第3話 山の湖
ある朝、いつものようにバスに乗り、電車の駅に向かうと、駅のゲートが閉鎖されていた。
住民が駅前広場でぼんやりしている。
「この度、当シティの独自性を守るために、他のエリアからの侵入者を制限する必要性があるとの判断により、当面の間、鉄道駅を閉鎖させていただきます。 シティ評議会」
鉄道の駅前にはいつの間にか10人ほどの住民が集まっていて、そんな注意看板を前に頭をかいているという体なのだ。
明らかによそ行きの服装で集まった主婦の一団。ネクタイに背広姿のサラリーマンもいれば、そろいの作業服姿で自動車工場とわかるマークが入った一団。ハンチング帽やパナマ帽子にアロハ姿のおじいさん連。
いずれも普段の街の住人で違和感はない。しかし、怒った表情の人物も、慌てて公衆電話に走る仕草も、駅員に詰め寄るどころか、尋ねることもしないのだ。
ただ、しばらくして気付いたことがある。
私は恐る恐る自動車メーカーの一団に近づいた。彼らが一斉にたばこを吸い始めたのを目にしたからだ。
私が何か珍しい情景でも発見したような表情を浮かべたせいなのだろう、気の良さそうなパンチパーマの青年が
「あっ、たばこ吸いますか?」
と、差し出した。
銘柄は今どき私と同じハイライトがうれしいじゃないか。ブルーのパッケージから一本押し上げ・・・、
「ダンナ、どうぞ」
私は無意識に手を伸ばし口にくわえた。すると青年は、顔を寄せてくわえた煙草を強く吸いこみ、先端を赤くしてくれるのだ。
私も思わず顔を寄せて、先端をくっつける。
「これは失礼」
もらい火でいただくたばことは何年振りだろうか?と悦に入ったりした。そして、それぞれ吸い終えると足元のアスファルトへポトリ、しっかり靴で火種を消すのだ。
「電車、動かないんじゃ工場行かれないよな。バスで釣りにでも行こうか?。・・・ダンナはどうすんの?」
と、まったくのんきなのだ。
「あれっ、お宅、今度引っ越してきた人?」
グループの角刈りの兄貴分のメンバーが尋ねた。
「あっ、はじめまして野口と申します。そうなんです、まだ先週越してきて、昨日やっとチューブが繋がったところで・・・」
「なーんだ、どうりで。チューブにいろいろジョイントしましたか?、言ってくれれば我々慣れていますから、やってあげますよ。なぁ、みんな?」
流石、兄貴分なのだ。
「そう、そう、お手伝いしますよ」
ひととおり自己紹介っぽく順番に名を名乗って・・・
「ところで野口さん?、お仕事は」
「私はレコード針の倉庫会社に通ってます」
すると、ここでも
「そりゃ、すごい。時代の花形じゃないですか。なにかさっきから一味違うお人だと伺っていたんです・・・素晴らしい。
どうですか、もう今日は会社にも行けないし、よかったら我々と釣りに行きませんか?、案内しますよ」
私は彼らにあわてた仕草もなく、まだ若いのに、なぜみんな揃って釣りなのかが多少不思議なのだ。しかもバスでみんなでなんて・・・、
なんと牧歌的な人種なのか?、さらに不思議なのだ。
私は結局、駅前ロータリーのバス乗り場へ移動し、その釣りに行くという山の湖に同行することにした。
バスは4人と私だけだった。
私には流れる車窓を眺めながら尋ねたいことが沢山あった。
このシティの地図はないか?
なんで「アナログシティ」と呼ばれるようになったのか?
なんでコンビニがないのか?
携帯電話やスマホが無くて不便では?
そしてなにより、ここは実在する街なのか?
