第5話 鐘の音

 シティの図書館で知り合った篠崎さんという方のお宅に伺うチャンスができた。

 岡さんに教わってシティの図書館に初めて行った時のことだ。

 さっそく百科事典をひいたり、地図帳を調べたりしていると話しかけられたのだ。

「勉強熱心ですなぁ。感心します。」

「いえ、とんでもないです。私はここ、シティのことを調べているだけです。まだ、越してきて日が浅いので・・・」

「そうでしたか、それなら何も調べるまでもありません、シティは暮らしやすい場所ですよ。私がご説明しましょう」

 篠崎さんは恰幅の良い大柄な方で、白髪だが髪は豊かで髭がよくお似合いの英国紳士という風貌だった。年齢的には60代後半くらいだろうか、往年のソロシンガー、ケニー・ロジャースそっくりのルックスで、言葉遣いも優しく、頼りになりそうな人物と見た。

「たいしたことではないのですが、いつも気になることがありまして・・・、このシティとは独自性を守ろうとしてますが、何か秘密があるんでしょうか?」

 私がいきなり尋ねると、篠崎さんは額に手を当てて

「また、いきなり面白いですね。ただ私も入植したころ似たように感じたことがありましたよ」

と、当惑気味に話し始めた。

 意外なご意見だった。

「私、昔からハムをやってまして、ああ、アマチュア無線のことです。入植当時、庭にアンテナを立てているとシティの管理事務所の方が来られて、注意を受けました。

『シティでは無線は禁止されています。』

『なぜですか?』

と尋ねたところ

『シティの独自性を守るためです』

と注意されたのを覚えています。それ以上質問しても同じ答えで、

『もし、ご理解いただけない場合はシティ外にお移り頂くしかご案内できません。』

と言われて、ぎくりとしたのを思い出します。

『それはシティの外部と通信してはいけないということですか?』

『いいえ、電波、無線が禁止という意味でご理解ください』

そんな説明でした。」

 そう言ってまた額に手を当てるのだった。この仕草が篠崎さんの癖らしい。きっと当惑したり、多少照れたりされているのだ。おかげで私は一気に親近感を持つことができたのだ。「ケニー・ロジャース」か「ヘミング・ウェー」のような容貌のくせに、そのおどけたような照れた仕草とのコントラストに、人の善さがにじみ出ている。

「そうだ、よろしければ家に来ませんか?、なんとなくあなたの知りたいご心配、少しはご参考になると思います」

 私は二つ返事で同行させてもらったのだ。

 篠崎さんのお宅はシティの外れ、牛乳工場の近くの傾斜地にあった。二階建ての丸太造りのログハウスで、まるで山荘にたどり着いた気分がした。

「ベランダでご説明しましょう。自慢じゃないですが、テラスからシティが一望できますから」

 さっそく二階のテラスに案内され

「いかがですか、シティが見渡せますでしょ?」

「ここは見晴らしがいいですね。なるほどシティが一望で、これはバーベキューしたり、夕涼みに最高ですね」

「これだけの高さの違いでもシティの町中より風が強いんです。西側からばかり吹いてきます」

「たまたまシティを見学に来たときに、この二階建てが募集中だったので入植を決めました」

 そして、こっそり見せてくれたのがアンテナ代わりの銅線と避雷針だった。

「あっ、なるほどですね。避雷針だったらシティの管理事務所も了解したんですね」

「苦労しました。全部、暇みては自分でやりました」

 銅線も一本ではなく、20本近くよってある本格的なもので、「鬼より線」といい、屋根の銅製の突針と呼ばれる銅棒に繋ぎ、外壁に沿って地面まで降りている。なんでも海外では銅像や教会、一般家庭にも多く設置されているそうだ。風見鳥なんかも一種の避雷針だそうで、地面には厚い銅板を埋設してあるとのことだった。アマチュア無線のアンテナ用のラインには避雷用のブレーカーと呼ばれる安全装置まで設けられている。

「こうしておけば、いざ雷を受けても過電流は電位の低い地面の方に流れ、無線のアンテナ側は遮断される仕組みなんです。計算では。まだ雷を受けたことがないのでうまく除けられるかはわかりませんが」

 篠崎さんはとうとうと説明されるのだが、知識のない私には半分も分からないのだった。

 私のレコード針の仕事にも興味を示され、4チャンネルレコードのことまでよくご存知だったのには驚いた。そして、自慢の無線装置をゆっくり見せてもらった。

「逆にシティでは電波が禁止ですから、それだけ無線にとっては他のノイズがなく、遠くからの信号が拾えると考えました。案の定、南半球のアルゼンチンやニュージーランドの方とも通信してます」

 篠崎さんの見解ではこのシティ構想、やはり試験的な住宅開発で、良い面、悪い面含めて、できるだけ当初のコンセプトを残しながら検証する目的から閉塞感が生まれてくるのではとの見解だった。すでに開発から40年、地下の共同溝にライフラインをまとめたアナログ文化がコンセプトらしい。やはり少し不便で辺ぴなエリアなので、住民も同じようなカラー、少し時代から遅れた人種の方が理想的なのでは?。あまり便利に走らない、なんでも自分の力で、多少の不便さも楽しみに感じられるような生活が性に合っていると言われた。

