第4話 地図にない街

 私はシティの商店街に買い出しにでかけた。

 まずは、美味そうで気になっていた肉屋の店先で揚げたてのコロッケで腹ごしらえし、コーヒー豆屋さんで豆を買って、一杯カップを頼んですすりながら歩いた。

 八百屋で玉ねぎ、人参、じゃがいも、パン屋さんでブドウパンを1斤切ってもらった。そして、ちょうど商店街の外れになるが、この街は酪農が盛んで牛乳工場がある。そこのスタンドで採れたての牛乳を一本飲んで、旨そうなバターを買った。

 今夜はベーコン野菜スープと、天然バターをふんだんに塗ったトーストに、コーヒーか?。

 そして、やはり気になって雑貨屋を兼ねた店でレコードを探した。

 レコードのコーナーに行って驚いたのは、その在庫の多さと、多少割高になるがレコード工場のように、小ぶりだが、アナログレコードのカッティングマシーンが置いてあり、3種類までのLPレコードから曲を選んで、その場で一枚のベストレコードを作ってくれたりするサービスがあるのだ。但し、市販のレコードからのダビングとなるので音質の保証はない。ラインナップの中には往年の「ウィッシュボンアッシュ」や「レッドツェッペリン」や、私もよく聴いた「イーグルス」などの、今となっては探すのも難しいような当時のままのアナログレコードがあるのには驚いた。それと数台のプレーヤーの中に、スピーカーもアンプも内蔵されたタイプやトシ君のアタッシュプレーヤーも見付けて小躍りした。

 ついでに本屋さんに立ち寄り質問した。

「あの、この近辺の地図はないですか?」

 すると、店主は怪訝そうな表情を浮かべ、

「もともと、このシティは地図には載ってませんよ。単純な街だから迷うこともないからね。」

と、言いながら一枚の手製マップを取り出した。

「それは、ひょっとして『地図にない街』?、ってことですか」

「さあ、なんでか私もよくは知りませんが、シティができた当時からで、多分、作っても売れないから載せてないんじゃないかね?」

 そして、手作りのマップを指しながら説明してくれた。

「今が、シティのほぼ真ん中ね。ここがうちの店です。そして、そこの交差点がこれですね。商店街のはずれが牛乳工場ね。その先は牧場・・・。大体、シティの交差点は9カ所、そして、外からシティに続く道は5箇所なんですよ。それぞれがトンネルに続いています」

「この前、電車の駅前からバスで『レマン湖』って行きましたが、それはどのトンネルからですか?」

「ああ、レマン湖ね、それはこのトンネルですね」

 店主はシティの西側のトンネルを指した。

「ああ、なるほど。その時、不思議だったのがバスがトンネル入ったら徐々に下り坂だったようですが、抜けたらいきなり雪をかぶった山が見えたのに、ここのシティからは見えませんよね?・・・」

「うーん?、あそこも長いトンネルだからね」・・・

結局、ここのシティの住民はあまり外部と接点がないらしく、不思議にも思わないことが、私にとっては一番不思議なことなのだ。

 そして私の質問に当惑気味の住人ばかりで、その眼の奥には

「お前の居眠り中の世界なのだから、我々に尋ねるなよ!」

と投げかけていたのかも知れない。  


 シティはどこを歩いても緑や花が多く、すれ違う住民は笑顔で、映画のセットの様。どことなくヨーロッパの田舎町のような趣きがある。この雰囲気はどうだろう?。

 街路灯のフックから吊るされた丸いカゴは様々なカラーの花のボールで、まるで、ちょっとしたヨーロッパの小都市の旅行パンフにあった写真まで思い出す。こののんびりとした雰囲気がどこから来るのだろうか?・・・

 平屋か二階建ての家だけ。電柱もないのと自動販売機すら見あたらない。広告のネオンはおろか、「M」の看板のハンバーガー屋、牛丼や回転寿司屋のチェーン店もない。なにより自動車がほとんど走っていないことが、ゴッホの絵にも描かれいた少し古臭い南フランスの田舎町の様な趣きを醸し出している気がするのだ。あとは当たり前だろうが、人口が極端に少なく、のんびりした人種が多いせいなのだろう。

「こんにちは」

「いい天気ですね」

「ごきげんよう」

 シティの街角ではすれ違う住人同士、笑みを浮かべたこんな挨拶が交わされている。困ったのは見ず知らずの住民に対してどう接するべきか?優しくダイレクトに挨拶されて何と返すべきか?だった。やはり「こんにちは?」ではなく「こんにちは」と返して、その次は?等と考えてしまっていたのだが

 それもしばらくする内

「やあ、どうも」

「これは、これは」

 そうなのだ。ここは自然体で返すべきなのだ。

 突然なイメージだが、あなたは「ディズニーランドで暮らしたい」と思った事はないだろうか?。

 閉園時間間際、明日からの仕事の段取り、質問が飛び交う経営陣への収支報告、何かとクレームの多いお得意企業様への新製品プレゼン等々を思いながら最後の夜景を振り返る時。今しばらくこのランドに残りたい。なんとなればアトラクションの一角にでもこっそり留まり残っていたい。園のスタッフのメンバーはどなたもキビキビ、優しく、常に笑みを絶やさない。そんなメンバーにエスコートを受けながら暮らしてみたい。

 そんな事は警備上許されないだろうし、スタッフも着ぐるみ達も時間が来れば今までと全く違う表情。「やってられない」「あー、疲れた」「このコスチューム、蒸れてしょうがない」等と、雑多な会話に切り替わってしまう。それは仕方ないとして、それでもなお居続けたい。

