第15話 ブータン オンマイマインド
久しぶりにシティの図書館に寄るとアマチュア無線の篠崎さんがおられた。
何やら一階のコンコースで新聞ホルダーを繰りながら何か調べものらしい。
「おやおや、野口さん、あなたも新聞ですか?。私はたまにここで世の中に遅れないよう目を通したりしてしてます。ええ、新聞取ってないので・・・」
そして、
「今度、ブータンという南アジアの国から使節団の御一行がシティにも立ち寄られるらしいですよ」
シティジャーナルという記事なのだ。
「ブータン」は正しくはブータン王国。
南アジアに位置する立憲君主制国家。北は中国、チベット、東西南はインドと国境を接する。北部は標高3000m以上の高山はツンドラ気候、中部は標高1200から3000mまでのモンスーン気候、南はタライ平原と呼ばれ、亜熱帯性気候が並存する。面積にして38394㎢、人口69.6万人。九州ほどの国土。そして、何よりも興味が湧くのは国民総生産GDPならぬ、国民総幸福度GNHgross national happinessを提唱し、国民の幸福度を重んずる国。過度な工業化、経済発展を求めず、古来からの暮らしを守り、隣国と協調しながら存続を目指す国家である。
君主は1980年生まれ、若き45歳のジメク・ケサル・ナムゲル・ワンチュク第五代ブータン国王。彼は足繁く全国を訪れ、様々な問題に直接耳を傾け、自ら問題解決に奔走する。そんな姿勢から、国民は皆、尊敬の姿勢を示しているのだ。
使節団は内務省、経済省職員からなる数名で、1976年度より新未来都市計画タウンとして造成が開始された当シティにも大変興味を持たれ、国内各エリア移動の際、視察を希望されたものです。
日程は7月5日・6日。
5日の夜にはシティホールでレセプション予定。
自由参加。詳しくはシティ開発管理組合まで。
「篠崎さん、どうにも不思議です。ブータンですか?。
私、一昨年ですが偶然ドイツかブータン旅行を思い付き、特にブータンはガイドブックでかなり調べた記憶がある国なんです。ドイツは夜中のBSでマイセン磁器の番組を見たから、ブータンは国民の幸福度を重んずる国。過度な工業化、経済発展を求めず、古来からの暮らしを守り。なんてゆるやかな国策が気に入って・・・。
特にブータンは「ブータン紀行」という本にハマり、シティに来るようになるまでに何度も朝方の夢や通勤中の居眠りの中で訪れた国なんです。
いやね、それがですね行けなくなりまして・・・」
一昨年、前の街ではパンデミックで一切海外旅行や一般人の渡航が禁止されたのだ。
今にして思うと、すでにあの時点で私は精神的にかなり不安定で、レコード針の仕事になんら希望も持てず、さらに自身の今までの生活、日常にすら無意味さを痛感していた。
なんでも良かったのだ。
何か別の世界で一度リセットしてみたかった。
多分、私の現実逃避とはすでに始まっていて、何かにすがるように、きっかけを捜していたのだろう。
すでに何度もブータンのガイドブックを読んでは、夢の中だけで現地を訪ねていたのだ。
私は地元の街で、市役所の窓口で尋ねたのだ。
マイナンバーカード申請のついでにパスポートが切れていたことを思い出したまでだった。
住民票の係りのおばさんだ。
「あのぉ、パスポートの申請用紙って、どこに行けば貰えますか?」
「はいっ?、パスポートですか?」
彼女はなぜ驚き顔なのか?