「もとより今では世界中がインターネットで繋がってしまい、わざわざハムで通信しなくてもいいのですが、世界の人と自分の力で交信ができ、たどたどしい英語とドイツ語でも話しができる感覚がたまらなくうれしいのです。私もまだハムから離れられない、古い人間かも知れません」

 そして、とっておきと言いながら、シティの航空写真を見せてくれた。今となっては貴重な造成当時のカットだという。かなり無理して引き伸ばしたらしく、目は荒いが30センチ四方くらいのパネルだった。建設当初の白黒写真には今のシティの中心辺りに古墳のような丸い岡に鳥居があり、その周囲にはいくつか堤池があり、周辺は田園風景が広がっているばかりだ。しかも丸い盆地に通ずる道は西と東からの林道だけで、トンネルはなく、後から掘られたことがわかった。

「実は私、海外生活が長く、工場のエンジニアとして日本の商社の代理で新しい製作マシーンを買い付けたり、逆に日本製の工業機械でヨーロッパの工業地帯を転々としては、土地々の事情に合せて導入するオペレーターみたいな仕事してたんで、けっこうドイツやポーランドやオーストリア辺りの田舎町に滞在しました。すると、ヨーロッパ圏の田舎町とは日本よりかなり素朴で、こんなシティよりも閉ざされた集落が多くて、いつの間にかそんな閉鎖的なエリアでの生活に自然と馴らされたんでしょう。皆さん信心深くて「魔女」や「狼男」や神話をいまだに信じている人までいる村も多いんですよ」 

 私は篠崎さんの人と成りが解るにつれて、思い切って尋ねてみた。

「あの、なんとなくなんですが、私の中でこのシティでの暮らしは、失礼ですが、架空の夢の中の世界みたいな感覚が未だに強いのですが?・・・」

 すると彼は

「あれ、そうですか、そうなのかも知れませんが・・・。同じような感覚、実は私もオーストリアの田舎で暮らしていた時に経験したことがあります。本当はここは現実の村でなく、自分の想像だけの暮らしではなんて感覚ではないですか?。

 なんとなくわかります。それはデジャヴ、既視感のない事は夢には出てこないのではじゃないですか?。あまりに今までの生活と違う時間の流れを感じるとそんな感覚になったことがありました。私もそんな感覚が懐かしくてこのシティが気に入ったのかも知れません・・・」

 そんな風に話されたのだ。


 それから程なく

 シティでは妙な噂でもちきりだった。

 夜中にどこからともなく音が聞こえる。それがかなり遠くの音のようで、サイレンではないか?、どこか地域の放送ではないか?、そして、鐘の音色だろう。人によってまちまちで時間帯にも多少ばらつきがある。

 次第に分かってきたのは、時間も夜中で、風向きにもよるらしい。それと、西の方向からに絞られてくるのだった。

 小学校か中学の化学で、音の伝達スピードは空気中で1秒間に340m、鉄道のレールで5km。と教わった記憶があるが、音はどのくらいの距離まで伝わるのか?。は、ついぞ知らないでいたのだ。

 さっそく図書館で、篠崎さんの見解をお尋ねすると

「ああ、あれはサンクト・アントン教会の鐘ですよ。サンクト・アントン・アム・アールベルクという山里です」

「それは、シティの近いところに教会があるんですか?」

と尋ねると、

「ああ、オーストリアです。私は近くの村で半年近く暮らしたから間違いないです。教会の鐘は日に二度、日の出と日の入りに鳴らされるんです。切れ目のない2種類の鐘の響きでにぎやかなんですよ。

 なぜ聞こえるかは少し不思議ですが、サンクト・アントンもアルペンスキーの聖地として有名なところでかなり山の方ですし、シティも小高いエリアの盆地だから西風に乗って偶然聞こえてくる時があるんでしょう。マッハ、音は秒速340m、オーストリアまでざっと9,500km。朝か夕の鐘が西風に乗ってちょうどこちらの夜中に聞こえたんでしょう。」・・・

「音の速さは時速にして大体1,200kmですから、夕方の鐘が8時間かけてこちらの夜中に聞こえてくるくらいですかね?」・・・

「無線をやっていると解るんですが、電波は1秒で地球を7周半なんていわれ時差などないはずですが、南半球の方に時間を尋ねると、地図上の距離とはまったく違う時差ができたりします。電波も音も磁場の関係か、早く伝わったり遅く伝わったり、大気の関係でとんでもなく遠くまで届いたりもするみたいです」

「しかもシティは他にないくらいかなり静かなエリアですから、なおさら風の加減でかすかな音でも耳に届くことになるんでは?」

 篠崎さんの一言で納得した。彼には理屈はともかく、納得させるだけの説得力があるのだ。事実はどうあれ、間違いない。

 そして、思い切って尋ねたのだ。

「篠崎さん、なんで私の知らないことばかりそんなにご存じなんですか?・・・」

【もし、私の居眠りの世界であれば、私の知らない知識は出てきませんよね?】

さすがにそこまではお尋ねできなかった・・・。

 すると彼はまたいつものように額に手をやって

「いや、なにもわかっちゃいませんよ。ハムの事ばかりで。ただ、シティではそこまでご自分を追いつめてお考えなくてもいいんじゃないでしょうか?」・・・

と、お答えになるのだった。

 私はそんな受け答えに大人の方を強く感じ、ますます頼りにするようになったのだ。



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