第2話 アナログな生活

 私の住むエリアは「アナログシティ」と呼ばれているらしく、日常の世の中とは異なる文化が発達していた。

 先ず、不思議に思ったのはここのシティの交通手段とはバスが主体なのだ。自家用車を乗り回している人物はほとんどなく、多分それはよその町からのビジターで、地元のメンバーは自転車か遠出にはバス。

 バスに乗って改めて気付くのはスマホを取り出している人間がいない。 大体このシティにはWi‐Fiも携帯の電波も飛んでいない。唯一漂うのはラジオの電波くらい。これが無線でなく有線たる所以。パソコンはあるがインターネットは存在しない。そのせいか皆さん時間に追われないのんびりした表情で、パン屋に行ったり、魚屋に行ったり、肉屋の店先でコロッケを食べたり、ベンディングマシーンも見当たらないのでコーヒーも飲みたければお店に行く。スーパーもないこともないがマーケット止まり、コンビニは一軒もない。

 どうやってこの限られたエリアだけが独自性を保っていられるのかをご近所に尋ねると、

「不便なら住み着かないし、引っ越すね」

「あなたは典型的な住民のお顔ですよ」

 私は唖然としつつも納得したものだった。

「あなた、お仕事は?」

と尋ねられ、

「はい、レコード針を扱う倉庫会社に勤めてます」

そう言うと

「どおりで、それは、それは、素晴らしいお仕事やられています。パン屋さんの隣の雑貨店がレコード屋さんも兼ねてますから、顔を出されるといい。レコード針はシティではけっこう必需品ですから、喜ばれますよ」

なんて具合なのだ。


 シティの生活とは一口で言ってしまえば「素朴」なのだ。

 まず、面食らったのが商店街は夜も8時となると店仕舞いに掛かる。

 一番遅くまでやっているビアホールも9時には閉まり、カラオケもなければ街頭で騒ぐ輩もいない。店内もどことなくイギリス風パブといった趣きで、一杯ずつ現金で注文し、基本、自分でテーブルまで運ぶ。カウンターだけは別で、ランチやディナーはキッチンからそのままテーブルに出してくれる。しかし、アルコール類は一杯ずつ現金払いなのが面白い。多分、小銭を取り出せなくなったり、自分で運べないほど酔ったら、もう、「およしなさい!」との啓示なのだ。

 何杯飲んだか忘れさせない仕掛けなのかもしれない。

 入居当初、まだガスも水道も繋がってなかったので、1週間ほど私はこのパブのカウンターに座っては、日替わりディナーを頼んだ。すると、カウンター越しにコック兼レジ担当の恰幅の良い女性にすぐ覚えられてしまい

「あらっ、あなた、新しく入植されたの?」

 あまり人口が多くないせいだろう、大体が毎晩顔を出すメンバーは常連さんで、皆さん親戚以上の顔見知りらしい。それと「入植?」という聞き慣れない用語が面白い。なんとなく西部劇に出てくるゴールドラッシュで集まってきた一匹狼達の酒場のような雰囲気なのだ。

 このパブにいるとシティでの情報がおよそ入手できそうなのだ。掲示板にはシティ管理組合からの連絡やら、迷子の猫探し、子犬あげます、粗大ゴミ回収のお知らせなどが並んで貼ってある。それより、なにより、常連のメンバーのおしゃべりを聴いている限りでもおよその出来事が解る。

 多少鬱気味に未来に掛ける夢を見失いがちな私にはもってこい。お気に入りの本を持参して読みふけったり、店にある新聞をながめたり、まだレコードプレーヤーがないので、どうしたものかとレコードだけ持参してみると、ママは

「自由にかけていいわよ」、

と、さも当然そうに言うので、我がリビング代わりにただぼんやりもできる。席を動けば画面は小さいがサッカーや野球のゲームも楽しめる。そんなゆっくりした流れで新生活に入っていけたのだ。

 私にとってはけっこう大事なのだが、シティに「禁煙」という用語は存在しないらしく、店は常時くわえたばこやら、吸いさしを耳に挟んでいるオヤジも見かける。どことなく懐かしい火の貸し借り、レジカウンターにはマッチ箱が幾つも置いてあり、自由に持ち帰りもできるのが有難い。

 そんな店でひとつ閉口したのは

「いや~、初めまして。わたくしこういう者です。」

と、名刺を差し出され、いきなり私の座るカウンターに現れた紳士に面食らった。

「あなたがレコード針メーカーに勤められていたという野口さんですね?。よ~く解っていますよ、実は折り入ってお願いがありまして・・・、あなたなら答えをお持ちかと?・・・」

