春は曙

B3QP

🌸

 四月末の休日の深夜。小説投稿サイトの企画のための短編を書き上げた俺は、部屋で一人、ビールを飲んでいた。ふと誰かと話がしたくなり、短文投稿サービスの音声チャットスペースを立ち上げてみる。もしかしたら、少し前にリプライを交わした創作仲間の女性が来てくれるかもしれない。そう考えながら、俺は脱稿後の心境などを独り言のようにつぶやきはじめた。だが、そのスペースの表示画面を眺めていても、数人の匿名リスナーが出入りしているだけで、何の反応もないままだった。


「あー、いま、匿名の方しかいらっしゃらないんすけど、誰か登壇しません? 何の話でもいいっすよー」


 酔いの回った冴えない頭で問いかける。俺の創作用アカウントは、フォロバ狙いで誰彼構わずフォローしまくっている。応じてくれたやつらは、書いているジャンルも、国籍すらもバラバラだ。サービスの仕様上、匿名モードの参加者はリスナー数の合計でしか把握できない。つまり、相手に先ほどの日本語が通じているのかも分からないのだ。


 その時、発言リクエストの通知が届いた。誰でもいい。何か言ってくれ――俺が申請を許可すると、しわがれた老婆の声が聞こえた。


「paNsimey tey ma miyu」

「ふぁっ⁉ パンツ見えて真水まみず? 何語ですか?」


 しまった。日本語じゃねえ。


「pitə, putə, mi, yə――」

「えっと」


 少しずつ発せられるその声は、まるで無宿者が公園のベンチでシケモクを数えているかのように陰鬱だった。老婆は、続けて何かをこちらに問いかけた。


「naNka yamata nə pyita niya aru?」

「ナンガヤマダ? すんません。わかんないっす」


 すると、匿名のリスナーの一人から、スペースのスレにリプライがついた。


『これ、上代日本語ですよ!「初めて目見まみゆ。大和やまとの人にやある?」です。ヴォヴィン式の音韻復元体系。話せる人に初めて会いました!』


 何を言っているのか分からない。興奮気味にマイク申請してきたリプ主のプロフには「言語学者」とある。初めから顕名で入って下さいよ。俺は仕方なくマイクを許可した。


「sikari. na pa?」

「wo. yamata nə pyita nari. keypu si kə nə mati ni kyinu」

「なるほど。日本人で、今日この町に来たと言っています。名前を聞いてみますね。ええと、naNka, na pa――」


 言語学者が通訳しながら問うと、老婆はしばらく沈黙し、以下の文字列をリプライした。


『Qk12AQAAAAAAADYAAAAoAAAACgAAAAoAAAABABgAAAAAAEABAAASCwAAEgsAAAAAAAAAAAAAa7DXbrPbbK/cba3je7X2ea7+dZ//a5L6W4PjVn7XAABnrtRrsdlust10tehwrOhCdsIoU7AuVrYlTaUjS50AAGmz12u02nO54Xe45Xi06j90syRQnTVerT1nriJMjwAAaLHXc7rgc7jge7rmWpXDNWmePmuoQGmnK1eNNV+UAABgpdBprdhzs9x7t+FvpM81ZpI4ZJMpU4AxXYZrmL4AAGus0m+u1G6qznWt0ICz1GiXt0NxkCVRbk57loS0zAAAQoCYO3eNS4WbU4qfVYeZT4CQRnaCO2x2TH2HS36IAAA9eII8d4FQhpFGe4VMfYVPf4VYiYs4ampWiYs8b3EAAEB5dkV7e0l8flOEhlCAglGBg1aHhU1/fU2BgT9ydAAAOXBnMGZfOWtnN2hmPmxtNWRiPG1rN2lnMmRkLWBiAAA=』


