月、アポロ11号が月の静かな海に着陸して、2人のクルーが月面を歩きました。月までは地球から38万キロ。光速だとたった2秒だそうで、アンドロメダからすると、10,000年に対して2秒前の姿ですんでちょうど腹話術のいっこく堂さんとお話してるみたいくらいです。
アポロが着陸したのは月の静かな海は表側、それに対して月の裏側とは地球からは決して見えないと言うんです。
たしか「ネイチャー」という科学雑誌の記事でした。
実は、地球から見える月は常に同じところしか見えてません。
あのウサギが餅をついている形だけです。これは、月自身が回転する速度と、月が地球の周りを回る速度が同じだからです。と言われてますが、なんでそんな特異な条件が月と地球に存在するのか?、それに関してドイツの天文学者ヨハネス・ケプラーは1608年にすでに『夢』という小説を執筆しています。この小説には「プリヴォルヴァ」と呼ばれる月の裏側半球の世界と、その世界の住人を描いているのです。それから400年も経ってまだ 「月の裏側にはUFOの基地や地球外知的生命体の基地がある」なんて、まだまだ、都市伝説として噂されているだけなんです。
この本でケプラーはニコラウス・コペルニクスの唱えた太陽中心説(地動説)を全面的に支持しています。天文学者の中でコペルニクスの説を全面的に支持したのはケプラーが初めてであり、これを読んだガリレオ・ガリレイはケプラーにその考えを支持する旨の手紙を送ったと言われていますが、当時、宇宙は地球を中心に回っていると思われていて天動説。これに異を唱えた彼はカトリック聖教への冒涜者と呼ばれ、それが当時のオーストリア大公フェルディナント2世はケプラーをプロテスタントの聖職者と教師の職からの退去を命じ、彼は無職となってしまうのでした。
そんなケプラーの話を知ってから、ぼかぁ、月の裏側が研究テーマになってしまいました。そこは400年も経ってなんら解明されていない地球から一番近い場所なんです。
よーく考えると何となく理解はできます。
月は地球の周りを自転しながら回っているのです。そして地球も自転しながら太陽の周りを1年かけて回っているわけです。で、月の裏側からは地球は見えないという理屈はなんとなくわかりますが、では、月の表側から見る地球とはいつも同じ面なのか?、地球の表と裏側とはどこだろう?、そんな事をあれこれ考えたりしてました。それと月の表には大きな海と呼ばれる平坦なエリアが多数分布するのに対し、裏は海がほとんどなく、表30%、裏2%で、裏側とは無数のクレーターだらけだそうです。なんで、自転している月の裏表でそんな違いが生じるのか?。
月の自転と地球の自転が同じでシンクロしている辺りからしてなんとも不可思議です。怪しいと感じました。そんなご都合が偶然というのも驚きですが、月の裏側の生活とは昼間が二週間、その後、夜が二週間だそうです。月は1カ月かけて地球の周りを公転しながら、地球に付き合って太陽の周りを1年かけて回るのです。私にはそんな月の地球へのお付き合いみたいな動きがどうしても腑に落ちないのです。
月によく大気がないと言われてますが、地球の10%程の窒素や酸素が存在するクレーターがあるそうです。そこには何らかの光が点在しているのが見られるのです。そして最近の科学雑誌では、月の裏側には街があり、ピラミッド型のモニュメントもあり、その街とは別の生態系の人々が大きなクレーターで鉱物を掘削しているそうです。
なんでも、掘削現場は街から離れていて、クレーターの近くに葉巻の様な形の船が停められていて、現場で働く人たちは身長160センチくらいで、裸で皮膚は緑色だと言うのです。ひょっとしたら彼らは宇宙人とも言えますが、我々人類の祖先なのかも知れないと言うのです。宇宙船でほかの天体から月まではるばる地下鉱物を掘削に来ているのかも知れません。月の裏側のクレーターでチタン鉱石を掘削しているらしいのです。そして彼らに地球を侵略しようとの意思はなく、ただ、そっとしておいてとテレパシーで送って来たそうです。