「なんでしょう?」

「初対面で恐縮です。私、以前からCD4、そうです、1970年代一時的にヒットした4チャンネルのレコードを数枚持っていまして、ただ、それを聴くための『シバタ式』でしたか、4チャンネル再生用のレコード針がどうしても見つからず苦節かれこれ20年近く、事あるごと探し続けてまして・・・

 今すぐなどと申しません、こう見えても気は長い方なんです。もし、入手できそうな情報ありましたらいつでも、いつまででもかまいません。ここまでご一報ください。」

と、名刺を差し出すのだ。

「はあ?、4チャンネルレコードの針・・・。なるほど、私も探されている方がおられることは耳にしたことがありますが、あいにく、昔、叔父の家で一度だけ聴かせてもらったことはあったんですが、私の社の製品ではなかったもので・・・」

「いや、今すぐなどとは申しません。なんでもレコード針の問屋さんと噂をお聞きして、偶然見かけた時にはご一報いただけないでしょうか?」

「わかりました。では、見かけたりしたらでよろしいですね?」


 余りに話が片寄ったテーマなので、補足が必要だろうと思う。・・・


 あれは確か1970年か71年、叔父はビクター社の4チャンネルステレオを購入したのだった。

 叔父の家の2階の6畳の和室に据えたのだ。後ろの鴨居の2カ所にスピーカーを増設し、私はそのステレオ本体に向かって見下ろすような配置に驚いた。

「まあ、ステレオ部屋さ。ゆっくり聴いていきなよ」

聴いたレコードを鮮明に覚えている。

「チェイス」というアメリカのブラスロックバンドの「Open Up Wide」というタイトルだった。

 このバンドには4人のトランぺッターがいて、別々のパートを演奏するのだ。それが超高音なのでパリラ、パリラと聞こえる。その音が4つのスピーカーからそれぞれ流れだし、ミックスされると6畳間の空間で音が回転し出すのだ。当時の金額で24万円とのことだったところからすると、現在の50~60万に相当するような気がする。

 コンソールボックスの上におまけにもらったという、蓄音機に耳を傾ける犬の置物を置いて、叔父の自慢げな顔だった。

 私はそんな紳士の話に一瞬にして当時の記憶を呼び起こしていた。

「あのCD4というシステムは驚きでしたね。本当にレコードの音が前後左右から別々に響くんですね。というより、はっきり4本のトランペットの4つの音が、混ざらないでそれぞれのスピーカーから聞こえてくるのが素晴らしかったです。それがレコード針の仕組みだけで分離してしまうところに驚きました」

 こんな私の感想が、またさらに紳士に火を着けてしまった様子だった。


 なんにでも、どんなジャンルにもオタク、マニアとかコレクターと呼ばれる人種がいることは知っていたが、レコード針にもこれほどのマニアが存在するとは?・・・。

 しかもこの紳士とはいただいた名刺によるとその昔のオーディオファンならだれでも憧れる大手音響メーカー在勤で、しかもシティ在住らしく、お会いする度いきなりニコニコ挨拶してくるのだ。同じ音響業界ではあるが、私との違いとはアンプやチューナー、カセットテープデッキ、スピーカーと幅広い機器をあつかわれていて潰れる心配がない。

 さわやかな笑顔にお会いする度、私は、

「残念です。今のところ何も情報なしでして・・・」

と、「オーム」のように返している。


 そして、不思議な感覚なのだが、何もかもが自身にとって都合よく、性に合った生活をしばらく続けていると、本当になんとなくなのだが、

例えば以前、映画で好んで観た記憶のある捕虜収容所からのエスケープ。その昔の海外ドラマ「スパイ大作戦」や「スティング」などで仕組まれた大がかりな騙しの世界。常に本当は私はシティの市民全体から見張られていて、私がながめる風景の大半は、本当は銭湯の画のように平面で、裏方のメンバーが次々、差し替えているのでは?。そんな、自分の意思や希望ではなくセッティングされた「仮の生活」に投げ込まれたように感じることがあるのだ。

 まるで、自分自身を大きなトリックやセットが包んでいる感覚さえする。つい、私はパブでもいきなり大声を出してみたいとか、歩道からいきなりバスの前に飛び出してみたり、単純に急に後ろを振り返って、何人がこちらを見ているか、試してみたくなったりするのだった。

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