死神さんは死が嫌い

菊地キリエ

第1話 ”死神”

──────死とは何か。

人間、生きていればそのような事を1度は考えるのではないだろうか。


色々な説があるだろう、転生への道だの天国への切符だ。それとも魂とやらも何もかもが消滅し思考だけが残り、永遠の暗闇に閉ざされる、とか。


とにかくブラックボックスでパンドラボックス。

開けてはならない恐怖の箱が総じて人類が感じる”死”である。


────────本来、死とは望むものでは無い。


しかしながら、この世界には自ら死を選ぼうとするほどの苦痛を受けるものも少なからず居る。


────────今まさに、ビルの屋上へ立っている少女、今川美子(いまがわ みこ)がそうであるように。


特に可愛いという訳では無いが整ってない訳では無い顔に、だからこそ特徴的な赤い髪。


そして────────身体の至る所にある痣。


上手く服で隠れるように作られた痣は、しかしながらじくじくと小さくは無い大きさをしている。


虐待、それが、今川美子のこの世界から手を放つ理由である。


産まれて16年、物心着いた時にはもう母親から心無い言葉の数々を受けていただろうか。

徐々にエスカレートしていき、13歳頃からはよく暴力を受けるようになった。


「…………うっ」


良くない、思い出すだけでも寒気がする。

それとも、死が迫っているからだろうか?


─────────とにかく、だ。

今川美子は耐えられなかった。


”これ”が逃げだと、自覚はしているが。

耐えられない、耐えられない、耐えられない。


だから、死以上の苦痛を感じるから、死に救済を感じるから。


今、このクソッタレな世界に身を投げるのだ。


赤い髪少女は、その身体さえも赤く染めた。


───────────────────いや。


染めたはず、だった。


「アンタ、何しようとしてるんだ」


心臓が跳ねた。

まるで自分しか居ない世界で、誰かの声を聞いたような感じがする。


振り返るとそこには男がいた、黒髪で髭が生えている。スーツの胸元を着崩していて、何処か不真面目そうな……もっと言うと、女のヒモになってそうな男がそこにはいた。


「……アンタ、今死のうとしてたろ」


「そうですけど」


当たるように少女は答えた。

それもそうだ、こちらは覚悟を決めて身を投げて、それで終わりだったのに。

この世界はまだ自分を苦しめるのかと、そう思った。


「あー……その、なんだ」


「人生、生きていればいいことあるかもしれないぜ。それにほら、まだ若いんだし」


………ふざけているのだろうか、この人は。


「……そもそも一体誰ですか、あたしの事よく知らない癖によくそんな事言えますね」


あまりにも、ふざけている。

どうせこういう輩は苦労を知らないまま生きてきたんだろう。

適当に生きて、適当に友達とふざけて、適当に悩みもないまま人生をすごして。


そんな人生を過ごしてきたんだろう。

そんな、野郎に。


「中途半端な正義感で人を助けましたか?それがどれだけ人を苦しめるか知らずに、自分の満足の為に」


「ムカつきます……!貴方みたいな人」


しばしの沈黙が流れる、夜風が肌に当たって少し身体が震えたのを感じてまだ自分は生きているのだと自覚した。


「……周りの人に相談はしなかったのか」


男が口を開く。


「相談?出来るわけないでしょう、周りに迷惑がかかります」


「死ぬほうが迷惑だと考えないのか?」


「知りませんよ、死の後の迷惑なんて」


なんて矛盾しているんだろうか、あぁでも分かって欲しい、もう自分は限界だと、死でしか解決する方法は無いのだと。


そんな、我儘をわかって欲しい。


「嫌だね」


「!?」


「なぜなら、アンタにはもう少しだけ頑張って欲しいからだ」


そういうと男はポケットからスマホを取りだし、ある画像を少女にみせた。


「これ、アンタの母親だろ?それにアンタだ」


それは、1つの写真。

赤い髪の女性と────────その人に虐待されている少女。


それは自分、今川美子だった。


ピロンッと、友人からのメールが来る。


『美子のお母さん逮捕されちゃったって本当?それに虐待って……とにかく大丈夫なの?』


「逮、捕」


うわ言のようにつぶやく。

あの母親が、逮捕?