それ以来、その記事の事が私は頭から離れず、もう、ここ2年以上、何度も想像しては月の表側を眺めて来ました。
なんとも悲しい話です。かなりSFじみた話しですが、真偽のほどは?、というよりも可能性として知っておいた方が良いと思うようになりました。
我々の今の文明も100年、200年と発展していけば、惑星間も光速以上に速く移動できたり、他の惑星に移住して暮らすようになることも可能かもしれません。ただ、それが永久に続くわけではなさそうです。地球環境がまた大きく変化し出して住めなくなることになるのかも知れません。その月の裏側の先輩方のように、我々もどこかの惑星に地下鉱物を掘削に行くやも知れないのです。それは1,000代後2,000代後でしょうか?。
確実に予想されるのは人類は栄えては滅び、栄えては滅びを繰り返しているという事です。
そして、地球にも、例えばエジプトのピラミッドをどう作ったか?、ペルーのナスカの地上絵とは、上空でしか識別できないサインを誰が何のために描いたのか?、イースター島のモアイ像など、どうやって巨石を並べることができたのか?、とは現在ではわかっていませんが、それも我々の先輩方が残したモニュメントなのかも知れない。そんな風に言われているのです」
「月が常に同じ半分側を地球に見せているので、地球からは見えない反対側は長い間ナゾでした。月の裏側を初めて撮影したのは、旧ソ連の探査機「ルナ3号」です。1959年のことでした。その後もいくつかの探査機が月の裏側を撮影していますが、2007年9月14日に打ち上げられた日本の月周回衛星「かぐや」は、月全体の表面の様子を初めて詳細に観測しました。あのかぐや姫にちなんで命名された探査機ですが、そのかぐや姫のお話、竹取物語自体、過去に実際にあった逸話から言い伝えられてきた物語では?とも言われてます。ただ、まだ、人類の有無や都市の発見にまでは至っていません。」
「こんな風に様々な情報から、私は地球から一番近い月の裏側に我々の人間文明の発祥のヒントがあると私は信じるようになりました。
つまり、私が研究しているキモとは、現在が人類史上一番文明が発達しているかはわからないという事。以前、今よりも発展していた文明が何度も繁栄、衰退し、地球や月に限らずどこからか惑星からやって来ていて、長い時間の中で時々の足跡を地球にも残していたのではないでしょうか?。そんなイメージを膨らましていくと、月の裏側にUFOが停まっていて、緑色の人間型の生態系が存在していて、彼らが我々人類の祖先で。と、 まだまだ宇宙には様々な謎があるんだと思います。
ぼかぁ、そんなSFチックなイメージをばかばかしいと考えず、それに負けない新たなイメージを想像し、発見する日々に生きがいを感じているのです」
「月を望遠鏡で日々眺めていると様々な発見があります。幾つかのクレーターに灯りが点いたくらいに光って見える時があります。
その月の公転、自転が少しもずれずに動いているところが偶然に思えません。何らかの運転管理を感じるのです。さあ、誰が、何が、操作してるのでしょう?。お互いの引力のバランスが存在することは解りますが、マニアル的な運転を感じるのです。
一定の滑らかな自転に感じられない瞬間があるのです。
なんとなくサーボモーターの微調整しながらの動きを感じるのです。
特に月の自転に車のハンドルや自転車のペダルでも漕いで回転させているようなマニアル的な運動を感じる時があるのです。
なんでも火星の衛星のフォボスという天体はまるで口を開けているようで中は空洞だと言われています。まるで構築物。誰かが作った人工物のような感じなんです。月も造られた天体で、常に運転されているのでは?。
月の円周付近を観察し続けていると何か大きな影が動く時があったり、少しだけ裏面のエッジ部が表面に広めにのぞいている日もあるんです」・・・
その夜の事だ。