 私にとってシティはそんな場所なのではないだろうか?。やはりここでの暮らしとは多分長年のストレス故、イメージとしての理想郷。突然の二つの次元を行き来するダブルエントリーとは自身にとっての逃げ場所、現実逃避から来ているのではないだろうか。



 夕飯の支度にかかる頃、お隣りのおばあさんから声が掛かった。

「野口さん、いつでもいいんですけど、うちのステレオ、レコードが掛からなくなっちゃって・・・見て下さらない?」

 お隣りは80に近い独り暮らしのおばあさん。

 引っ越し早々ご挨拶に伺うと「はい、岡 文子でございます!」といきなりフルネームで答えてくれたかくしゃくたるご婦人である。

 流石、物書きをされているらしく、世の中に明るい反面、機械には弱いと、ご本人から明瞭な説明があったりした。

 夕飯を終えてさっそく岡さん宅を尋ねると、玄関にとても大きな白黒ブチの猫がのそのそと顔を出し、「ニャオ~ワン」と奥の岡さんに来客を知らせるように首をひねって声を掛けた。

「あら、夕飯済ませて来られたの?。ちゃんとお声掛けするべきだったわ。ごめんなさい、気がきかず。パンを焼いたし、シチュウもあったのよ」

「あっ、それは恐縮です。しかし、大きな猫ですね?」

「あら、びっくりしました?、もうこの子もおばあさんで、いつも昼寝ばかりしていますの。冬になるとスチームのそばから離れないで一日お昼寝してますわ。でも、お客様が来られた時だけは必ずお迎えしてくれるのよ、ね?。『モモ』って言うんですの」

「モモちゃんですか、それは賢いじゃないですか?。おもしろい鳴き方しますよね、なにか喋ってるみたいな・・・」

「ええ、『モモ』の鳴き方でどんな方が来られたかわかりますのよ。野口さんは歓迎すべき方ですって、今、彼女はそう教えてくれましたわ」

「良かったです。モモちゃんのお眼鏡にかなって」

 私は恐縮しながら、さっそくステレオを見せてもらった。

 流石、おばあさんだけあって「OTTO」などという聞きなれない製品で、その時代の流行りの家具を思わせる重厚なコンソール式というタイプだった。

 どうでもいい事かも知れないが「OTTO」とは、確か1970年代の三洋電機のステレオシリーズ。そのロゴの謂れとは、飛行機を発明したライト兄弟にもインスピレーションを与えた1890年代のドイツの発明家、飛行の先駆者、オットー・リリエンタールと、かすかな記憶がある。その昔、物理の教師がこの発明家を指して講釈していた記憶なのだが。

 ただ、私にとっては、こんな微かな記憶にしかないものが、今、目前に物証として置かれていることに、さらに不思議な出会いを感じるのだ。

 まあ、うろ覚えでも夢に登場しているとしたら、私の夢とはなんと適当な設定なのだろう。どのみち、今、色々考えてみてもいつもの曖昧さできっと答えは出ないのだろう。

 この時代のステレオはボディの木材は立派な割りに、中身の機械は汎用品が多いなどと嚙み殺し、電源を入れてみた。するとターンテーブルの回り方が空回り気味で、針の先端が錆び、綿ぼこりが絡んでいる。かなり以前から調子が悪かったらしく、もっぱらチューナーでFMラジオだけを聴いていたとおっしゃる。ただ、この時代の物は構造も単純で、あまり器用ではないが、私クラスでも応急修理くらいならできる。電子基板ではお手上げだが、アナログ構造のマシーンとは、素人がメンテもできる構造ということなのだ。

 私は家にとって返して、仕事がら聴き比べ用に引き出しにいくつか入れてあるレコード針と、クリーナー液を持参した。

 トーンアームを持ち上げ、綿棒にアルコール液を付け、針のカードリッジから掃除し、針を付け変える。続いてターンテーブルをすっかり引き上げ、土台側のプーリーに回された平ゴムのバンドをつまみ、軽くシゴいて固結びの玉を作る。

 そんな作業を傍らから眺めていた文子女史は

「あら、懐かしいわ。亡くなった主人が同じようにあぐらをかきながらやってたの覚えていますわ。あら、懐かしい仕草ですこと」

と、すでに文学的な感想だ。

「あ、そんな。これはとりあえずの応急で、伸びた分を縮めるんです。このゴムを今度探してきますから、それまでの間辛抱してください」

「あら、そういうことなのね。主人は何も説明しないで、『あっちいってろ!』ばかりでしたわ。でも、そんなの含めて懐かしいのよ。コーヒー入れましょうね、いかが?」

「あ、すみません。私、実はコーヒー好きなんです」

 久しぶりにしっかり香りの良い一杯をいただきながら、どこのオーケストラなのか、アベマリア、亡き王女の為のパヴァーヌ、有名なフランスの古典、プレジア・ダムールまでしか題名を知らないが、何曲かクラシック調のナンバーを聴いた。

「岡さん、良い音楽ですね、ステレオもまだまだ現役です。これはリラックスしますね」

 岡さんは目を閉じ、すっかりレコードの世界を楽しまれ、とてもよい表情を見せてくれた。

 すると、すかさず彼女の膝にモモちゃんがやって来て、まるで飼い主と同じように目を細めるのだった。

 長い時間の中でどれだけこのステレオに癒されてきたかを思うと、機械と人間の理想的な姿を見させていただいた気持だった。

 シティにはこんな住民の方が多いのだろう。

 なぜか私がレコード針の関係の仕事とご存じで、こちらでも「立派なお仕事です」と誉めてくれ、パンとシチュウまでいただいて、「いつでもステレオ聴きにいらして」の一言が久々にとてもうれしいのだった。

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