第25話 将家の姫君、将典の婚約者
「ご無沙汰しております、姫君」
「本当に久方ぶりですね、澤渡様。頭をお上げください」
恭しく頭を下げた将典に、鈴の音のような声が返ってきた。
頭を上げると、20人ほどの女性が目に入ってくる。彼女たちも学園の学生なのだが、男子学生とは違い、女子学生には制服がないため、皆、流行りの袴姿で思い思いに着飾っている。
その中心にいるのが、将典が「姫君」と呼んだ女性。
そして、「パルヴニール」の中では、一馬と光星たちの争いを仲裁するはずだった人物。
現れたのは偶然ではない。彼らがいる読書室の真上、図書館の3階に学友会の部屋があるから。
真宙たち5人は、司書に報告するために階段を下りて行って、今はいない。ただ、彼女たちが現れた瞬間、5人は驚きの表情を見せ、次いで、光星たちは自らの過ちを知られたと悟ったのか、顔を青ざめさせていた。
もっとも、美海の関心は彼らにはほとんど向けられていなかった。現れた時から、視線は将典ばかりに向けられていた。
ただ、その目は霧に覆われ、奥底まで将典には推し量ることができない。
「先程の新入生たちの争いの仲裁は、なかなか見事なものでありました」
「恐れ入ります。上級生として当然のことをしたまでです」
ここまでは型通りのやり取り。
――若君より姫君が将家を継がれた方が、私としては好ましいのだが。
こんなことを考えてしまうのは、入学式の真一郎の挨拶の時に、学友会会長として出席していた美海が視線を鋭くしていたのを目にしていたから。
――婿を迎えて、将家の継承候補に名乗りを上げるでもなく、
将家の次代に最も近いのは美海と真一郎の二人だけ。他はいない。
――嫁として、将家を出る意向も示さない。
本来なら、いておかしくない婚約者もいない。
――そのあたりの姫君の心の内は全く分からない。
はっきりしているのは、彼女が将家継承を固辞していることだけ。
「パルヴニール」の中には将家の継承争いが起きるイベントが存在するものの、そこでも彼女が固辞する理由は描かれていなかった。主人公を含め、誰とも結ばれる場面は描かれない。それゆえに、「愚者」は結ばれる機会を狙って憑依に歓喜したのだが。
――取り巻きの彼女たちは何か知っているだろうか。
探ろうとして、将典の視線は美海の隣に控える一人の女性で止まってしまった。
――いずれにせよ、若君への掣肘を期待して、姫君とは良好な関係を築きたいのだが。
問題がその女性にあった。
流石に将家の姫だけあって、美海の笑みの奥にある感情までは将典にはうかがえなかったが、取り巻きたちは多かれ少なかれ将典への嫌悪をにじませていた。もちろん「化け物」という評判からくるもの。
その中でも、将典の視線が止まった女性の顔からは表情が抜け落ち、目には蔑みが漂っていた。
眉間にしわが出来そうになるのをこらえるが、美海の次の言葉で眉をピクリと動かしてしまった。
「さすが、亡くなられた澤渡伯爵様の薫陶を受けただけはありますね」
「……ありがとうございます」
「伯爵様の滄州知事としての活躍は、私を含め全ての女性の憧れであり、希望でした」
取り巻きたちが頷き、目を輝かせるのを見て、将典は誇らしい気持ちを抱くと同時に戸惑いも覚えた。
――姫君は何をおっしゃりたいのか。
「時に必要以上に殿方を尊び、時に私たち女性を蔑む。そんな世の中に、伯爵様は一石を投じ、風穴を開けたのです」
そう言うと、彼女は悲しみを垣間見せながら、威儀を正し、
「大変惜しい方を亡くしました。心よりお悔やみ申し上げます」
深々と頭を下げたのは、彼女だけではない。美海を取り巻いている者たちの内、本当の彼女の側近は10人ほど。残りは側近たちの付き人。そんな立場の違いを乗り越えて、この場にいる全員が威儀を正し、揃って頭を下げた。
将典の心に熱いものが込み上げてくる。それでも、冷静さを保って、
「恐れ入ります。お気遣い、ありがとうございます」
礼を返す。でも、心の中の熱いものに冷水が掛けられるのは、すぐ。
美海の顔に、花がほころぶような笑みが浮かんだ。何かを思い出したかのように。
「そう言えば、澤渡様は利奈子と婚約されていましたよね」
「……はい」
彼女の視線が、すぐ横で控えていた、将典の視線を止めた女性に移った。
野暮ったい袴姿の若い女性。美海たちは、その鮮やかな色彩で最近流行り始めた銘仙の着物を着ていたのだが、彼女の着物だけは年配の女性がまとうような藍の小紋だった。袴の色も全体としてのっぺりした印象を強める鉄紺。襟元から覗く半襟も生成りなので、地味で年寄りくさい。
そんな彼女が
「利奈子。折角だから、あなたはこの場に残って、澤渡様との仲を深めなさい」
「……かしこまりました」
「澤渡様も、利奈子のこと、よろしくお願いしますね」
ひんやりとした沈黙が落ちた。
それでも、将典は頭を垂れて答える。
「……承りました」
美海は取り巻きたちを連れて階段を上がっていった。頭を下げたままの利奈子と将典の表情を、彼女が見たかどうかはわからない。
声音こそ温かいものだったが、将典には美海の真意をうかがい知ることはできなかった。
――厚意か、それとも……。
棘のついた蔦が心に絡みつくような気がした。
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スイーツ貴族の天命 ~悪役令息は宿命(シナリオ)を無視して我が道を行く C@CO @twicchi
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