すると彼らは口々に、
「その『スマホ』って知らないけど、なんでそれを『携帯』するんだい?」
「コンビかい?、コンビーフか?」
「『アナログシティ』なんて誰も呼ばないよ。ここでは『シティ』って呼ぶだけさ」
「野口さん、まだ来たばかりだから不思議や不便に思うだけで、しばらく暮らすとここの良さがわかるよ」・・・
そして私は、一番の気がかりなことを尋ねてみた。
「このシティからよその町へは自由に行けないんですか?。なんとなく入ってきたときは意識しなかったんですが」
「へっ、野口さん、面白い事おっしゃいますね?」
「いや、なんとなく、一度入ったら出られない町になったのではないかと?。
駅前の看板には他のエリアからの侵入と書いてあったけど、逆を言えばシティからもう出れないということなのでは?」
「へっ、みんな、野口さんに、言ってあげて、言ってあげて・・・」
と、兄貴は大げさにメンバーの助けを求める仕草なのだ。
「ケンちゃん、お前はなんでこのシティに住んでんの?」
「兄貴、それをオレに聞く?・・・、オレ、貯金もないしひとりじゃ家買えないし・・・、だからみんなのところに居候・・・そんなこと言わせないでよ」
「シゲさんは?」
「ここが居心地がいいからさ」
「トシは?」
「オレはどうでもいいのさ」
と、なんとなく曖昧な会話のまま、すでにみんなすっかり休日の顔なのだ。
バスはやがてトンネルに入った。
かなり長いトンネルで5分くらいは走っただろうか、少しずつ下っているような感覚があった。すると一気に視界が開け、いきなり高原の景色が広がった。
山の峰々には白い雪が残り、ここがかなりの標高のエリアだと感じるのだが、バスは下り続けていたことが不思議なのだ。針葉樹の林が続き、やがて大きな湖が現れた。確かに高原の湖なのだ。
「兄やん、こんな近くに湖があるんですね、なんていう湖ですか?」
私の問いかけに
「『ルマン湖』って呼んでるよな?」
「それって『レマン湖』じゃないですか?」
「レマン?、そうそう、ロマンでもマロンでもいいんだ」
と、また曖昧な返事が返ってくる。
「確かにスイスのレマン湖にも引けを取らない壮大な眺めじゃないですか?、私はもちろん行ったことなどないですが・・・」
バスは湖のほとりに止まり、貸しボート屋で吊り竿を借りて桟橋に陣取った。ここではレインボートラウトが釣れるという。
4人と私はまったくのんびりとリゾート気分を味わうのだ。
「そういやぁ、ダンナ、なんでこのシティから出られないなんて感じがしたんだい?」
兄やんがぼそりと尋ねた。
「いや、なんでと言われても、あまりに今まで暮らしてきたエリアと違って、ゆったりしている街に思えたからかな?。なんとなく特別なエリアに隔離されたみたいな?・・・」
「お宅、以前の街ってどこに住んでたんだい?」
「多分、そんなに遠くないと思うけど、神奈川の横浜って知ってますか?」
「シゲさん、わかるかい?」
兄やんは私と同代くらいだろうか、年長格のシゲさんに尋ねた。
「なになに、かなり前の話しだねそりゃ、神奈川ってパシフィック側の海に面したあたりかな?」
「パシフィック?、まあ、そうです。その太平洋に面してます」
「ここではだいぶ以前に呼び方が変わってしまったからな、確かあの辺りは今の『エリア6』だろうな。うちらのシティとはまた違うエリアだね」
「ここのシティとは何か違う街なのかい?」
そう兄やんが尋ねるので、今度は私がぼそぼそ話し始める番だった。
「まず、困るのがタバコなんです。皆さん、さっき駅前で吸いがら道に捨てたでしょ?」
「ああ、だからちゃんと靴で火を消したさ。マナーだからな、コホンッ!」
「ええ、私のいた街でも以前はそんなでしたが、今じゃ、路上喫煙は現行犯で罰金2,000円なんです。私も入れて5人でちょうど10,000円です」
「そりゃ、どういう街さ、そりゃひどい!」
「きびし~い!」
「そりゃ、ないぜセニョール!だな」
そして、どうやってインターネットやスマホの便利さを伝えようかと、あれこれ身振り手振りで唱えた。
「まあ、移動電話だね。それとその電話からもネットという通信で買い物できたり、映画も観れて、ゲームもできる。文章や写真を相手に送れるサービスがあって、もう最近じゃ中学生くらいから持ってる・・・」
「するとダンナ、いや、野口っちゃん、そりゃ便利そうだけど、それはまずいな!」
「そうだ、そうだ、危ない、危ない。それ、電波や無線なんだろ?」
「なになに、野口っちゃんの街は命知らずかい?」
口々に彼らが言うには、すでに昔話に近いらしいがシティでは電波も無線も一時は導入計画と試行があったらしいが、相次いでガン患者や白血病患者が出て、やはり有線施策に戻ったのだという。
「それに無線はハゲになるんだぜ」
「野口っちゃんは、まだ間に合うからやめておけよ。便利にも限度があるさ。それにいろいろ覚えなきゃいけない仕組みみたいだし、金もかかるとなっちゃ、シティには生理的に馴染まんよ」
と、シゲのオヤジさん。
「それに『スマホ』って使えば、好きな音楽を外に持ち出して聴けますよ」
「そりゃ、いいけど、レコードがあるじゃないか?。どうしても外で聴きたければ、なあ、トシ?。夏のボーナスで買ったんだよな、アタッシュプレーヤーな?」
それはちょうどアタッシュケース大ではあるが、ケース本体にスピーカーがセットされていて、LPレコード5枚までオートチェンジャー機能で収納できる優れもの。モーター用のバッテリー内臓で、チャージしてケースも閉めたまま屋外で聴けるという。
そんな話をしながら我々はボート小屋で七輪を借り、レインボートラウトを塩焼きにビンビールで優雅な昼食としゃれ込んだ。
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