「実は今朝、用があってアンタの家の近くに居たんだ、俺は耳がいい方でね」


「あまり防音性も高くないようだったから、ちょっと撮らせてもらったよ」


そういって、男はこちらに手を差し出す。


「アンタの死ぬ理由は虐待だった、けど今はそれは無い」


「だから、死ぬのは辞めてもう少し頑張って欲しいんだ」


「…………………」


正直、思考が追いつかない。


いきなり人生が180°変わって、直ぐにそれに順応できる人間は居ない。


だけど、だけど。

こうなったらもう、死ぬ理由がない。


「アンタは自分から死ぬなんてしないくていい」


「ただもう少しだけ、頑張ればいい」


─────────────そうか。

もう、あの人に怯えなくていいのか。


それを実感した瞬間、何か暖かいものが頬を伝う。

涙だった。


「う、あ、あぁ……あぁ……」


膝から、崩れ落ちた。

ようやく解放されたと、そう思った。


そう思ったら、涙が止まらなかった。


■■


しばらくして、だ。

とある喫茶店にて。


「……ありがとうございます。そしてごめんなさい、あなたには失礼な態度を何度も」


「良い良い、人間ってそんなもんさ。君はよく頑張ったよ」


「……あれからは祖母の家で暮らしています」


あれから1週間ほど、少女は祖母に引き取られ愛情を受けて育っているらしい。

涙ながらに、少女は色々なことを語った。


「あなたの言う通りでした。人を頼れば良かったと、今になって後悔しています」


「はは……じゃあ、今は幸せに暮らしてるんだね」


「あなたのおかげです」


照れるなぁ、と男は思わず頭を掻く。

何処か不可思議な、この世のものでないオーラを放つ男は何処か安心したようにため息を吐いた。


「そういえば」


少女は思い出した様に言った。


「なぜ、私を助けたんですか」


「なんでって……」


おじさんはうんうん捻った後に絞り出した様に言った。


「死が嫌いなんだ……だからかな」


「死が嫌い……ですか」


死が嫌い、そういうおじさんの目は何処か……悲しそうで、それが何故かは聞いてはいけない気がした。


少女は話題を変える為に男にある質問をする。


「そういえば、名前……教えて貰ってもいいですか」


「ええ?こんなおじさんの名前知っても……」


「命の恩人の名前を知りたいと思うのはおかしい?」


あの時のように、だけどあの時ほどは長くない沈黙。


男は観念したように言った。


「神楽坂死郎(かぐらざか しろう)、それが俺の名前だよ。神楽に坂、そして死に野郎の郎」


死が嫌いだからあまりいい名前ではないのかと思ったが目の前の男はそれを「いい名前でしょ」といった辺り、割かし気に入ってはいるのだろうか。


閑話休題。


時刻はもう6時を過ぎ、周りが黄金に輝いている。

そろそろ祖母がご飯を作っている頃だろうか。


「……ありがとうございます」


その言葉に、どれだけの意味が込められているだろうか。

人間は本来、死を恐怖する生き物だ。

いくら理由があっても、死ぬのは怖い。


「ここは私が」


「マジ?ありがとう」


一礼して喫茶店を出る。


風が頬を撫でる、その感覚で、もう一度自分が生きていると実感した。


「もう一度会えるかな」


そんな、いわゆる恋心のようなものさえ、今の自分は持っている。


目を開けて夕日を見た。

初めて、世界は美しいと、そう思った。


(こんなに世界って綺麗だったんだ……)


これから何をしようか、色々制限されていたせいか、なんでも思いつく。


色んなものを食べたい、色々なところに行きたい、友達と何かしたい。


そんな、他の人と比べれば平凡だけど、少女にとって特別な事。


(おじさんも一緒に…なんて)


何処か全能感に満ち溢れている、身体が軽い。


これからなんでも出来る、自分は生きているのだから。


だからこそ静かに、だけど大きく少女は世界に宣言するのだ。


「絶対に、幸せになr」


直後。


ドゴン!!!!!!!!!!と。


何か、大きなものが衝突したような音が聞こえた。


何に?


少女の、身体にだ。


肉がすり潰される音が連続する、吹き飛ばされることはなく、突如突っ込んできたトラックによって少女の身体は見るも無惨な姿に変わっていく。


トラックが止まった頃にはもう少女ですらないナニカが血まみれで道路の真ん中に転がっていた。


悲鳴をあげる者、スマホを手に取る者、事故現場に遭遇し興奮する者。


野次馬が続々と集まる中で、ある男が少女”だった者”を静かに見ていた。


「……今川美子、居眠り運転のトラックに引かれ即死」


黒い手帳の様なものを持ちながら男はつぶやく。


「今回もダメだったみたいっスね」


突如、黒い布を纏った誰かが男の傍に浮かぶ。

まるで死神だった。


「今回はなんで助けたんスか、先輩って死神っスよね」


そして先輩と呼ばれたこの男、神楽坂死郎もまた、死神と呼ばれる存在である。


「死が嫌いだからだ」


「未練があるまま死なれて怪異になられても面倒だし」


「えぇ……だからって死の運命をずらすのは死神大王様が……」


「いちいちあのクソの言うこと聞いてられるか、人間が仕事を嫌うように、俺も死事を嫌うんだよ」


それに、と。

一息吐きながら神楽坂死郎は言う。


「少なくとも『飛び降り自殺をしようと身を投げるも上手く死ねず、その後3分間身体から臓腑が飛び出す痛みを受け続けこの世に怨恨を残しながら死亡』よりはいい結末だろ」


「そりゃそうスけど……ほんとにそれだけっスか?」


「……そうだよ、俺は仕事が嫌いなだけだ」


ほんの一瞬、男の目に影が浮かんだのは多分、気のせいだろうと黒布の死神は思考を停止した。


───────死神。


世界には、古来より死神と怪異が居た。

腕の悪い死神が人間に目撃されようなヘマをし、噂が流れる事もあった。


ロンドンの切り裂き魔、オランダ人船長殺人、メアリー・セレスト。


これらはほんの一部であるが、殆どの未解決事件呼ばれるような事件もしくは地方に伝わる伝承には死神もしくは怪異が関連している。


「人間死関連帳(ジャッジメント・ブック)、それに記載された人間の死に方、魂を観測し正しい道へ導くのと人々に害を与える怪異の消滅が我々の仕事のはずっス」


「へーへー、真面目ちゃんだな」


「けど、サボれるような案件なら最大限サボれるように動く、それが俺なんでね」


ほら行った行ったと手をひらひらさせて神楽坂はその場から離れる。


自身の後輩が不服そうな目をしていたのには見向きもせずに次の仕事へと向かうのだった。


この街には、ずっと昔から伝わる噂がある。


曰く──────死が嫌いな死神さんが居る、と。

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死神さんは死が嫌い 菊地キリエ @kihara-ani

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