いきなり私は現場で働いていたのだ。
ここ2週間働いて来た。
チタンの鉱石を掘り起こすのだ。
この現場は非常に寒いのだ。
ただ防寒性能に優れたスーツなので、直接的な冷気は感じないが痛いのだ。つるはしに似たツールに指先がひっついてしまい、いくら頻繁に握力解除信号を送ってもツールと指先が一体化してしまい、重たいので、パワーインジケーターがすぐエンプティ領域になりそうだ。
この現場に来てすでに二週間。正しくはそれがワンクールらしく、周囲で働く同じ背格好のメンバーが周囲に漏らす「シュー」という圧縮空気のような吐息の周期が早まって来ていて、はるか水平線がかなり明るくなって、久々の休憩時間の期待が感じられる。
よく考えてみればこんな変則シフトでの作業は初めてなのだ。
二週間連続、しかも北欧か南極並みに暗く夜が続くのだ。徹夜が二週間のお仕事。その後はなんでも暑くてツールも使えない程。
季節が逆転したような暑い昼間が二週間続くらしい。
隣で働く、私は勝手に「ポール」と呼んでいる彼が、新入りの私に興味を持ってくれたらしく、何とはなしに信号を送ってくれるようになったのだ。
彼によるとこの現場では、暗く寒いなんて文句は、もうすぐやって来る明るい二週間の恐ろしさを知らないから言えるそうだ。
「そんなに違うのかい?」
と尋ねると
「息ができない熱気でスーツの足が接地して、身動きができなくなる」
「地面の小さい粒子が熱気に乗って舞い上がり、何も見えなくなるんだ。あんな沢山見える点も一切見えなくなるのさ」
と上を指差すのだ。
ポールは「砂嵐」という言葉も「星々」という表現も知らないらしい。
確かにこの暗い作業中、唯一のなぐさめは天空を見上げた時の満天の星々の輝きだけだ。
以前のホームグランドから眺める夜空とは地上の灯りがいかに邪魔していたのかを思い知らされた。本当に星々が無数に見えて奥行きの際限がない。
星々が降ってくる感覚がする。
確かに、ここの現場ではたまに隕石が燃え尽きもせずダイレクトにそのまま降って来る時がある。ポールは何度かそんなアンラッキーな確率に直撃され、現場を離脱して行った同朋を数人目撃したというから恐ろしい。まるでどこかの紛争地の夜間ドローン攻撃じゃないか。
確かに、たまに地平線のはるか端で何かがかすかに光る時がある。
そんな瞬間。痛みまでは感じないが、衝撃だけは感じるのだ。
もうすぐ我々はプラントのある現場に移動し、採掘した鉱石からチタニュームの精製作業を続けるらしい。ポールがしゃくるあごの先には、全長300mくらいはありそうな船が着陸していて、そいつに乗り込むらしい。そして遥かに遠方の現場ではドーム内の作業が待っているそうだ。そこは隕石は落ちてきてもその現場には大気層があり、しかも、ドームにはじかれるから安全らしい。
「あなたはどのくらいまで生きて来たですか?」
とポールが信号を送って来たので
「はい、わたし、もう50年過ぎて、実は来年55で、私のホームグランドではもう定年なんです。ホームグランドの天体では太陽という星の周りを一周回ってビット1です」
するとポールは
「我々とまったく違って数えてますね。我々は何回オーバーホールしたかで比べて、ぼくはスーツを4回替えたから、ザッとあなたの数え方のルールだと指が3本、ともう1本、だから395年歳」
そう突き出したポールの指は3本しかないので、もう片手の指を一本足して見せるのだ。しかし、一体どういう計算なのか私には理解できなかった。
「私のホームはこの裏にある天体ですぐ隣のはずなんです」
「ああ、聞いたことがあるです。そこは核や争いばかりの酷いホームグランドですね?。あまり醜いと、そこ、住めなくなるですね」
嗚呼、ここはさしずめ月浦鉱産。
主にチタニューム鉱が採れる。・・・
ポールはこんな作業を400年近く続けているらしい。
他に知らない、生まれながらにしてこそできる繰り返しの日々。
ただ、彼らから見れば、我々の生活もとても儚く醜い生態。
