最終話

「なんとか逃げ切れましたね」


 女神は息を切らすこともなくそう言った。カルエカは膝に手をつき、喋れないほど息を切らせている。


 その場に座り込んで息を整える。


 その間にも門の方から物音は鳴り続けている。


「どう…して…」


「何がですか?」


 カルエカは息を整えてから。


「私なんかのために…あの、カエルやカトラリーたちは…」


「どうしてって、そうしたかったからしたんでしょう」


 当然だという様に女神は言った。


「そうしたかった…?」


「そうですよ。彼らは貴女を助けたかったのですよ。自分を犠牲にしても、です」


「でも!」


 変な力が入ってしまうカルエカ。


「あのですねぇ」


 呆れたように女神は言う。


「人間の尺度で測るのはやめてもらえませんか。忘れられて朽ち果てたり壊れる前に捨てられたりするよりずっといいでしょう。あの子たちは自分で最後の役割を選べたんですから」


 カルエカは言葉が出なかった。


「そろそろいいですか?戻りますよ」


 カルエカは小さく頷いた。女神は再びカルエカの手を握って湖の水面に向かって泳ぎ始める。


「逃げる時もこうやって逃げればよかったじゃん」


 カルエカが言う。


「門の外からじゃないといけないんですよ」


 面倒くさそうに女神。


 カルエカはどんどん小さくなるお城と城下町を眺める。


 どうして、という思いは拭えない。一度会っただけの自分のために自ら犠牲となることを選ぶなんて、と思ってしまう。


(でも…)


 女神の話は少しだけ理解できた気がした。もういらないと捨てられるより最後まで役目を全うできた方がいいに決まってる。


(納得は出来ないけど)


 カルエカは自分の手を引いて泳いでいく女神の姿に視線を向ける。湖の女神、カルエカはこの女神に聞きたいことがあった。


「ねえ、女神」


「なんですか」


「あなたは何者なの?」


「何をおっしゃっているんですか。湖の女神ですよ」


「そうじゃなくて…」


 カルエカは少し考えてから


「あなたも元々は『物』だったんじゃない?」


と疑問を口にした。


 女神はすぐには答えなかった。


「…本当に変な人ですね」


 ちらりとカルエカの方を見る。


「どうしてそう思ったんですか?」


「作られた、って言ってたから」


 気づかれてましたか、と呟く女神。


「そうですよ。瞼が開いたり閉じたりするカラクリ人形の失敗作です」


「それで…捨てられちゃったの?」


「いいえ。貧乏な家に安値で売られましたよ。失敗作の人形でしたが…まあ、大事にはしてもらえました」


 女神はどこか懐かしそうに話す。


「持ち主は女の子でしたがいつも同じ服を着ていて、家にあるものはどれもボロボロで…」


「それで?」


「それからは色々あって女神になれました」


「随分と端折ったわね」


「もういいでしょう?ほら、水面ですよ」


 降り注ぐ光が強くなる。


 眩しい、と思うと同時に湖の外に顔が出た。


「戻ってきた……」


「はい、お疲れ様でした。斧は持ってあげますから早く登ってくださいな」


 カルエカは陸に上がり、女神から斧を受け取る。


「それではこれで。くれぐれも落とし物には気をつけてくださいね」


 女神はさっさと湖の中に帰ろうとする。


「ねえ、最後にあなたの名前を教えてよ」


 女神は振り返る。


「名前なんて……」


「ないとは言わせないわよ」


 女神は驚いた表情を見せる。


「小さな女の子が人形を買ってもらって名前をつけないはずないもの!」


 女神は恨めしそうにカルエカを睨む。


「……ミケです」


 女神はため息混じりに答えた。


「ミケ?猫みたいな名前なのね!」


 カルエカは思わず笑ってしまった。


「あの子もそうやってよく揶揄われていましたよ。ああ可哀想に」


 泣きまねをする女神。


 カルエカは顔を曇らせる。


「ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの」


「冗談ですよ。気にしてません」


 女神は笑顔を見せた。


「では本当に行きますよ」


「ミケ!また物を落としたら会える?」


「私は忙しいんです。余計な仕事を増やさないでください」


 そう言うと女神は振り返ることもなく湖の中に帰っていった。


 それからしばらくカルエカは誰もいなくなった湖を眺めていた。水面の波紋もすっかり消えた頃、帰ろうかと振り返ると女神からもらった金の斧と銀の斧が目に入った。


(売ればいいって言ってたけどなんだかなぁ)


 勿体ないように思えて気が引けてしまう。


(せっかくあなたがくれたんだもん)


 カルエカは湖の方を振り返り、そこに女神の顔を思い浮かべる。


 その瞬間のことだった。カルエカの頭の中で色んなことが一本の糸のように繋がったのだ。


 女神が人形だった頃の持ち主の女の子は貧乏な家の子だった。


 それでも人形を大事にしてくれた。


 そして女神の力は金の物と銀の物を生み出す力。


(あなたが女神になったのって……)


 誰もいない湖にカルエカは笑いかける。


「本当に素直じゃないのね」


 そう呟くとカルエカは3本の斧を背負って帰路についた。

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落とした斧と湖の女神 維七 @e7764

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