次いで、印紙を求めて窓口を訪れると、
「パスポート申請なんですが、申請書に額面のヤツをこちらで印紙を買って、貼ってから出すんですよね?」
「えっ、パスポート申請ですか?」
また、同じようなリアクションに疑問が残った。
申請から10日ほど、受け取りに行った。
相変わらず、窓口は待つこともなく、引換券と免許証提示で受け取った。
「どちらか行かれるご予定ですか?」
窓口の係りから質問された。
「いや、まだですが、ブータンかドイツあたりにでも行こうと思いまして」
すると
「ブータンですか?、そうですか、いずれにしても今はまだ。外務省のホームページに詳しい情報がありますから。
今、まだ大変な時だから、ねぇ?。」
解っていればいいが、念のためと言わんばかりのコメントが返ってくる。
やはり、なんにしても窓口とはある程度、行列で待たされないと落ち着かない。ただ独りいきなり、私の順番となることを「出頭」と呼ぶのではないか?。なんとなく、町ぐるみで私を陥れようと、何人かエキストラを配しているような錯覚すら感じ始めたりするのだ。
この窓口まで映画のセットのように、私がエレベータに乗ったタイミングで慌てて組み建て、今、きびすを返して戻ればすでに空き部屋なのではないか?。そんなスパイドラマを見たことがある。まるで悪い夢でも見ているような・・・
受け取ったばかりのパスポートをカバンにしまいながら、同じビルでついでに旅行パンフレットでも貰っておこうと訪ねた格安旅行社はシャッターは上がっているのだが電気が消えていた。
仕方なく割高価格のとなりの店舗のカウンターで尋ねた。
「あのぉ、パンフレットもらいたいんですが?」
すると
「いらっしゃいませ、ゴートゥーですか?」
「いや、あのドイツとかブータンのパンフありませんか?」
「あらっ?、失礼しました。海外旅行は当社では今、扱いがありませんが、それでしたら お隣りのHISさんは?」
「電気消えてました。」・・・
そんな受け答えだった。
そうだ、これは「ドッキリ」なのだ。まるでテレビ番組でよくやっている「どっきりカメラ」のロケ。そんなイメージなのだ。・・・
そんなことを考えながら今度はゆっくりエスカレーターで下った。少し、頭の整理が必要だったのだ。
パスポートが待たずに受け取れ、旅行社も閑そうで、シャッターは開いているのに電気が消えている店まである。海外に行こうとする人間がまったくいない事実。これは確かに妙。非常に不思議な現象。そして、それでも海外旅行に行こうとするヤツは不安全行動、命知らずのトラベラー。私にはそんな風に思えるのだった。
帰りの電車でまた本の続きを読み始めた。
この前、図書館で偶然借りた「ブータン紀行」。
今、手元に新たなパスポートがあるせいか往路での読み方とは違い、私は引き込まれるように目で追った。
いつの間にかさっきまで地元のイオンモールにいたはずの私の乗った飛行機は、国内唯一のパロ空港に到着するところなのだ。
小さいながら真新しく、清潔な空港だ。
迎えに来てくれたのはガイドのツェンチョ君。
民族衣装の「ゴ」と呼ばれるどてらのような上着に、飛脚のようなパッチ姿で軽快そうだ。先ずはパロ空港から首都ティンプーに車で移動だ。とにかくは昼食なのだ。
ティンプーは人口10万人、標高2320m。
さっそく、レストランで昼食を摂った。
トウモロコシをバターで炒めて揚げたゲザシップと唐辛子の野菜炒め。なんの料理にも唐辛子が必須だそうで、日本のホウレンソウやキャベツのように唐辛子が入っている。バター入りの「スジャ」と呼ばれるミルクティーととても相性がよく、もうこれだけで腹いっぱい。
私が食事を終え「スジャ」をお替りしていると、ガイドのツェンチョ君がこっそり唇にピースサインを押し当て
「スモーク、スモーク?」
と、誘ってくれた。
店の裏にバケツがあり、すでに数人の若者が休憩中なのだ。
なぜか一目で外人と分かるらしく、見せてはならない舞台裏をのぞかれてしまったよそよそしさを用意するのだ。
なんでも、ブータンでは喫煙はご法度で、公共の場では禁止と身振りと片言英語で教えてくれた。同様に、「ゴ」と呼ばれる民族衣装着用も必須だそうだ。
私も片言英語で、あわてて手ぶり身振り。大きなモーションで、同じ愛煙家、単なるタバコ好きをアピールする。
「カーディンチェ」ありがとう。
「サンキュウ ホーユア カインドネス。アイラブ、スモーク、ベリマッチ」
「オッケー、ラストスモーク、ソーマッチ!」
昼食後、車は山の方角へ向かい、ボンデという村で止まった。
ここに日本人の開いた農業試験場があるのだ。
「西岡チョルテン」と呼ばれる、野菜や果実栽培を普及させたという施設だ。ミスター西岡京治とは1964年から1992年までJICAの農業指導員として「国の恩人」とまで呼ばれるほどブータンの農業普及に貢献された人物で、記念碑まで建立されている。