「え……」


 言語学者が沈黙してしまった。すると、別のリスナーからリプライがつく。


『これ、ビットマップヘダーで始まってますよ! Base64エンコードされた画像ファイルです! もしかして顔写真じゃないですか?』


 再び、何を言っているのか分からない。続けてマイク申請してきたリプ主のプロフには「SE」とある。なんなんすか。あなたも初めから顕名で入って下さいよ。


 スペースに参加したSEが話を続ける。


「復号できるWebサービスとか普通にありますんで、Base64 to Imageとか検索して、このテキスト張り付けてみて下さい。ほら!」


 そう言って彼がリプライツリーに投稿したのは、豆粒のように小さな画像だった。着物を着た女性のようにも見える。


「これじゃ何も」

「待って下さい。検索します。ヒットしました! 江戸時代の土佐とさ光起みつおきいた清少納言です」

「清……少納言?」


 SEの言葉に俺と言語学者は沈黙する。俺は、恐る恐る老婆に問いかけた。


「あなた、清少納言なんですか?」

しかり。いましがた拾った画像を貼ってやった。この時代にも我が名声はとどろいておるようじゃのぉ。そう、我こそがほまれ高き『枕草子』の著者、清少納言じゃ!」

「ええと……春と言えば?」

じゃ!」

「てか、ちょっ! 現代日本語しゃべれるじゃないすか!」

「もう覚えたわ」


 そこで、言語学者がツッコミを入れる。


「で、でも! さっき話されていたのは奈良時代の発音ですよ? あなたの生きていた平安時代中期には、すでに音韻体系は五母音に収束していたはずです!」

「だから、もう覚えたと言ったであろう。先刻さっきまで二百年前にいたのじゃ。いまは千年後らしいがのぉ」

「な、なんて学習速度ッ! 僕が上代日本語を理解するのに、どれだけかかったか……」


 言語学者はマイクの向こうで肩を落とした。すると、清少納言はザラついた声で高笑いする。


「ひーっひっひっ。現代人の脳の容積はだいぶ縮んでいるらしいではないか。ヌルい生活で環境適応能力が下がったのじゃろうなあ。ザーコ。ザーコ。雑魚ザコ文明ぶんめーい

「そ、それは人類が言語を発達させ社会を分業化させた結果です! ここでの先ほどの会話もそうじゃないですか! それぞれの専門知を合わせれば、個人が学習した以上のものが理解できるんです!」

「ほーん? そのインターネッツの集合知で明るい未来が開けるのかぁ? オメデタイのぉ。ちょっと一回ひとまわり見てきたが、生成AI任せで考えることを放棄したゴミ文章ばかりではないか。我々の時代には、限りある紙と筆で大切に言葉をつむいだものじゃ」


 SEがたまらず口を挟んだ。


「生成AIの進歩をナメてはいけません! AGI、ASIの時代がもうすぐそこまで来ています。それによって人類はより高次の――」

「それについて、お主の論文も読んだが、じゃな。ああ、意味が逆じゃった。すまんすまん。ついつい我が名著、三巻本第二十五段の言葉を使ってしまったわ。お主らの時代の言葉で言えば、興覚めという意味じゃ。はっきり言って、サムい。人類はこれからどんどんバカになるし、意思決定する統治機関の討議はガキの喧嘩のレベルにまで堕ちるに決まっておろう」


 いつのまにかリスナーは数十人に膨れ上がり、突如として現れた老婆の毒舌に耳を傾け始める。その矛先は、俺の小説にまで向かった。


「それに主催者のお主。お主はそれでも物書きか? アップした短編の誤字チェックもせずビールで乾杯? もっと魂を込めんかい。だいたい、なんだあのオナニー小説は。我々の時代の物書きは、もっと言葉をのこすことの意義を深く考えておったぞ」

「え、えと、具体的にどの辺が」

「しょおがないのおー。われがこの時代の文芸批評を加味して一文ずつこき下ろしてやるわ」


 物書き界隈のリスナーたちが激しく騒ぎ始める。自作を論評して欲しいというツワモノたちが現れ、俺は仕方なく彼らの登壇を許可する。そのたびに老婆は新たな知識を吸収し、それらの作品たちをひねつぶす。


「お主らみな、もう死んでおるわ。この中で生きておるのはわれのみじゃ。さしずめこのスペースは卒塔婆そとばのようなものじゃ! ひーっひっひっ」

「卒塔婆……卒塔婆少納言……」


 誰かが震え声をあげる。


 観阿弥かんあみの能楽『卒塔婆小町』。現代では、三島由紀夫が『現代能楽集』の中で翻案した戯曲の方が有名だ。その戯曲は、シケモクを数えながらベンチに座る老婆が現代人の恋愛を冷笑する場面から始まり、やがて、彼女が小野小町であると明かされる。しかし――同作の主題は「美」とその喪失だ。若返り、美しさを取り戻した小町の前で、主人公は、百年の時を経ても、同じ広場、同じベンチで彼女と再会することを妄想する――。


、か……」


 俺は思わず劇中の台詞せりふつぶやいた。まさか小野小町ではなく清少納言が、広場のベンチではなくネット空間に転生し、俺のスペースを炎上させることになろうとは。


『小野小町は美人の代名詞だけど、清少納言って確か傲慢なタイプだろ?』

『時代を超越するのが、明滅する美ではなく、横暴な知性だなんて』


 何人かの聴衆がそう呼応する。それでも、老婆の毒舌は止まらない。


「そもそも発想がオワコンなんよ。時代に迎合する能力もねえなら黙って消えろや!」


 そう罵倒された壮年の登壇者が、突然、大声でわめき始めた。


「名誉棄損だ! 発信者情報開示請求だ!」


 すると、プロフに「憲法学者」と書かれたアカウントがこう指摘する。


『いや、そもそも転生者なんでしょ? 戸籍とかないんじゃないの? 法で保護されないでしょ』


 その書き込みを見て、怒りを抱えた聴衆たちが湧き上がる。


『ならトツろうぜ!』

『誰か運営にコネあるやついねえか? アクセス情報晒させろ! 法適用外だってよ!』


 暴力を煽る声が殺到し、それに対し『通報しました』とのリプライが連投される。俺はスペースの閉鎖を宣言せざるをえなかった。


!」


 彼女が高らかに叫ぶと同時に、俺は終了ボタンをタップした。その直後、俺のアカウントはBANされた。あの三島由紀夫の戯曲のように「美しい」という言葉を口にすることもなく、俺は死んでしまったのだ。

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