そして、私は、いつまでこんな生活が続くのだろうか?。・・・
そんな心配を始めた瞬間、私はすでに起き上がっていた。
寝汗で頭皮まで濡れていて、なぜか、私はあわてて手の指を数え直したのだ。
翌朝、いたたまれず、私はお隣の岡先生宅でお話した。
流石、物書きをされていて世の中に明るい先生。そんな彼女の意見がどうしても聞きたくなったのだ。
「小清水さんとおっしゃって、お話しに引き込まれました。『ぼかぁ』と自分の事をそう言うんです。なんでも、もう定年過ぎて毎晩望遠鏡で月を眺めながら観察されているそうです。
そういうのを悠々自適の生活と言うんですね?。そのためにシティに移住されて、そんな没頭できる目的を持たれていて、うらやましいと感じました」
「それは、それは。小清水さん?、お歳より若そうな方よね?、確か以前何回かやっていたわたくしのエッセイ教室にも一度、来られてた方ね」
「えっ?、岡さんの教室に来られたいたんですか」
「ええ、確か天体観測が趣味って自己紹介されてましたわ。月の裏側なんて、わたくし初めて知りましたわ。それに定年後にシティに来られた方?、ちょうど夜の教室だったから参加してくださったのね。
そう、毎晩月を眺め続けていらっしゃるの?」
「ええ、月ばかりとおっしゃってました。だから、月の表面のクレーターのひとつひとつは、住み慣れた街や横町の何本目の路地、街角にあるポスト、そんな風に身近で、たまに新たな隕石が落ちてできたクレーターに名前を付けたりされているそうです。『ぼかぁ、シティの盆地こそ、太古のクレーターの跡に思えてます。だから、いつの間にかぼくにとっては、シティが月に一番近い場所になってしまいました』とおっしゃって、もうすっかり月の表面の場所は頭に入れられているそうです。そして、『実は表側にもいつ頃の時代か、文明の跡らしきものが何箇所か・・・』なんて、話されてました」
すると、岡さんは遠い目をされて、しばらく考えられていた。
そして、こう話を続けたのだ。
「わたくし、小清水さんが一番身近かな月を研究しようとしたか、なんとなくわかる気がしますの。よくその原点に戻られたわね。これからの我々人類はどうしていけば良いかを勉強されたのね?。そう、確かにここのシティも太古のクレーター跡だったのね。
緑色の我々の先輩方はそんなによその星までそのチタンを掘りに来なきゃ生活できないのね?。わたくし、つい、中学校で教わった大航海時代のお話を思い出してしまいましたわ。社会の教師の顔まで。
野口さん、ご存じ?。南米大陸のブラジルの方々は今もポルトガル語で、ペルーの方はスペイン語を話されますの。それが西暦1500年代大航海時代の植民地化の名残りですのよ。それからもう500年以上よ。わたくし、『自分達の生活の中で、自給自足以上の便利が必要』になったら、その文化は失敗だと教わりましたの。その時はわたくし、きっぱり滅亡しますわ。
そんな事を感じられたんじゃありませんの?」
「それと、野口さん、いくら夢とはいえ2週間の夜間作業お疲れさまでした。おかげでわたくしまで改めて勉強になりましたわ」
「ありがとうございます。また、居眠りで勝手に疲れただけなんですが、とても悲しい経験でした。将来、またポールの手伝いに呼ばれそうで。なんとも落ち着かず岡さんにお話ししたくなってしまいました。ごめんなさい。
元々、月の裏側と聞いて、私なんかは餅つきに疲れたウサギが交代でサマーベッドに寝そべり、タバコでもふかして休憩してる。なんて冗談しか浮かびませんでした。それが、昨夜は恐ろしい体験でした」
「あら、野口さん、そういう発想いいわねー。好きですよ。タバコ吸わないウサギは味見とか言いつつ、できたてのお餅をつまみ食いね?」
岡さんのこんな言葉ひとつひとつは、すでに、まるで一冊のエッセイ作品なのだった。
そして、ようやく私は地球に戻れたのだ。
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