ガイドのツェンチョ君が
「ダジョー ニシオカ」
と連呼するので
「イズ ディス ア ジョーク? 『ニシオカ ダジョー!』モア ベター」
と言うと、ツェンチョ君は眉間にしわを寄せている。
ようやくわかって来たのは「ダジョー」とは「エクセレント パーソン」の意。
ダジョーとは冠称というより、もっと親しみやすい、キューバ革命でお馴染みの「チェ・ゲバラ」。チェとは親愛なる人物の意味と本で読んだことがある。だから「よき友 西岡」「最愛の 西岡」「我らが兄貴、西岡兄さん!」「ファンタスティック!」そんな身近なイメージらしいと解って来るのだった。
「エクセレント ニシオカ?」
「フレンドリー ニシオカ ダジョー?」
次第にツェンチョ君の機嫌も良くなったところをみると、当たりらしい。ダショー西岡と冠称号でまで呼ばれ「最高の人、西岡」そこまでこの国に貢献された方と理解し、記念碑に手を合わせ失礼を詫びた。
それから車はふたたび空港のあるパロ近郊まで下り、また違う尾根道を登り始めた。
「タクツァン僧院」虎の巣の意味、というガイドブックにある寺院を目指しているのだ。
この寺院は山の中腹の崖をくり抜いて文字通り断崖絶壁に張り付くように建っている。ふもとの空き地に車を止め、遥か天上まで石段と急峻なまるで登山道を登った。僧院のテラスからの眺めはその500m近く切り込んだ絶壁の懐に圧倒されるばかり。遥か幾つも山間の平地が点在して見えているが、対面も山また山が連なっている。その山々の上空に広がる空はひときわ青く高く見えるのだ。澄んだ大空のもと、ここまで2時間は歩いて登ってきたが、それだけの価値はある眺望だ。
夜、首都ティンプーのNorling Hotelに泊まり、バタースープと蕎麦粉のクレープとこのホテルの名物らしいインドカレー。そしてブータン随一のビール、パンダビールで乾杯した。もちろん、食後にバター入りのスジャと呼ばれるミルクティーを何杯もお替りした。ガイドのツェンチョ君がまたスモークに誘ってくれるのを待ったのだ。
明日はティンプーの東70キロほどの第二の都市プナカへ向かうのだ。・・・・
私の脳裏には牧歌的なブータンの草原、細い曲がりくねった砂利道。ところどころに山岳地までに建つ石垣と白壁の立派な寺院、仏教寺院独特の白・緑・赤・黄色・青を基調とした原色のストライプ、祈りの旗「タルチョ」。我々日本人に似た顔立ちと色黒の笑い顔。そして、山間の沿道で見かけた国花とよばれている貴重な「ブルーポピー」。遥か雪を頂いたヒマラヤの峰々をバックに花弁の淡い水色と黄色いめしべのコントラスト。
澄んだ空気のせいだろう、なにもかもが鮮やかだ。強烈な直射日光と真っ青な空。まるで富士山の5合目辺りの大気と雲の流れなのだ。遠くヒマラヤの7000m級の山々から降りてくる風とは独特の冷たさと清涼さ。俗化されていない台地を渡る風に深呼吸すれば、体内の毒っ気まで洗浄される感覚がする。
「カーディンチェ ブータン」ありがとう ブータン
「ロク ジェゲ」また逢いましょう。
そして、朝方の夢とは
運転手のプンツォ君、二日目から交代のガイドのツェリンさん、シンゲイさん
民俗資料館のタシ所長
「私は ダジョー ニシオカ の孫じゃないん ダジョー」というダジャレにまで付き合ってくれたペンジョとカンドゥ姉妹の笑い顔
チモン・ラカンで親切にオーガニックコットンのお話をしてくれたプルパ先生
「二番目の奥さんによろしく!」
タシガンの仮面舞踊と初めて聞くゾンガ語
チェチュ祭でチモン村のお母さんが教えてくれた
「昔から死を迎える準備のために暮らしている」
「また、人間として生まれてくるために生きている」そんな人生観の意味
お気に入りとなったバター入りのミルクティー「スジャ」と魔除けの男根「ポー」の絵
ブータンの雪男イエティの伝説
かつて首都だったポチュ川とモチュ川の合流点にあるプナカに郷里の長野の千曲川を思い出す
北のガサからラヤへプナカから中央のブムダン、ジャカル
東のタシガンからメラ、サクテン
プナカから数々の伝説を生んだ妖気漂うラムジャム淵ツオ・・・
なにしろ、ガイドブック取材の予算をケチってか、ページの制限か、一泊2日の強行軍らしく、目まぐるしく訪ねたのだ。
「嗚呼、ブータン。ソーロング
アイシャルリターン ブータン!」・・・
思わず身震いする冷たさはマサ・コン峰約6710mからの風か?、いや、なぜか、今度は感染症予防で大きく引き下ろされた通勤電車のガラス窓からの風なのだったりしたのだ。
ブータンの草原からいきなり小田急線のベンチシートに戻って来ていたのには驚いた。
久々に快晴の青空からベンチシートへ注ぐ直射日光までが新鮮だった。
