アスファルトにキス
葛籠澄乃
全1話
アスファルトの味は砂だった。砂利だ。ああ、ぼくはなんてものを口にしてしまったんでしょう。朝から必要以上にうがいをしなければなりません。庭の水道の蛇口を捻り、カルキの味がする水を含み、庭の花壇の端に吐き出しました。土が勢いよく水を染み込んで、そこが少しへこんでいきます。
ぼくがなぜアスファルトにキスをしたのか。わかりません。夜通し雨で、ようやく晴れた美しい朝の紫で照らされたアスファルトが、あまりにも綺麗だったんです。子どもが足を綺麗だからという理由で集めるのと同じことです。綺麗だったんです。本能でキスをしたいと思った。これ以上の理由が必要でしょうか。
話が戻りますが、ぼくはむかし、とても星空が好きでした。幼い頃に、親の都合で初めて田舎に移り住み、はじめて満天の星空を見ました。その時の星空と、雨上がりのアスファルトはとてもよく似ている。キラキラしているものを見たら、きっとアスファルトじゃなくても、砂場でも花壇でも好きになっていたと思います。初めて満天の星空を見たあと、雨が降り、朝が来ました。その時のアスファルトが濡れたところを鮮やかな太陽が照らし、ほんとうに、ほんとうに綺麗だと思ったんです。
父に、なぜ人や動物がキスをするのか、聞いたことがあります。好きだからとのこと。自分のものだと相手にも自分にもわからせるようにキスをするのだと言いました。ならば、ぼくがアスファルトにキスしても、なにもおかしいことはありません。子どもは、おかしなことをする生き物だ。ぼくが初めてアスファルトにキスしようとしたとき、母がすっとんできて、ぼくの襟首を掴んでアスファルトから離しました。アスファルトにはキスをしてはいけないのだと、そのときはじめて知りました。
それから何年も経ち、アスファルトに欲情することはなくなりました。しかし、先日の雨はいけない。ぼくの早起きもよくなかった。久々に早起きをして、その湿ったアスファルトが眩しいくらいにぼくの目を焼いた。星みたいだ。そのとき、幼少期の頃持ち合わせていた欲が湧いてきたしまったのです。
ですが、本当にキスをして後悔をしました。美味しくも柔らかくもない、ただの砂利です。今度からは人間のてらりとする唇にこの欲を向けたいと思いました。おわり。
アスファルトにキス 葛籠澄乃 @yuruo329
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