そして、何かに導かれるように私は、7月5日夕刻にはそのレセプションに参加した。
なるほど皆さん「ゴ」と呼ばれる伝統的な装いで登場され、とても親しげな笑顔が印象的だった。「ゴ」とは、一口に言ってしまえばカラフルなツムギ模様のドテラ。ハンテンと言った方がしっくりだろうか?。その襟の部分はゆったりした合わせとなっていて、きっちり襟元まで閉じられていて軽快そうだ。それと下半身は多少ゆったりしたパッチと言っては失礼だが、この上下を併せると、時代劇の銭形平次や鬼平犯科帳の岡っ引きルックをイメージしていただきたい。そして、どの顔も多少日焼けが強いが我々日本人によく似ているのだ。その証拠に、どのメンバーも集まった我々の顔を次々目で追い、「しっかし、わしらによう似とる!」言葉は解らなくとも目や口元がそんな意思を告げているのだ。
不思議な感覚がした。
一昨年、現実逃避願望から惹かれて、ガイドブックに引き込まれ、何度も何度も夢にまで見て、リアルに体験してきた記憶まで作り上げるほど切望した国、ブータンの人々が、向こうから訪ねて来てくれている。
まさに、今こそ、
「私の都合の良い居眠りの夢の中なのか・・・」
「通勤電車の居眠り?、朝方の布団の中のまどろみ?」
そんな感覚を何度も思ったのだ。
レセプションからの帰り掛け
「カーディンチェ ブータン」ありがとう ブータン
「ロク ジェゲ」また逢いましょう。「カーディンチェ」ありがとう。
そう言うと
ブータンの観光課のメンバーだった。
no gu chi san nangs pa khyod kyi khyim nang bkag tshugs ga?
野口さん、明日、お宅に寄らせてもらうことできますか?
いきなり私の名前をご存じで、私はすぐにはその意味もわからず
「ダジョー ニシオカ?、アイシャル ビジット ブータン」
ふとガイドブックを思い出してぼそり口にしていた。
すると、即座に私を西岡さんの孫かと勘違いしたらしく、大喜びされてしまった。すかさず外務省の通訳の人が進み出てくれて、私の気持ちを代弁してくれたのだが、少しでも母国語を知っている私を彼らは見逃さなかった。
「明朝、出発前にお宅を訪問させてもらえないですか?」
そんな質問の向きだった。
翌朝、私は御一行を構えて、小振りなおにぎりに味噌を塗って自慢の達磨ストーブの天板に並べ、焦げ目が付くまで焼いて、唐辛子の代わりと思い七味唐辛子をまぶして渡した。ミルクティーにバターと塩を加えたお茶と振舞った。そして、昨夜、例の翻訳機を駆使してゾンカ語のつもりで書いた手紙を渡す事が出来た。
さあ、東洋の島民製のゾンカ語と呼ばれる手紙は意味が通じたのだろうか?。
はじめまして、野口ともうします。わたしの家まで訪ねていただき感激です。私にとってブータンは大変学ぶことが多い国で、少しでもお会いできてお話できた事は私の宝物です。いつか、かならず、おじゃまする予定ですので、またお会いできることを楽しみにしております。良いご旅行を!また、お会いしましょう!
khyod dang mjal bar dga' po byung / nge gi ming la no gu ci zer/ nge'i khyim nang byon mi lu bka' drin che/ nga lu 'abd ba cin 'brug rgyal khab 'di nga lu lhab dgop le sha yod pa'i rgyal khab cig inm las dus yun thung ku cig gi ring yang khyod dang gcig khar phyad de kha slab ni'i go skabs thob mi 'di nga lu nor bu cig in/ nga gis khyod lu nyinm gcig gi tshe nges par du 'ong ni inm las log ste rang mjal ni lu re ba bskyedp in/ 'grul bzhud legs shom cig 'abd shog! log ste mjal 'ong /
すべては私のオンマイマイドというより、正確にはオンリーマイマインドの出来事だった。
ただ、私の思いどおりというか、どうしても行ってみたかった国の人達が突然、向こうからやって来てくれたりすると怖くなるのだ。まるで大きなトリック。まるで遊ばれているような偶然。話がうますぎて、また、私は新たな居眠りを始めていたのではないだろうか?。
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